心のぶつかり合いに圧倒される〜柚木麻子『BUTTER』
男の方が数が多いからなのか、女の犯罪者に対して世間の注目度はがぜん高くなる気がする。それは理屈としてわかるのだが、なぜ人気を集める(と言うと語弊があるならば、同情を引きやすい)犯罪者とそうでない犯罪者が存在するのだろうか。同性からの同情票が比較的高かった女性犯罪者としては、夫を殺害しバラバラにして遺棄した三橋歌織受刑者が記憶に新しい。もちろん眉をひそめる良識派がほとんどだったとは思うが、「カオリン」というニックネームまで与えられた三橋受刑者が一部の人々を引きつけていたことは忘れられない。私見になるが、夫のDVなどに対してワインのビンでのめった打ちによる殺害という形で反撃した大胆さや、遺体発覚当初は暴力団関係者やマフィアによる事件とみなされたという派手めの話題性などに加えて、三橋受刑者が”背が高くスタイルがよくて、モデルのよう”と称される容姿の持ち主だったことも関係しているのではないだろうか。
そういう意味では女子人気が低い方の筆頭は、本書が書かれるにあたって重要な役割を果たしたことが予想される木嶋佳苗死刑囚であろう。複数の異性と同時に交際し、結婚をちらつかせて金銭を巻き上げ、利用価値のなくなった相手を次々に死に追いやったとされている女だ。佳苗は(と呼び捨てにしてしまうが)、和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚以来久々に現れた大物ヒールといえよう。同じ男がらみの犯罪で、どうしてカオリンは許容され、佳苗は叩かれるのか。が、「どうして」と問いかけながら、私はうすうす答えに気づいている。佳苗はたとえ犯罪者でなかったとしても、同性からは好感を持たれにくいキャラだ。やはりぶりっこというのは嫌われるし、男に貢がせたお金で贅沢をしているような女は不愉快だ。しかし。もし佳苗がいわゆる絶世の美女で体型もスレンダーだったなら。彼女はここまで毛嫌いされることはなかったのではないだろうか。いや、そもそも犯罪者に対して好きも嫌いもないわけだが、木嶋佳苗という人物に関しては容姿についてのバッシングがすごかった(いい子ぶるわけではないが、私はそこまで悪しざまに言うほどではないと思っている。目鼻立ちがはっきりしているし、写真によっては美人といえるような気がする。確かにスタイルがいいとは思わないが)。”あんなぶりっこが男をだましていい暮らしをしているのは許せない(あの容姿で)”のカッコ内が重要ということなのだろう。
本書の主人公である町田里佳は、大手出版社・秀明社勤務。「週刊秀明」編集部で唯一の正社員女性記者だ。物語の冒頭は、映画会社の広報担当だった親友の怜子が夫の亮介と暮らす家に向かう場面。手土産を用意しそびれた里佳は、近所で何か買っていこうかとLINEを送る。それに対する怜子の返事は、最近なかなか手に入らないバターを買ってきてほしいというものだった。しかしスーパーを3軒回ってもバターは見つからず、里佳はしかたなく陳列されていたマーガリンの中から「濃厚さを強調した比較的バターに近そうなもの」を買った…。『BUTTER』という署名からもわかる通り、この小説には繰り返しバターが登場する。ある場面ではエシレバター、ある場面では絵本『ちびくろ・さんぼ』で虎たちがぐるぐる回ってできたバター、ある場面では塩バターラーメンの上にのった四角いバター…。それらの存在は、里佳が追い続ける取材対象者によって強烈に意識させられるようになったものだ。その取材対象者とは、梶井真奈子。首都圏連続不審死事件の被告人。
逮捕時からずっと気になっていた存在である梶井真奈子に取材の申し込みをするべく、何度も手紙を出すが返事は来ない。そんな里佳に怜子は「今度、梶井容疑者に手紙を出す時はこう書いてみれば? あの時のビーフシチューのレシピをぜひ、教えてくださいって」とアドバイスする。「あの時のビーフシチュー」とは、被害者のひとりが亡くなる直前に梶井真奈子が食べさせた料理である(彼女曰く「あれはビーフシチューじゃない。フランス料理のブフ・ブルギニョンよ」だそうだが)。彼女はグルメで、男たちにも手作りの料理を気前よくふるまった。そして、バターに対する執着は人一倍だった。
常に優位に立とうとする梶井真奈子と、彼女に翻弄されると同時に脂肪を蓄えていく里佳。ノンフィクション・ノベルもの風に進んでいくのかと思いきや、中盤で意外な展開をみせ、意外な結末にたどり着く。この物語に厚みを与えているのはやはり、梶井真奈子や里佳をはじめとする登場人物たちの心と心のぶつかり合いだろう。控えめに言って、圧倒された。
ところで、この文章を書くにあたって木嶋佳苗の名を検索してみたところ、彼女のブログがいちばん上に来た。拘置所で過ごす死刑囚がどのような方法でブログを運用するのか知らないが、『BUTTER』に対して相当ご立腹であることが伝わってくる内容となっている。ノンフィクションならともかく小説として書かれたことにそう目くじらを立てずとも…という気がしなくもないが、実際にフィクションと現実を混同する読者もいるのだろうし、事実に反していたり木嶋家の方が不快に思われていたりするようなことがあるならそれはそれで妥当な言い分かもしれない。それでも書かずにいられなかった柚木麻子の作家としての業と、木嶋佳苗がきっかけで命を落とすことになった被害者の方々の無念を思う。
(松井ゆかり)
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