なぜ、熊本の被災地にテント村を作ったのか?―登山家・野口健氏の仕事論

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のぐち・けん

1973年、アメリカ生まれ。 亜細亜大学卒業。高校から登山を始め、1999年に25歳でチョモランマの登頂に成功し、当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立。エベレストや富士山の清掃活動など環境問題にも取り組んでいる。東日本大震災、ネパール大震災、熊本地震で支援活動を展開。著書に『世界遺産にされて富士山は泣いている』(PHP研究所)がある。

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東日本大震災など、

災害時の支援活動でも知られている 登山家の野口健氏。

最近では、熊本地震での「テント村」が

大きな話題となった。

なぜ、被災地で支援活動を始めたのか。

シェルパの「恩返ししたい」のひと言に、支援を決意

昨年4月、熊本県で震度7の大地震が起きたとき、僕はたまたま日本にいました。“たまたま”というのは、いつもその時期にはエベレスト登山のため、ヒマラヤにいるからです。ちょうど2年前の4月にネパール大地震が起きたときもそう。やはりヒマラヤにいました。

そのときはエベレストに向かう標高4500メートルの斜面で大地震に遭遇。地面が大きく揺れた後、大小さまざまな落石が上からころがってきて、どうにかよけながらシェルパ(ヒマラヤの現地人登山ガイド。もともとはネパールの一民族を指す)と一緒にふもとの村に降りたんです。家屋が何軒もつぶれていて、そこは惨状でした。一緒に登山をしていたシェルパの村も多くの家屋が潰れ、瓦礫の山になっていました。その後、余震が続く中、被害の状況を日本に知らせようと村々を歩いて回りました。倒壊の状態を調べるうちに、「地震で被害にあった人のために基金をつくろう」と気持ちが固まっていったんです。

立ち上げた「野口健 ヒマラヤ大震災基金」には3週間で6000万円、半年後には1億円もの寄付が集まりました。村々のリーダーたちと協議を重ねた結果、再建費用として一世帯当たり平均1250ドル(日本円で約16万円)を村の組合を通して村人に行き渡るように手配。その後も、学校やお寺など修復しなくてはならないものはたくさんあります。ヒマラヤ震災支援プロジェクトは、今も継続中です。

熊本地震が起きたのは、ヒマラヤでの活動で心身ともに疲れ果て、日本に帰国していた時のことです。ニュースで地震の速報を知って、とっさにこう思いました。「この地震、僕は何もしなくていいよな…」と。それぐらい疲れ切っていたし、ヒマラヤと同時に熊本を支援するのは無理だとも思いました。しかし、余震のせいで被害がどんどん増していく様子を目にするたび、「本当に動かなくていいのか」と心の中で葛藤があったのも事実です。「野口さん、熊本、大変なことになってますね」なんて声をかけられるたびに、「熊本もやりますよね」と言われているような気がして、つらくて、つらくて。

そんな僕を動かしたのが、ヒマラヤで一緒に活動したシェルパのひと言です。本震から3日後のこと、親しくしているシェルパから携帯に電話が入りました。「ほんの少ししかお金を送れないけど、日本の皆さんに恩返しがしたい」と。その後すぐに数人のシェルパから3万円、5万円とお金が送られてきたんです。5万円はネパールでは月収に当たるお金です。そのシェルパの言葉にやられました。シェルパもとても苦しい中、恩を忘れないで行動している。それなのに自分はどうなのか。ヒマラヤでの地震の時にたくさんのお金を日本の皆さんから送っていただいたのに、僕は恩返しをしないでいる。自分が恥ずかしくなりました。それで決意したんです。僕はツイッターに書き込みました。「熊本、やります。まずはテントを集めます」と。

前例のないテント村。毎日が試行錯誤の連続だった

熊本地震では、地震が起きてすぐに避難所がいっぱいになってしまい、車中泊を余儀なくされる人が数多く出ていました。その映像を見ていたら、ヒマラヤの被災地でテントが役に立っていたのを思い出して、熊本でテントを配ろうと考えたんです。

すぐさま自分で100張購入し、ツイッターでもテントを募集したところ、様々な方がテントや寝袋を提供してくださいました。現地に届けるのは、僕が環境・観光大使を務める岡山県総社市の片岡聡一市長が請け負ってくださるという。しかし、問題がありました。テントを扱ったことのない人が、自分で設置できるのか。適した場所選びができるのか。そんな不安を片岡市長に話したら、「テント村をやろう」と提案してくれたんです。設置場所を確保し、100張ほどのテントを設営して、車中泊の人を中心に入居してもらう。妙案でしたが、実現するまでにはたくさんの壁がありました。いや実現してからもです。何しろ前例のないことですから、毎日が試行錯誤の連続でした。

