世界全体・歴史全体を外側から描くSF──その最高到達点

世界全体・歴史全体を外側から描くSF──その最高到達点

 キム・スタンリー・ロビンソンの《火星三部作》がついに完結した! 各作品がなんらかのSF賞を受賞している、SF史に残る名作だ。

 といっても、原著の完結はもう二十年前なのだけど。邦訳もかなり前に原稿ができあがっていたものの、版元の事情によって第三巻目にあたる本書『ブルー・マーズ』だけが伸び伸びになっていた。待ち焦がれていたファンも多いことだろう。

 第一部『レッド・マーズ』の邦訳が1998年、第二部『グリーン・マーズ』が2001年。それから16年も開いたせいで「いままでのストーリーを忘れてしまったよ!」と青ざめているひともいらっしゃるだろうが(私もそうでした)、なに、心配ご無用。本書の巻末に、渡邊利道さんの行きとどいた「解説」があり、そこで『レッド』と『グリーン』のおさらいをしてくださっている。これを読めばじゅうぶんだ。

 もちろん、《火星三部作》をはじめてお読みになる読者は、第一部から順に取りかかってもよい。あるいは、いきなり『ブルー』から読み(渡邊さんの「解説」を随時参照すれば迷うことはないと思う)、面白かったら遡って先行巻を読むのでもかまわない。

 これは火星に植民した人々が、自分たちの生活と社会を築きあげ、地球から独立を果たすまでの物語だ。世界各国から選び抜かれた科学者集団〈最初の百人〉の火星到着からはじまり、現地で生まれた子孫の四世代目へと至る。およそ二百年のスパンだが、医療技術の発達のため〈最初の百人〉のうち何人かは最後まで存命だ。とくに火星の緑化を推し進めようとしているサックス・ラッセルと、火星のもともとの環境を保持すべきと主張するアン・クレイボーンが、三部をつうじての主人公となる。ただし、物語全体は単線的に語られるのではなく、さまざまな人物の理想や思惑が交叉する、複雑な群像劇である。

『ブルー・マーズ』は、火星側が地球の治安部隊を軌道上まで押し返したところからはじまる。このまま無血革命が達成されるかというところで、火星環境保持派(「レッド」と呼ばれる)のうちの過激な分子が宇宙エレヴェーターの破壊を企てる。地球からの支配を一気に断ちきろうというのだが、これによって穏健派が進めてきた和平交渉が暗礁に乗りあげてしまう。エレヴェーター残骸の落下により、火星環境へ甚大な影響が及ぶことも懸念される。

 地球外植民地の地球からの独立を描いた名作SFといえば、ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』が有名だ。こちらの作品では、独立する月世界が一本の糸としてまとまっていた。それに対して《火星三部作》の火星は、いくつにも分裂している。火星対地球の図式よりも、火星のなかでの葛藤のほうにウェイトをおいて描かれていく。そこで浮上するのは、国家もなく、自然発生的ないし伝統的な政治単位もない場合、誰が統治するのかという問題だ。ロビンスンは、特定のイデオロギーや共同体規範へと収束させず、世界全体を扱おうと試みる。

 作者が「世界の外」「歴史の外」に立ち、その全体を描こうとする欲望。それはSFというジャンルに固有のものではないが、SFがほんらい備えている性質「世界のモデル化」と結びつきやすい。素朴なものでいえばアイザック・アシモフの《ファウンデーション》シリーズやロバート・A・ハインラインの《未来史》シリーズがある。しかし、ヴェトナム戦争以降、あるいは冷戦の終焉以降、「世界全体」「歴史全体」はより複雑なものになった。いくつもの思想・文化・宗教・生活スタイルが動的に拮抗・干渉するさまを描かなければ、相応のリアリティを獲得できないのである。これは私見だが、二十一世紀のSFはすでに世界全体・歴史全体を描こうという欲望から解放され、むしろ作者の視点が世界の内側にあって局所的な状況を扱うことで訴求力を獲得していると思う。

 おそらくロビンスンの《火星三部作》は、SFが「外側から世界全体・歴史全体を描こう」と思えた時代の到達点だろう。ひるがえっていえば、この《三部作》によって「外側から全体を描く」欲望はとどめを刺されたのである。

 渡邊利道さんは本書の「解説」で、つぎのように指摘している。

 火星三部作では、いかにも九〇年代のアメリカに相応しく、西欧社会のみならず、イスラームや東洋などの価値観を尊重する多文化主義に貫かれた、自由と多様性を奉じる民主主義的な信念と、企業中心の資本主義社会を脱し、贈与と協同による新しい経済システムを模索する「革命」が描かれる。次々に襲いかかる困難や挫折を乗り越え、力強く立ち上がっていく人々の姿は感動的だ。しかしまた、地球では既成のさまざまなしがらみによって難しいが、火星ならば新しい世界を作ることができるという発想そのものがどこかアイロニカルであるのは間違いない。(略)この見通しの暗さは、八九年からはじまった東欧の自由化が期待させた政治的な夢が、九二年から九五年のボスニア紛争の泥沼によって徹底的な幻滅を被ったことも、同時代的な背景として存在しているのだろう。

 この「多文化主義」と「アイロニー」によって、ロビンスンはそれぞれに価値観が異なる多くのキャラクターを登場させ、そのあいだに生じるたくさんのエピソードを紡がなければならなかった。また、政治や文化だけではなく、科学的発見やテクノロジー面での発展も、かなり子細に描きこまれている。その分野も、火星を開拓するうえで必要な環境技術、人体のほうを適合させるための遺伝子工学はもとより、脳科学や宇宙論にまで及ぶのだ。

 それだけのことを詰めこめば、どうしてもボリュウムが必要となる。《三部作》最終巻の『ブルー・マーズ』だけでも、千二百ページを超えているのだ。長くて読みにくいということをいっているのではない。「外側から全体を描こう」という欲望は、結局満たされることのない飢えのようなもので、どこかで見切りをつけなればならないのだが、誠実な作家であればあるほど見切ることに躊躇する。しかも、時代が進むにつれて考慮すべきファクターが増え、そのレベルがあがっていく。

『ブルー・マーズ』は、「あまりに複雑で非暴力的だったのでそれを革命と見きわめることも難しい第三次火星革命」で終わる。第一次革命(『レッド・マーズ』)と第二次革命(『グリーン・マーズ』)が大きなスペクタクルとして描かれていたのと対照的に、第三次革命は事態そのものの叙述はあっさりと終わり、物語はひとりの人物の心情へ寄りそっていく。ロビンスンは大きく広がるばかりの「全体」を、ひとりの登場人物のドラマへとりあえず集約させることで、形式上はきれいなピリオドを打つことに成功している。小説づくりの優れたバランス感覚のなせる技だ。

(牧眞司)

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