誰にでも振りかかる「現代の悪」をつきつける『三つの悪夢と階段室の女王』
一口で言うならば葛藤が主題のサスペンス集である。
増田忠則『三つの悪夢と階段室の女王』は、2013年に第35回小説推理新人賞を受賞した「マグノリア通り、曇り」を含む四作を収めた短篇集だ。増田はこれがデビュー作になる。
予備知識なしに本を手に取り、巻頭の「マグノリア通り、曇り」を読み始めて驚いた。終始緊迫感があり、まったく間然とするところがないのである。ある日曜日、行政書士の斉木の携帯電話に着信があった。電話を掛けてきたのは聞き覚えのない男の声である。男は言う。娘さんを預かりました。ある場所に監禁しました。絶対に発見されない場所です。私が住所を教えないかぎり。たしかに娘の理央は友達の家に遊びに行くと言って出かけたきり帰っていない。
実は、事件の予兆のようなものはあった。一ヶ月前のことだ。学校から帰る途中、理央は見知らぬ男からサバイバルナイフのようなもので斬りつけられたのだ。ナイフはランドセルに刺さったままになり、犯人は逃走した。あれもおまえのしわざか、と詰問する斉木に、男は平然と言い返す。そうです。私が本気だってことを、あらかじめ知っておいてほしくて。
題名にあるマグノリア通りに、電話の男の支持に従って斉木は行くことになる。そこで起きる出来事、なぜ彼がそんな事件に巻き込まれなくてはならなかったのかという理由については実際に読んで確かめていただいたほうがいいだろう。現代に生きる人は自身に咎がなくても突然残酷な事件に巻き込まれることがある。そして、自覚がないうちに他人を傷つける加害者になる可能性がある。決してそんなつもりはなくとも、悪事の加担者になってしまうのである。そうした理不尽な現代の悪のありようを、作者はこの誘拐ゲームを通して描いていく。
二作目の「夜にめざめて」も間尺に合わない事態に巻き込まれた人物が主人公である。〈おれ〉こと高橋は、受験に失敗し、しばらくニート生活を送ったのちにパン工場でアルバイトをするようになった。彼の住むY市ではしばらく前から通り魔事件が頻発していた。高橋はマンションの住人と些細なことで揉めて険悪な仲になっていたが、そのことが原因で通り魔事件の犯人ではないかという密告をされてしまう。娘が重傷を負わされたために有志を募って自警団を組織した児玉という男は、なぜか高橋を真犯人だと思い込み、団員を使って嫌がらせをしてくるようになる。あからさまな形で見張りをするだけではなく、ついにはパン工場にまで手を回してきた。ついに高橋は正常な社会生活が送れないほどに追い詰められることになる。
ネット上の誹謗書き込みによって犯罪者との汚名を着せられた事件など、自らを正義だと思い込んだ人々が暴走した実際の事例を彷彿とさせる内容だ。ここに書かれたことが絶対に起きないと断言できる人は、今の日本にはいないはずである。匿名掲示板では、個人情報暴露や電話による抗議(いわゆる電凸)によって標的の社会人生命を奪おうという書き込みが毎日のように行われている。そうした、おもしろ半分に他罰の権利を行使する人々の小説なのである。
次の「復讐の花は枯れない」は学校内のいじめを題材にした作品で「マグノリア通り、曇り」と似た構造を持っている。表題作的な扱いをされている巻末の「階段室の女王」は状況設定があまりに人工的すぎて私は感心しなかったが(主人公が無駄にリスクの増える行動ばかりとっていて、ご都合主義だと感じる)、その前の三作は非常にすばらしい。主人公が切羽詰まった事態に追い込まれ、なんらかの選択をしなければならなくなる。そこに生じる葛藤の描き方がすばらしく、自分が同じ立場となったらどうするだろうと読者に考えさせる。突飛な設定に見えるが普遍的な出来事をデフォルメして扱っているのであり、いつもは無意識のうちに目をそらすであろう問題点に、顔を押さえつけるような勢いで視線を向けさせてくる。これを読んで胸が騒がなかったら、よほどの聖人君子か、もしくは自分の足元に空いている落とし穴の存在に気づかずに日々を送れている幸せ者か、いずれかだろう。そうではない99%の一般人は、恐れおののきながら本書を読むことになる。
(杉江松恋)
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