時間の因果を超える愛。たとえ宇宙が滅んでも。

時間の因果を超える愛。たとえ宇宙が滅んでも。

 梶尾真治は1971年のデビュー短篇「美亜へ贈る真珠」以来、時間テーマのロマンチックSFを多く手がけてきた。それからおよそ半世紀、物理学における成果を踏まえ、また現代文学がおこなっている技法の援用もあって、SFにおける時間観は大きく変化した。大雑把にいえば、かつてのSFでは時間を機械論的な因果に基づき「硬く」考えるのが主流だったが、現在ではずっと「柔らかく」捉えるようになっている。その「柔らかさ」は、いっぽうで複数の可能性世界の重なりあいというロジックで支えられるのだが、またいっぽうで人間の認知や記憶と結びついてなかばメタフィジカルな領域へ踏みこむ。もちろん、実際の作品個々をみればそうした議論がかならずしも尽くされているわけではない。しかし、グレッグ・イーガンやテッド・チャンといった現代SFのトップランナーたちが示した、新しい時間観が残響のようにSFというジャンルに波及している。

 前置きが長くなった。なにがいいたいかといえば、本作『デイ・トリッパー』も四十年前、五十年前なら時間SFとして辻褄に瑕疵がある、あるいはアンフェアとみなされていたかもしれないということだ。いうまでもなく、そういう「硬い」解釈のほうがもう時代遅れになのだが(とはいえ、時間SFはイイカゲンでいいということではない。「柔らかい」時間観にも整合性は求められる)。

『デイ・トリッパー』で物語を駆動させるのは、「愛するひとを取り戻したい」という強い願望だ。主人公の中川香菜子は思う。「亡くなった夫が救えるなら、世界がめちゃくちゃになってもいい」「人類が滅んでも、宇宙が滅しようとも」。

 香菜子は幸せな結婚をしたが、その時間は三年半しかつづかない。夫の大介が病気で急逝してしまったのだ。うちひしがれる香菜子の前に、ひとりの女があらわれてこう告げる。「もう一度、ご主人に会う方法があるのですが」

 女は笠陣芙美と名乗り、発明家の伯父・機敷埜瘋天(きしきのふうてん)から遡時誘導機「デイ・トリッパー」を相続したのだと説明する。機敷埜はすでに他界しているが、生前には芙美を助手として自身が何度も時間遡行をおこなったのだという。デイ・トリッパーは物質ではなく、人間の精神を過去へ送りだす。過去の自分の身体に、現在の意識が入りこむのだ。そのため自分が生まれる前には遡行できない。また、どの時点へ戻るかも選択できない。行き先を決めるのは時間旅行者の潜在意識だというのが、機敷埜の仮説だ。

 香菜子は芙美の申し出を受け入れ、過去へ意識を飛ばす。また大介に会えるのだ。ただし、芙美からはくれぐれもタイムパラドックスを引きおこすまねはしてならないとクギを差されていた。とくに大介に自身の死期を知らせるのは厳禁だ。

 香菜子は大介に会えるのならどんな禁則も受け入れるつもりで過去へ旅立つ。意識が入りこんだのは二年前の自分だ。ということは、大介の命はあと一年半である。そのあいだにふたりでできるかぎり充実した時間をすごしたい。大介はやさしく、思慮深い。彼とふれあっているうち、香菜子は自分が過去に来ているということは微細な歴史改変がおこなわれていて、それくらいならば深刻なタイムパラドックスは起きないのではないか、そして微細な変更をつみあげていけば大介を救えるのではないかと思うようになる。

 病気に倒れたあと大介は病室で、自分がしたかったことを記したメモをつくり、文箱のなかに入れていた。そのなかに「香菜子と温泉に行きたい」というのがあった。まず、その願いを叶えてあげよう。また、香菜子は大介が長生きすると思っていたので、あわてて子どもをつくらなかった。それだってやり直せるのではないか。

 こうした彼女の試みはどこまで許容されるのか? 時間の揺り戻しはないのか? この香菜子と大介との愛の物語を主軸としつつ、時間SFならではのパズルのようなエピソードがいくつか併走する。

 ひとつは、香菜子が機敷埜と出逢ってしまうことだ。香菜子はこの時点ですでにデイ・トリッパーが完成していると思っていたが、機敷埜は研究が壁に突きあたっているという。理論上はまったく問題がないが、遡時が起動しない。もしデイ・トリッパーが実現しなければ香菜子は過去へ戻ることはできず、だとすれば、いまここにいる自分は(というか自分の意識は)どうなるのだろう?

 もうひとつは、芙美の干渉だ。香菜子と大介が温泉へ出かけたとき、宿の食堂で笠陣芙美を見かける。これは偶然だろうか? どちらにせよこの時間軸では、まだ香菜子と芙美は会っていない。しかし、芙美は大介がいないところで香菜子に声をかけ、「私と約束したことを守って」という。さらに、芙美の姿を見かけた大介が、気になるひとことを口にする。「ひとちがいかもしれないが、半年くらい前に仕事場に訪ねてきた女性と似ている」。大介は「他人の空似ということもよくあるし、気にするようなことではない」というが、香菜子は気がかりでしかたがない。

 香菜子と大介の現在進行形の時間軸、機敷埜がデイ・トリッパーを発明する時間軸、時間を往き来しているかのように思える芙美の時間軸—-これらがどう組みあわさっていくか、時間SFならではのジグソーパズルめいた趣向もしっかりと楽しめる。最後の最後までピースが嵌まらないあたりは、さすが梶尾さん、SF読者のツボがわかっている。

 しかし、そうした知的興味にもまして、この作品の読みどころはロマンスだ。香菜子は大介を取り戻すことができるのか? そして時間はそれを許容するのか?

(牧眞司)

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