テント村は、被害が甚大で車中泊を余儀なくされる人が多かった益城町で運営することを決め、町長さんの許可も得たのですが、いざ設置しようとすると、現場の人まで話が通っていなかったり、設置場所である運動公園の管理事務所の間で意見が割れたりと、一進一退を繰り返しました。非常時ですから混乱は仕方のないことですが、前例のないことをやるのは非常に難しいことなんだと実感しましたね。

一番、問題視されたのは「公平性」です。テントを設営しようとしたとき、公園の管理事務所の人から「車中泊の人は全部で何人いるのか、調べましたか」と言われ、非常に困りました。「600人しかテントに入れないなら、車中泊の人がすべて入れないんじゃないのか。入れなかった人はどうするのか」と問い詰められもしました。確かにそういう意味では公平ではありません。でも、「すべての人を公平に受け入れられないのなら、すべてダメ」というのはどうなのか。

テントが設営できても、町全体に広報する手立てはありません。僕たちは運動公園の周辺に車中泊する人に声をかけたり、チラシを車のワイパーにはさんだりしたのですが、完全に公平かというとそうではない。援助物資もそうです。全員に同じように同じ分だけ配れるかというとそんなことはありません。テント村では基本的に「早い順」でした。アナウンスをして、取りにこられた順に配ります。そういうことが「公平性がない」と問題視されたんですね。

ただ、実際にその配り方でけんかになったり、不満が出たことはありませんでした。みんな譲り合っていましたからね。ときには避難所にいる人が取りに来ることもありましたよ。避難所では水1本でも長い列を作って並ばないとならない。でもテント村ならさほど並ばずに必要なものだけ選んで持っていけるから非常に助かると。実は、テント村には救援物資がたくさんあったんです。避難所では全員分の数がないと救援物資を受け取れないため、行き場がなくなった救援物資がテント村に回ってきていたんですよ。

もちろん公平性は大事です。でもそれは平常時でのこと。非常時は、「全員助けられないなら助けない」ではなく、「目の前に困っている人が一人でもいるなら助ける」ことが優先されるべきじゃないでしょうか。こういう時は、臨機応変さが大切なんです。厳密にやると何もできないですよ。

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テント村は5月まで続いた。

その間、一人の救急搬送も、

心配されていた犯罪もなく、

テント村には、笑いが絶えなかったという。

成功の要因は何だったのか。

ネガティブな雰囲気をどう払しょくするかを、いつも考えていた

テント村を運営する上で、一番大切にしていたことは「明るさ」です。雰囲気はすごく大事。極限状態の時は明るいほうがいい。そのほうが絶対うまくいきます。被災された方はいつ家に帰れるのか、仕事はどうなるのか、ものすごい不安を抱えています。だから、ネガティブな雰囲気をどう払しょくするかをいつも考えていました。さいわいテントは見た目も華やか。色鮮やかでなんとなくゴージャス感がある。そういう視覚的なものも大事です。だから、こいのぼりや風鈴を飾ったり、楽しい空間づくりを心がけていました。

ストレスをどう払しょくするかも大きな課題でした。最初にぶつかったのがトイレ問題。特に女性はトイレの滞在時間が長いから、不衛生で臭いトイレに対して、ものすごいストレスを感じるんです。長く車中泊を余儀なくされていた人たちはエコノミークラス症候群を防ぐために、たくさんの水を飲まなくてはならない。それなのに、トイレが汚いと水を控えようとしてしまう。どうしたものか困っていると、救いの手が現れました。知人を通じて災害用のトイレ「ラップポン」を5基寄付してもらったんです。これがすごいんですよ。排泄物が完全にラップされて出てくる。非常に衛生的で、臭いの問題もなくなりました。

もうひとつは娯楽。楽しむことって、どんなときもすごく大事。体育館の避難所では、声が響くからみんな静かにしていなきゃならない。子どもの笑い声もうるさく感じるみたいで、どなられたりする。子どもにとっても親にとっても、ものすごいストレスだったそうです。キャンプ村はもともと運動場ですから、空き地で子どもたちがボールを蹴って遊ぶこともできる。今後のことを心配していた親御さんも、遊んで笑っている子どもの姿を見ると希望がわいてくると。お年寄りも、子どもたちが笑っている声を聞くとなんだか楽しい気持ちになると言っていました。そういう明るさって、いろんなことを好転させますよね。

