スペランカー、カイの冒険…道を切り開く鍛錬をファミコンが教えてくれた | メディア・アクティビスト 津田大介さん

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1983年7月に発売されて国内の累計販売台数は約1935万台、テレビゲーム機として革新的成功をおさめた「ファミリーコンピュータ」ことファミコンは、さまざまな社会現象を巻き起こし、テレビゲーム機の娯楽の枠を超えたカルチャーを生み出し、当時の子どもたちの生活の一部であった。

幼少期のファミコンでの遊びをとおして、友だちと一緒に笑い合い、駆け引きをしたり、あるいはケンカもした読者諸氏も多いことだろう。そんなファミコンとともにあった原体験は、実は今を生きる私たちの人生観や仕事観に大いに影響を与えてるのではないか? 本連載では、そんな確信をもって、さまざまなシーンで活躍されているビジネスパーソンや著名人にお話をうかがっていく。

第3回にご登場いただくのは、ジャーナリスト/メディア・アクティビストとして多彩な執筆活動をはじめ、マスメディアでコメンテーターとしてもご活躍されている津田大介さん。現在の余人に代えがたいポジションを築かれていく上で、ファミコンで培った鍛錬がその原点にあることがわかった――

ファミコン本体より先に買ったはじめの一本

『エレベーターアクション』

――ファミコンはいつ頃から遊んでいましたか?

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僕は1973年生まれでファミコンが出たのが1983年、だから小学4年生の時ですね。もともとゲームは好きでした。その前にすでに『スペースインベーダー』がアーケードゲームで登場して大ブームになって、うちの地元の近くには駄菓子屋さんがあったのですが、そこに行けばすごく安くゲームが遊べたんですよ。その時は『ドンキーコング』なんかも盛り上がっていました。

あと実家のすぐ裏に銭湯があって、そこに行くとテーブル筐体のゲームが設置されていて、家族で行くとたまに「やってもいいよ」なんてのも良い思い出です。そこで『ギャラクシアン』に夢中になったりね。

そんななか、小学校のクラスで裕福な子がいて、たぶん小2か小3だったかな、その子の家にはエポック社の『カセットビジョン※』などのゲーム機が複数あって、その友だちの家で夢中になって遊んでテレビゲームの魅力にハマっていきました。

※編集部注:カセットビジョン……1981年発売。ファミコンが登場する1983年までの間で日本で最も売れた家庭用ゲーム機。

――ファミコン本体は発売してすぐに買われたのでしょうか。

本体を買ってもらったのは少し後だったのですが、あまりにもファミコンがやりたくて、親にお願いしてカセットだけ先に買ってもらいました。僕らの時代はそういうこと多かったですよね?本体は持ってないけど、カセットは買ってもらうっていう。初めての一本は『エレベーターアクション』でした。

その後本体と一緒に買ってもらったのが、『おにゃんこTOWN』。ちょうどおニャン子クラブが盛り上がっていた時期なのに、それと関係ないクソゲー(笑)。あとはジャレコ『フィールドコンバット』なんかです。

難易度の高いアクションゲームを好んで遊んでいた

――わりと玄人受けするゲームを好まれていたのですね。

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とくに一番思い出深いのは『スぺランカー』でした。当時ファミコン雑誌でも叩かれまくってたじゃないですか、「あまりにも主人公が弱すぎる」って。でも僕はゲーム設定に興味をひかれたし、プレーするのは本当に難しいんですけど、すごく好きでした。やり込んでいくうちにだんだんとできるようになっていくところが特に良かった。それだけに、初めてエンディングのピラミッドが出てきた時は本当に感動しましたね。

ということもあって、結局ファミコンで好きだったのは、プレーヤー的にちょっとマゾっぽい、難易度の高いアクションゲームでした。

ちなみに僕は『ゼビウス』『ドルアーガの塔』といった作品のゲームクリエイター・遠藤雅伸さんをリスペクトし過ぎて、あるファミコン雑誌の付録の遠藤さんのポスターを部屋に貼っていたほどなんです。しかも「遠藤さんの後を追って、オレも千葉大に入ってゲームデザイナーになるんだ!」なんて思ってましたから。僕が好きな難易度の高いアクションゲームだと『カイの冒険』も遠藤さんの名作のひとつです。

――ファミコンでの原体験が今につながっているようなところはありますか?

僕ってもともとそんなに器用な方ではないんです。でも、何事もやり続ければだんだんと上手くなる、ということは身に付いたと思います。それこそ『スペランカー』とかまさにそうで。最初は一面すらクリアできないのですが、難しくてもやっていくうちに、それを繰り返していけば、意外と乗り越えられるんだな、というのはありますね。

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仕事でもそういう場面って結構あると思います。最初はできないことでも、地道にコツコツやっていけば、なんとかなるものです。ただ、その境地にたどり着けるゲームは限られたかな。そんな中では『飛龍の拳』シリーズも好きで、あれはシリーズ全作クリアするぐらい極めました。

「自分だけがこのゲームに注目している」という中二病

――ゲームの好き嫌いの境目ってありましたか?

とりあえずいろいろなジャンルのゲームをひととおりやってはいるんですけどね。『ファミスタ』も結構やりましたし。ただ、シューティングはあんまり得意じゃなかったかな。そういう点ではやっぱりスクロール型アクションでしょう。『スペランカー』をはじめ『カイの冒険』にしても、『スーパーマリオ』シリーズももちろん好きでした。やっぱりゲームの王道です。そんななかでも『ヒットラーの復活』は一押しの名作ですよ。

あとはRPGですが、『ミネルバトンサーガ』はメジャーとは言えないですけど、ほんと面白かった。あのRPGの斬新さといったら、制作者の矜持というか、RPGを革新してやるんだという感が溢れていてすごかった。

たとえば『ドラクエ』シリーズだと、街で会話したら基本的に会話内容って変わらないじゃないですか、同じセリフを繰り返すというか。そこが『ミネルバトンサーガ』は変わるんです。かなりセリフが変わって、そこが違うなっていうのとか、あと戦闘もすごかった。傭兵を使ってやるんですけど、すべての戦闘において「逃げる」のコマンドを選べて、しかも100パーセント逃げられる。ただそこで面白いなと思うのは、逃げ続けると敵との遭遇確率が上がるんですね。だから逃げ続けてると、1マス進むだけですぐ戦闘シーンになっちゃう。

――津田さんにとってのファミコンとは?

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さっきまで名前をあげてきたゲームがわりとあてはまるんですが、みんなは注目してないけど、「俺はこのゲームに注目してるんだぞ!」というか、「俺だけがこの面白さをわかってるんだ!」という中二病のようなものがありましたよね。

高校に入ってからも、ファミコンは部活の友だちとずっと『エキサイトバイク』とか『バレーボール』とか、ディスクシステムの対戦型スポーツゲームで遊んでました。まあなんか、ファミコンってコミュニケーションツールでしたよね。友だちとそうやって遊べたわけだし、そもそも「ファミリー」ってついてるくらいだし。まあ、僕にとってとにかく青春のすべてでしたから、ファミコンは。

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取材・文:深田洋介

1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。

http://famicom.memorial/

撮影・編集:鈴木健介


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