“日本資本主義の父”が激怒されたその理由とは?
P.F.ドラッカーも心酔した日本の名実業家といえば渋沢栄一です。
“日本の近代資本主義の父”とも称される渋沢ですが、もともとは農家の生まれ。明治維新に向かう激動の時代の中で、一橋(徳川)慶喜に仕官し、幕臣としてヨーロッパに派遣されます。
帰国後は大蔵省に入省して新しい国づくりに関わった後、「第一国立銀行」を設立し、総監役(後に頭取)に就任。そこを拠点に、生涯に約500もの企業と関わり、社会・公共事業への支援や民間外交に尽力しました。
誰よりも先を見通す力をもち、社会を動かした渋沢。
そんな彼は、『論語』に深く影響を受け、自身の判断基準としていました。実業之日本社から出版されている『富と幸せを生む知恵』(渋沢栄一/著)も、『論語』の考えを軸に、人間性や精神性の重要さを説いた一冊です。
ここでは本書の「毎日を楽しく暮らす知恵」から、渋沢の精神集中術と気分転換術をご紹介します。
■人や物事とは精神を集中して対峙する
渋沢はどんな人にも、どんな物事にも、精神を集中して接するように心がけてきたといいます。どんな人に会う場合でも、相手の身分に関係なく自分の精神を打ち込んで談話し、どんな物事を処理する場合にも、大小関係なく皆、同じように心込めて処理したのです。
「マルチタスク」といった言葉に代表されるように、複数のことを同時に行う仕事スタイルも広まっていますが、渋沢は逆に「何事にも限らず、前のことを考えながら次のことを処理していくのは、ちょうど人から話を聞きながら目では本を読んでいるのと同じで、実質的には得るものがない」と言い放ちます。一つの事に全身の精神を集中できなくなるため、話にも仕事にも障害が生じ、相手に対して礼を欠いたものになってしまうのです。
■渋沢栄一が若い頃にしでかした“失敗”
そんな渋沢の教訓ですが、実は若いときの失敗が大元になっているようです。
若い頃、2つの仕事を一度にやりあげる習慣をつくりたいと考えていた渋沢でしたが、そんな簡単にできるものではありません。彼が大蔵省にいた頃、井上勝(「日本の鉄道の父」と称される人物)と鉄道に関する予算案について評議をしているとき、別に大蔵省の規定書をつくる急用もあったため、一方で井上と相談し、一方で規定書の草案を読んでいました。
そんな渋沢の態度に井上が激怒。「君は人を馬鹿にしている。人と話しながら別の書類を読むのは失礼ではないか」と不機嫌に言います。これに渋沢が反論すると、井上は当惑し、「たいへんなことをいうね」と、しまいに笑いながら別れたことがあったそうです。渋沢はこれを「若気の至り」だと回想し、「どんな仕事にあたっても、精神を集中してやるにかぎると悟ったら、その後はそういう生意気なことはやめてしまった」とつづっています。
■渋沢栄一流、気分転換術とは
常に精神を集中し人や物事に対峙していると、神経を休養させることは必要不可欠です。
渋沢は、何か心配なことがあり心を休めることができない場合でも、常に気分転換策を講じました。庭を散歩して10分か20分を過ごし、何でも趣味の方に心を入れてしまったそうです。
心は移りやすいもの。庭の花を見ていれば気が晴れるし、気は伸びやかになります。まったく方角違いのところに心をもっていくわけだから、心配事をぼんやり考えているよりよほど利益があると述べます。心を休められないときでも、10分や20分くらいは時間をとり、気分転換をする。これは多忙な現代人にとっても必要なことではないでしょうか。
長い日本史の中でも、最も歴史が大きく動いた時代に大きな功績を残した渋沢栄一。
本書を読むと、現代にも通じるさまざまな知恵が記されています。例えば、精神性の重要性を説き、「自分の心ですらままならないのが人間」と心の弱さを指摘したり、友達との付き合い方やよい習慣を身につける方法を読者に伝えてくれます。
現代も大きな変革の時代だといわれています。そんな時期だからこそ、本書につづられている知恵は、私たちにさまざまなヒントを与えてくれるはずです。
(新刊JP編集部)
◇『富と幸せを生む知恵』で「発刊によせて」を寄稿した吉越浩一郎さんの動画コメント
http://www.youtube.com/watch?v=i7YdMW0XbZE
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