19歳で独立するも、その後倒産危機に。どんなに辛くても絶対に「手を抜かない」と決めた――アキュラホーム“カンナ社長”にとって「仕事」とは?

「高品質・適正価格」の木造注文住宅の建設、販売を手掛けるアキュラホーム。「日本中の家づくりを変えたい」との思いから、自社の工法などをすべて公開した「アキュラシステム」の販売や、全国の工務店を組織化した「ジャーブネット」の展開などでも注目を集めている。

「カンナ社長」のテレビCMでもおなじみの宮沢俊哉社長は、元大工。15歳でこの道に飛び込み、19歳で独立して以来、何度も窮地に陥ったものの、その都度さまざまな工夫、アイディアを凝らして壁を乗り越え、会社を成長させてきたという。

これまでの波乱万丈の道のりと、今描いている目標を、宮沢社長に伺った。f:id:k_kushida:20170713134106j:plain

▲株式会社アキュラホーム 代表取締役社長 宮沢俊哉さん

勤務先の親方に夜逃げされ、19歳で独立。いきなり大赤字を抱える

宮沢社長の実家は工務店。祖父も父も、大工の棟梁という環境で育った。

当時の棟梁は、大工の中でも技術力を認められた、選ばれた人だけがなれる立場。建築現場で采配を振るい、職人たちに尊敬される2人の姿に憧れ、「将来は大工の棟梁になりたい」とごく自然に思うようになったという。

そして中学卒業後、知り合いの工務店に見習い大工として入り、修行生活へ。道具の準備をしながら先輩大工の仕事を盗み見て覚えるという日々を経て、18歳でようやく住宅建築を任されるようになり、少しずつ大工としての知識と経験を身につけていった。

しかし、19歳のとき、勤務先の工務店が突然倒産してしまう。

「ある朝、いつものように建築現場に行くと、人っ子一人いないんです。親方は夜逃げし、一緒に働いていた職人さんもみんな逃げてしまっていました。私一人だけが何も知らされず、取り残されてしまったんです。進行中の案件はいくつも残っていて、取引業者からは『何とかしてほしい』と泣きつかれ…途方にくれました」

まだ大工として半人前だったが、「中途半端で放り出すわけにはいかない」と意を決して仕事を受けた。しかし、資材費や自分の手間賃などといった見積もり経験はない。結果、破格の価格で請け負うことになってしまったが、「丁寧な仕事と価格の低さ」が評判を呼び、少しずつ仕事が舞い込むようになったという。

そこで、思い切って19歳のときに自ら創業。リフォームを中心とした下請け仕事を手掛けるようになった。大工の棟梁を目指してこの世界に飛び込んだだけに、「本当は新築住宅の仕事をしたかった」というが、まだ若く経験も浅い宮沢社長のもとには、そんな仕事は回ってこなかったのだ。

仕事の多くは、高度経済成長期に大量に建てられた建売住宅の不具合修理。設計ミスや手抜き工事による不具合が多く、あまりのずさんさに驚かされたという。そして、当時の住宅業界ならではの体質にもショックを受けた。

「私がいた地域だけかもしれませんが、当時は下請けいじめがひどかったんです。悪質な元請け業者からどんぶり勘定で仕事を振られた挙句、完成後に『親会社からお金がもらえないから、そちらに払うお金はない』と言われたり、低すぎる予算で『手抜きをしてもいいから何とかしろ』と言われたり。それでも仕方なく引き受け、手抜きをせず完璧に仕事を終えても、いろいろな理由をつけて値引きをされる…。私は何も悪いことをしていない、こんなのフェアじゃない!と元請け業者に食って掛かり、仕事を失ったこともありました。その結果、22歳で1200万円もの赤字を抱える羽目になったんです

辛くて腹立たしいことばかりだったが、どんな境遇でも仕事は決して手を抜かない、どんなときもフェアな仕事をする、を肝に銘じたという。

「明快な価格表示」が支持され、住宅修繕事業で成功。しかし…

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とはいえ、一刻も早く目の前の大赤字を解消しなければならない。腹をくくり、それまで「ハンパ仕事」だと目もくれなかった、ベランダ修理やトイレ修理、風呂釜交換などといった修繕仕事に積極的に取り組むようになった。そして、宮沢社長の工夫によりこの事業が大当たりする。

「いろいろな手抜き住宅の構造を見続けてきたことで、当時の建売住宅の構造パターンは大体把握していました。そのため、『風呂釜交換であればだいたいいくらかかる』など、修繕費用の大よそのメドをつけることができたんです。そこで、築年数、仕様が同じような分譲地に、できる限り価格を抑え、修繕箇所ごとに『○円でやります』と価格を明示したチラシを作って広くまいたところ、翌日から電話が鳴りやまない状況になりました

