ドラフト1位選手が明かすプロ野球人生「選択の明暗」
毎年10月にNPB(一般社団法人日本野球機構)が主催する「プロ野球ドラフト会議」。新人選手の入団交渉権をプロ野球全球団で決める選択会議として知られていますが、彼らは花形選手として世間から大きな注目を浴びることとなります。
しかし、たとえドライチ(ドラフト1位)指名で入団したとしても、その後の道のりは平坦なものではありません。高校時代に甲子園で人気者となり、メディアで取り上げられ、即戦力としての活躍を期待をされている彼らには、たいへんな重圧が待ち構えています。本書はそうしたドライチ選手たちの野球人生の光と陰の両面を、ノンフィクション作家の田崎健太氏が丁寧な取材を通じて描き出した1冊です。
本書でクローズアップされているのは辻内崇伸氏、多田野数人氏、元木大介氏など全部で8名。たとえば「CASE1」として最初に登場する辻内崇伸氏は「自分の扱いは異常だと思っていた」と回想します。ドライチでジャイアンツに入団すると、期待の大型新人として一挙手一投足をスポーツ紙に取り上げられることに。辻内氏は「キャンプでは毎日、最初と最後、囲み取材があるんです。チームの人に二軍なのに、こんなに囲まれるというのはなかったって言われましたね」と振り返りますが、まさにこの扱いこそが「ジャイアンツのドラフト1位」が意味するものだったといえます。
しかしその後、肘の痛みに苦しむこととなり手術。術後もリハビリを続けながら必死で投げ続けるも、プロ入りから8年目の2013年に戦力外通告を受けることに。この間、辻内氏がプロ野球界にしがみつこうともがき抜く様子は、読んでいるこちらまで胸がヒリヒリと締め付けられます。
いっぽうで、NPBからは離れたものの、今も野球界にじっくり腰を据え、「そんなに野球人生に後悔していません」と言い切る者も。多田野数人氏は立教大学に進学後、大学時代は松坂世代の一人として東京六大学野球リーグで活躍。その後、渡米しインディアンスなどで投手として登板したのち、2007年にドラフト1位指名で日本ハムに入団が決まります。しかし、シーズン前に左手を粉砕骨折。1年目はなんとか成績を残すものの、最終的には2014年に二度目の戦力外通告を受けることとなります。現在は独立リーグ「ルートインBCリーグ」の一球団「石川ミリオンスターズ」で選手兼ピッチングコーチとして活動中です。
「上から押しつけるようなことは絶対にしたくない。選手たちには野球を楽しく、なおかつ上(プロ野球)でやってもらいたい」「打たれたときに投手を攻めない。だいたい打たれると頭が混乱している。だから、シンプルに”ピッチャーはバッターをアウトにするのが仕事だぞ”という言葉を掛ける」などの選手に対する姿勢は、日米のプロ野球でさまざまな経験を経てきた多田野氏だからこそ。本書の中で、これまでの苦労があれど「これが自分の野球人生なのかなぁと思いますね」「とにかく今いる場所で一生懸命やることです。決して野球を馬鹿にすることなく向き合っていきたいと思っています」と話す彼からは、指導者としての希望がうかがえます。
同じドライチでも、その後の人生は千差万別。華やかな球界の奥に垣間見える苦悩や挫折、厳しさには、皆さんも読んでいて引き込まれること間違いありません。毎年繰り広げられる、ドラフトにまつわるさまざまなドラマ。今年のドラフト会議も終わったところですが、彼らの今後の野球人生や生き様からも目が離せなくなりそうです。
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