【ラーメン系譜学】吉祥寺ホープ軒本舗を抜きにして戦後ラーメン史を語るべからず【豚骨醤油の誕生】

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営業しているお店が1軒も載っていない、常識を覆す衝撃的なラーメンガイド本として、拙著『ザ・閉店』が、当サイト『メシ通』にて紹介された。

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その中で、著者である私・刈部山本がインタビューを受けているが、それが縁でこのたび、こうして『メシ通』で連載をやることになった。

そんな自分がやれることといったら、まぁ閉店した飲食店を巡るってのが筋になるだろうが、ただ営業していないお店を紹介するだけじゃあ芸がない。

『ザ・閉店』は元々ラーメン店以外にも大衆食堂や酒場、町中華も取り上げる予定だったが、掲載店をリストアップしたらドエラい数になってしまい、ラーメン店のみに絞った。

じゃあそれをどういう順番で掲載するかとなった時、豚骨とか背脂って普通にジャンルで分けていたら、自分がラーメンを食べてきた歴史の時系列となった。

ここでふと思った。

てことは、閉店したお店から修行先や影響を受けたお店をたどっていくと、ラーメンの歴史を追うことになるんじゃないか。

流行り廃りのあるラーメンのトレンドの中で、どうしてアノお店・アノ味は消えていったのか、そのブームはどこから生まれたのか、そのルーツはどこにあるのか。

そんな疑問と興味からこの連載が生まれた。

屋台〜ホームラン軒時代

環七ラーメン戦争と呼ばれたブームが巻き起こった1980~90年代、背脂豚骨醤油ラーメンばかり流行ったラーメン専門店。

そのルーツは今も吉祥寺の路地裏で営業しているホープ軒本舗となる。

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▲吉祥寺・ホープ軒本舗の現在の佇まい

こうした背脂豚骨醤油の歴史は以前『背脂番付』という拙著で俯瞰(ふかん)したことがあるのだが、その時からずっと抱えていた自分なりの疑問だった。

だったら、ホープ軒本舗に直接、現在に至る話を聞いちゃうのがよかんベ。

というわけで、さっそく取材を申し込んでみた。

すると、なんとホープ軒本舗創業者・難波二三夫氏の長男・難波公一氏が直接応えて下さるというではないか!?

まさかの一発目にしてレジェンドを一番身近で知る男の登場である。

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いきなりのラスボス登場感にたじろいだが、気さくに迎え入れてくれ、終始和やかなムードでインタビューは進行した。

── まず知りたかったのがホープ軒本舗の場所の変遷です。現在の場所で営業される前に、ハモニカ横丁(※吉祥寺駅前で今なお戦後闇市の雰囲気を残す、狭小店舗が密集する一角)で営業されていたと聞いたことがあるのですが……。

「やってない!」(以下、カッコ内コメントはすべて難波氏)

── えぇ!?

「みんな間違えてんだな。いま北口のロータリーのところに、三角地帯のコバルト商店街というのがあって、そこでホームラン軒として店舗を構えてやっていたんだけど、52年前(1965年、昭和40年)に一度撤退して、ホープ軒本舗として戻ってきたのが昭和53年」

── 勘違いしていました。そもそもは難波さんのお父さまがラーメンの屋台を開業したのが、吉祥寺ホープ軒本舗のはじまりと聞いています。

「そもそもは戦前に錦糸堀と言われた、今の錦糸町駅前に貧乏軒として昭和10年頃から屋台を引き出したの。貧乏軒っていうのは貧乏の風体をした屋台ってことだね。大学出ではないけど古着屋さんにいって詰め襟の学ラン買って、苦学生のような格好で夜、屋台を引っ張っていたと。これが結構繁盛したみたいよ」

先代(難波氏の父親)は、ラーメン店以外もリヤカーを引いて雑貨売りをしたり、三池炭鉱にも出稼ぎにも行ったという。そして、かつて河岸があった日本橋から移設されたばかりの築地で働いていた時、召集令状がかかる。