今でこそ、住宅のリフォームや修理の価格を明快に打ち出す業者は多いが、当時は価格設定が不透明で、「口約束で工事を進めていたら、結果的に高額になった」というトラブルも多かったのだとか。だからこそ、“明朗会計”な宮沢社長のもとに依頼が殺到。わずか1年で、1200万円の赤字を埋め、黒字転換することができたという。

しかし数年後、会社はまたも苦境に陥ることになる。

念願の新築住宅に思いを込めすぎて失敗、「高品質・適正価格」に舵を切り替える

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修繕業務が成功し、会社の経営が安定したことで、「大工として、新築住宅に取り組みたい」という子どものころからの夢が再燃。自分の手で、自分にしか作れない住宅を生み出したいという思いを具現化するため、高級感を重視した「デザイナーズ住宅」を手掛けるようになった。当時、宮沢社長は26歳。「若かったから、思いだけで突っ走ってしまった」と振り返る。

「デザインにも設計にも材料にもこだわり抜き、理想の住宅を作り上げることに心血を注ぎました。しかし、結果的には“自分の作品”をお客様に押し付けていたんです。こだわり過ぎた結果、お客様に『そこまでの予算はない』と言われても、作品を完成させたいがあまり、予算オーバー分は自社で被ることも。結果、作るたびに赤字という状況に陥り、会社はあっという間に傾いてしまいました」

当時の赤字は何と、1億円規模。すでに家庭を持ち、社員も抱えていた宮沢社長はようやく目を覚まし、高級路線から、「一般サラリーマンでも購入できるボリュームゾーンの住宅」へとかじを切り替えた。

そして、その際にこだわったのが、今のアキュラホームにつながる「高品質・適正価格の住宅をつくる」こと。

一刻も早く経営を立て直すために、『工夫を凝らす』を徹底しました。いい材料を少しでも安く仕入れる方法はないか、品質を落とさず効率を上げる施工方法はないか…など、住宅建築のすべてを徹底的に見直し、より良い方法を考えたのです」

そもそも、「家は人生最大の買い物」であるにもかかわらず、ローンを払い終える30年、35年後には資産価値がなくなっているのが現状。宮沢社長の祖父、父が手掛けてきた、日本古来の工法であり日本の風土にも合う「木造軸組工法」であれば、長く住み続けられる家ができる。これに、材料の仕入れや施工方法を効率化し、下請けを持たずに自分たちだけで手掛ければ、いい家を低コストで提供できる。…この工夫、考えから開発したのが、単価3~40万円の時代に坪単価21万円で自由設計できる注文住宅「M21」。これが大ブレークし、あっという間に経営の立て直しを実現した。

どんな苦境に陥っても前を向き、「お客様のために今できること」を必死になって考え抜くことで、次の道が見えてくる。これを繰り返し、成長してきたのだ。

業界初、住宅建設に関するノウハウをすべて公開した「アキュラシステム」を提供

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そして今。売上高は380億円、従業員数約1200名の企業に成長したアキュラホーム。お客様のために、高品質・適正価格の住宅を提供し続け、業界の常識を変える取り組みをいくつも実現してきた。

特筆されるのは、1991年に開発され、今や2700社の工務店が導入している、住宅建設合理化システム「アキュラシステム」の存在。15歳でこの世界に飛び込み、以来、さまざまな現場経験を積み、材料や工法などを徹底的に研究してきた宮沢社長の「家づくりに関するノウハウ」をすべて投入したシステム。これを全国の工務店に向けて販売したのだ。

ライバル社にも手の内をすべて明かすことになるため、「はじめは販売するべきかどうか悩んだ」というが、独立したてのころに受けた理不尽な要求、そんな中でも仕事にフェアに取り組む大切さを思い出し、販売に踏み切った。

「地方の工務店でも大手に対抗できるようにしたい。未だ一部で残る『下請けが泣かされる』住宅業界の構造を変えたい…との思いが勝りました。我々は、さらに前進し、また新しいものを生み出せばいいだけのこと」と笑う。

次の目標は「まちづくり」。自ら新しい市場を切り開き続ける

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アキュラシステム以外にも、全国の工務店を組織化した「ジャーブネット」に自社のノウハウを提供したり、住宅建築の資材を一括して仕入れることでコストを抑えるなど、業界の構造改革、活性化に尽力し続けている。

そんな宮沢社長が今、注力しているのは大規模な「まちづくり」だ。

「少子高齢化により、住宅着工戸数は減少の一途をたどると言われていますが、我々の工夫次第で業界を盛り上げることは可能です。“いい住宅”だけでなく“いいまち”をつくれば、こういうまちに住み、豊かな生活を送りたい…と憧れる人が増えるでしょう。成功事例を地方に展開すれば、財政難で学校も病院も商店もなくなり、廃墟化しつつある地域にも人が集まり、活性化できるかもしれません」

これからも、人々の生活を豊かにする方法を一生懸命考え続けたい、と宮沢社長は前を向く。

「これからも立ち止まることなく、頭をひねり、工夫を凝らし、新しいことにチャレンジし続けたいですね」

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:石山慎治

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