運営スタッフもそうです。僕らが倒れるわけにはいかないから、交代で市内のホテルに帰って休養する日を設けていました。テント村ではスタッフは救援物資を食べるわけにはいかないので、持ち込んだカップラーメンを食べていました。でもそれだけだと飽きるでしょ。ホテルに戻ったときにはおいしいものを飲んで食べて、楽しむようにしていました。ボランティアで被災地に行くと、すべてを犠牲にしなくちゃいけないと思われがちだけど、それでは身も心ももたない。なにしろ長期戦ですから。定期的に休みをとってストレスを発散しないと続かないんです。僕も休みの時はホテルに戻って、夜は居酒屋で楽しく飲んでましたよ。

スタッフには「キャパを超えて頑張ってはいけない」と言っていました。日本では我慢は美徳になっているけれど、我慢ばかりしていたら、ストレスで健康を害してしまいます。テント村は幸いなことに600人いましたが、緊急搬送された人はゼロでした。もちろん食料や水などの救援物資が潤沢にあったことや、救命救急士や針きゅう師の方々が頻繁に見回ってくれたこともあります。それに加えてストレスのない生活を送れたことも大きかったと思うんです。

キャンプ村のポリシーは「今日よりも明日をよくする」。今日できなくとも、明日できればよし、としました。なんでも最初から完璧に、では何事も始められません。まずはやり始めて、「走りながら工夫していくこと」が大事です。もちろんやり始めるときには、いろいろなリスクを想定しますが、実際にはやってみて初めて気づくこともたくさんあるんです。特に困っている人が何を求めているかということは、直面してみないとわからないことが多い。トイレの問題とか、そうですよね。「清潔なトイレで、人の表情がこんなにも明るくなるんだ…」。これには本当に驚きました。

やらない言い訳を自分にするのも、やるのと同じくらいエネルギーを使う

テント村の運営には、本当に多くの方のお力を借りました。「どうしてそんなにいろんな人を巻き込むことができるのですか」とよく聞かれますが、巻き込むんじゃなくて、押しつけてるんです(笑)。最初に「やります」と宣言するでしょ。でも、実際には金がない、物がない、人がいない。それで、片っ端から「頼む、頼む、頼む」と言いまくる。テント村が始まっても、「あれがない、困った、困った」と連絡しっぱなしです。でも、実際に動いて困っていると、見かねて助けてくれる人がいるんですよ。だからまず、始めることが大事。あとは、走りながら考えればいい。

誰かに支援を求めるときには、「できること」と「できないこと」を明確にしておくといいですよ。「自分たちでこれはやっているんですが、これは無理なんです」と言うと、援助する人も手を差し伸べやすくなります。

壁にぶち当たったら一人で抱え込まないこと。ミスをしてしまって動けなくなったら、周りの人に助けを求めることです。テント村にもいろんな専門家がきてくれていたので、困ったことがあると、その都度いろんな相談をしていました。その専門家の方がいろんな人を紹介してくださって、なんとかなったんです。いろんな人を巻き込んでいけば、どんな壁でも乗り越えられるものです。

失敗するのが嫌で何もできない人がいると思うけど、気持ち、わかりますよ。僕も熊本の支援を決断するまで、1日迷いましたから。僕の場合はできるかなという不安でした。でも、やらない言い訳を自分にするのも、やるのと同じくらいエネルギーを使うんです。どうせエネルギーを使うんなら、やったほうがいい。たくさんの発見があるし、何より人の役に立ったとき、本当に嬉しい。そして次にやることも見つかります。自分の役割って、人に感謝されることで見えてくるものだと思うんですよ。

『震災が起きた後で死なないために 「避難所にテント村」という選択肢』野口 健著

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熊本地震のテント村。車中泊を余儀なくされる人をエコノミークラス症候群から救いたい。そんな思いで始めたテント村の運営だったが、前例のないことだけに、さまざまな壁が立ちはだかっていた。被災地の現場では、実際に何が起きていたのか。極限状態で人々はどんなことに不安を感じ、どんな行動をとるのか。東日本大震災、ヒマラヤ地震、熊本地震と、大災害の地に自ら赴き、支援をしてきた登山家・野口健氏だからこそ語れる本音が満載。「極限状態こそ明るさが大事」などビジネスにも使える話が多い。先行き不安な時代に「生きる力をつけたい」ビジネスパーソン必読の書。

(PHP新書)

※リクナビNEXT 2017年5月19日「プロ論」記事より転載

EDIT/WRITING 高嶋ちほ子 DESIGN マグスター PHOTO 栗原克己

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