戦後スグは盛華公司(せいかこんす)というラーメン店を、用(よう)という中国人になりすまし営業(1958年=昭和23年開業)。その後は「特一番」というお店を少しやっていたが、勤めていた人間が名称を勝手に登記してしまい、屋号の変更を余儀なくされる。そのときつけたのが、ホームラン軒である。これは当時、戦地から引き上げてきたプロ野球の鉄人・川上哲治らの活躍にあやかり、当時文部大臣の知り合いがつけてくれたものだという。

先代は、吉祥寺のコバルト商店街で10年ほどホームラン軒として営業。その後、支店を増やすも、戦後復興の拡張計画やらでお店を畳むこととなり、再び屋台を引いて出直すことになる。

「オヤジと一緒に屋台を引いていたよ。ちょうど任侠者の映画のオールナイト上映が全盛の頃でね、中野駅前とかでやっていたら土曜なんかはひと晩で700~750杯出たかなぁ。高円寺にも出たし。中野は、南口から歩いた杉山公園の裏あたりに寮や銭湯があったから(屋台としてのニーズがあった)ね」

かくしてホープ軒誕生す

「それでホープ軒本舗として今の吉祥寺の場所に戻ってきて、一から希望を持ってという意味で、希望軒じゃあれだってんで、“ホープ軒”。この頃にのれんが、今の黄色×赤になった。昔は赤い字で書くと赤字になるっていうんで商売では敬遠されたんだけど、他人が使ってないんだったら使おうってんで。なんたって目立つから」

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── 中華料理店の店内というとテーブル席メインだが、現店舗のカウンター式の店舗は、やはり屋台がヒントなんでしょうか?

「ラーメン屋さんでオープンカウンターというのはたぶんウチが最初。戦前からお寿司屋さんとか天ぷら屋さんのようなちょっと食べられるというのはオープンカウンターだったから。フロアだと忙しい時移動とか大変だけど、現在の店舗の15席だと3人従業員いれば十分(回せる)でしょ」

── 店舗と言えば、行列で並んでる時に鏡越しに声を掛けられるのが印象的でした。

「ウチのお店、間口は9尺だから2m70cmしかないけど、広く見えんじゃない? だから、一つの演出」

── あ、そういう意味もあったんですか!?

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▲看板の前に並んでいると、店員さんから鏡越しに注文を聞かれる

白濁スープの秘密は……

── 昔、ホープ軒のスープは豚骨の臭いがかなりキツかったと聞いたことがありますが、屋台の頃から既に豚骨を強く炊くスープだったのでしょうか。

「厨房の作りというか、最初のうちは(吉祥寺のホープ軒本舗として戻ってきてから)こんなに長く商売できるとは思っていなかったの。だから厨房の設備なんかをあまりちゃんとしなかった。だから、今振り返ってみれば確かにブタ臭かったね」

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▲中華そば、650円。以前は支那そばと言われた醤油ラーメンよりも薄茶色に濁っていて、かといって九州豚骨ラーメンのように白くもないのが、豚骨醤油ラーメンの特徴。よく炊きだされた豚骨ダシが効いてほのかに甘く、まろやかな口当たりと油のパンチのバランスが超ヤバすぎるウマさ!

味わえば味わうほど、ホープ軒本舗のスープは独特である。材料をケチらずスープを炊いているので、どうしても出汁の材料となる豚の肉片や骨のかけら、ニンジンなどの野菜片といったものがスープに混ざった状態となる。

これが出ないようにするやり方もあろうが、自分の経験則でいうと、こうしたツブツブが散見できるラーメンは、よく煮込まれてチャンとうま味が出てマジウマな確率が高い。

ホープ軒本舗でも特にここ吉祥寺本店は20年近く食べているが、いつもそれを感じるのだ。

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▲コレコレ、よく見るとスープのところどころにツブツブが!

── ホープ軒本舗の味わいの特徴はやはりスープだと思います。昭和の屋台の頃の味と今の味ってどう違うんですか?

「一緒! 全く一緒」

── 吉祥寺以外の、高円寺店や大塚店も? お店ごとに仕込んでるんですか?

「そうそう、お店ごとに仕込んでる。でも入っているものは一緒だね」

── でもそれぞれ味が違うなと思うんですけど……。

「それはね、場所によって出る数が違うから。ここ(吉祥寺)みたいに500~600杯出る仕込みをすればいいけども、出ないのにそれだけの仕込みすると、クドくなるというか。吉祥寺と同じもの使っていても、出る数によって、それこそ高円寺の方で平均200~250杯のところに、5~600杯の仕込みをしてもおいしいもんは出来ないの」

── なるほど。

「家で作りたいってたまにお客さんから言われるんだけど、例えばカレーを作る時に5人家族だったら5人前作るじゃない。カレーショップだったら1日5~600人前出すお玉一杯分と、家庭5人分のお玉一杯分とじゃ、同じ味は出ないじゃない。だから、支店によって出る数で、味が決まってくる部分はあるかなぁ」

── そうだって知れば、納得です!

「結局ね、火加減なんだよな。今みたいな白濁した豚骨になったのはね、仕込みをしていて、本来は火を弱くしなきゃいけなかったの。だけど他のことに没頭してて、煮すぎちゃったの。それで白濁しちゃったの」

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▲厨房にある寸胴。熱効率がよくなるよう、下部分が覆われていることで、よく炊けるのだ!

── スープの誕生秘話をお聞きして驚きました。まさか、九州豚骨ラーメンや、和歌山ラーメンの井出商店と全く同じ、白濁豚骨の由来だったとは。

「捨てるのももったいないしね、ダメ元でオヤジ、やって(ラーメン作って)みるかと。それでまぁブタの臭さもないし、意外と味がしっかりするしね。だけど、中身はほとんど変わらない。和風にして、煮干しとか鯖(サバ)節とかいろんなものを入れる所あるけども、今でこそ豚バラだけだけど、昔は二種混合で鶏も入れたし。それにね、頭も使ってたの、豚の頭。あれがいい味出るんだな」

── 同じホープ軒でも、村山ホープ軒(東京都武蔵村山にある村山ホープ軒)は今でもしっかり豚骨の風味が強いし、それに麺も太いですね。

「村山をやってるのは姉の連れ合い。あれ(豚骨や麺の太さ)は向こうの好みでやってるの。阿佐ヶ谷は妹なんですよ。みんな独立しているから、各自の考え方でやってるね」

── 吉祥寺は屋台の頃から麺の太さは変わってるんですか?

「麺の太さは24番の縮れ麺(30㎜の幅で何本の麺がとれるかによって決められている。24番は1.25mmとかなり細い)で、これは変わっていない」

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── 村山のホープ軒しかり、あと千駄ヶ谷のホープ軒もそうですが、全体的に麺が太くて、それで吉祥寺のホープ軒本舗も最初どうだったか気になったもので。

「それは千駄ヶ谷のオジちゃん(千駄ヶ谷のホープ軒創業者・牛久保氏のこと)の影響じゃないの。伸びにくくしたっていう。あれは最初、屋台でやっていた発想じゃないかな」

バック・トゥ・ザ・ホーム

ホープ軒の歴史に話を戻そう。

ホームラン軒を畳んで屋台に戻った後、難波家の親子は自らが屋台を引く一方、ラーメン店をやりたい人に屋台を貸す、いわば屋台版フランチャイズチェーンを興し、都内にホープ軒を掲げた屋台が一気に増殖する。

その貸し屋台の中に、今現在千駄ヶ谷にあるホープ軒や、環七ラーメン戦争を牽引した一つの土佐っ子、恵比寿で一大旋風を巻き起こした香月などの姿があった。そこからたくさんのお店が巣立ち、そこから東京のラーメンブームが生まれた。ホープ軒の貸し屋台がなければ、“東京のラーメンシーンは誕生していなかった”と言っても過言ではない。豚骨を炊き出し、醤油を効かせたタレで割る九州とんこつとは違う、東京発の東京豚骨醤油ラーメンが誕生し、一時代を築いたのである。

加えて、高度経済成長によってマイカー所有率やタクシー需要が増え、ロードサイドでの飲食店文化が花開いたのも一因といえよう。しかし時代とともにロードサイド文化が廃れ、豚骨醤油ラーメンは第一線から退いていく。

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── 豚骨醤油のラーメンブームは幹線道路の飲食文化と密接な関係があるように思えます。

「でも今は駐車監視員がいるでしょ? 高速がほとんどつながって、下に降りないでいけるようになって、駐車場も少ないし高いしで、幹線道路沿いのお店は難しくなったね。それに客層も確実に変わった。今は女性のお客さんがひとりで来てニンニク入りラーメン食べるからね。昔じゃ考えられなかった」

── しかしそうした中で、ホープ軒本舗は今なお続いています。

「うちは子供3人(吉祥寺の公一さん・村山の姉・阿佐ヶ谷の妹)がラーメン屋さんで、孫6人いるうち3人が跡継いでやってるから。ウチのせがれもそう。オヤジ、喜んでんじゃないの」

自分にとって、多くの豚骨醤油ラーメン店の中でもココだけは特別だったのは、味もさることながら、このカウンターが異様に落ち着くのだ。

学生時代、ゲームメーカーが学生の意見を聞きたいということで、この近くの東急ホテルに定期的に開かれる勉強会に行っていた。メーカーのお偉いさんが来るとあって、ホテルでないと失礼ということだった。

これが一介の学生には非常に堅苦しく、会が終わる度にホープ軒本舗ののれんをくぐった。すると胸のつかえが取れるような、何とも言えない安堵感で、ココにいていいよって言われている気がした……。

── このカウンターに座ると家に帰ってきたように落ち着くんですけど、お店の雰囲気づくりに何か気をつけていることはありますか?

「木のぬくもりっていうのはあるんじゃないかなぁ。オヤジがそういう発想だったから。丼の下(テーブルと接する部分)は糸切りっていうのよ。今でこそ結構加工はしてるけれど、だいたい焼きっぱなしで、ザラザラしてる。お客さんが動かしたりするから、その部分だけハゲてくるわけ。新建材でカウンターにすると安くあがるけど、つなぎ目から水が入ったりで接着剤がめくれてくるし、直すのは2日も3日もかかる。

ただ、現金商売はそんなに休めないでしょ。うちみたいなヒノキのカウンターだと、一回大工さんに削ってもらってまた防水でもすれば、スグ修復できるから。そういう面では、周りからぜいたくだねって言われるよ。

でも最初はやっぱ、ある程度お金かけるところはかけておかないと、結構大変だからね」

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自分が異様に落ち着ける理由がカウンターそのものにあったとは!?

ここに、ホープ軒本舗が長く続いて、いまだに多くの人に愛される秘訣(ひけつ)を見た気がした。

お店情報

吉祥寺ホープ軒本舗

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-14-12

電話番号:0422-20-0530

営業時間:月曜日~土曜日11:30~翌3:00、日曜日・祝日および祝前日: 11:30~翌2:00

定休日:年末年始

www.hotpepper.jp

※この記事は 2017年4月の情報です。

※金額はすべて税込みです。

書いた人:刈部山本(かるべ やまもと)

刈部山本

スペシャルティ珈琲&自家製ケーキ店を営む傍ら、路地裏系B級グルメのブログやミニコミ誌を作ってる人。時折、ギャンブル場グルメや板橋しっとりチャーハンでメディアに登場するが、基本はラーメン・酒場・町中華・喫茶で大衆食を貪りつつ、産業遺産・近代建築・郊外を彷徨い、見落としがちなものを拾う地味な作業を続けているオッサン。自著に、背脂番付 セアブラキング [デウスエクスマキな食堂13年夏号]、ザ・閉店 [デウスエクスマキな食堂15年冬号] など。 Twitter:@kekkojin

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