「いまアートの最先端で何が起こっているか」 村上隆×東浩紀×岩渕貞哉 in カタール 鼎談全文

村上隆氏(左)、東浩紀氏(中央)、岩渕貞哉氏(右)

 中東の国・カタールのドーハで、現地時間の2012年2月9日から6月24日までアーティスト村上隆氏の個展「Murakami – Ego」が開催されている。2月8日、会場では世界各地で個展を開く村上氏が、現地を訪れた批評家・東浩紀氏、雑誌『美術手帖』の編集長・岩渕貞哉氏と鼎談。いま現代美術の現場で何が起きているか、そして日本文化の未来について語り合った。

 以下、全文書き起こすかたちで紹介する。

・[ニコニコ生放送]村上隆×東浩紀×岩渕貞哉 鼎談冒頭から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv79992110?po=news&ref=news#0:09:56

■カタールの展覧会は「まったく良い方向に裏切られた」

 村上隆氏(以下、村上): サラマリコーン(アラビア語の挨拶。「貴方に平和が訪れますように」の意)。こんばんは、村上隆です。皆さんご存知だと思いますが、ここカタール、ドーハから現在生中継でお送りしています。時差があるので、こちらの方は昼の2時です。昨夜(7日)の放送では「Murakami – Ego」の展覧会の紹介を中心にお話してきました。

 第二夜となる今夜は、現地に来てくださった批評家の東浩紀さん、『美術手帖』編集長の岩渕貞哉さんとともに、いまアート・文化の最先端の地で何が起こっているのか。あえて、カタールから日本文化の未来を語り合いたいと思います。

 また、放送中に質問も募集していますので、どしどし送ってください。どんどん答えていきたいと思います。それでは、よろしくお願いします。じゃあ、ゲストのご紹介をいたします。『美術手帖』編集長の岩渕貞哉さんです。

岩渕貞哉氏(以下、岩渕): よろしくお願いします。

村上: そして、続いて批評家の東浩紀さんです。

東浩紀氏(以下、東): よろしくお願いいたします。

村上: ということで、本題に入りたいと思います。原稿(台本)だと、「震災と五百羅漢」、「今、カタールで何が起こっているのか」、「日本の文化政策はどこへ向かうのか」、「教育問題」とあるんですけど・・・。今朝(8日朝)、連続ツイートをしていただいた東さん。

: はい。

村上: 僕も東さんとお付き合いさせていただいて、12、3年ですけども。

: パルコで(村上氏が)「不思議の国のDOB君」をやったときに、椹木(野衣。美術評論家)さんと村上さんとトークショーをさせていただいて。そのとき連絡をいただいたのが初対面です。

村上: もっと前じゃないですか、そうしたら。そんなもんですか?

: あれ、99(年)? 98(年)?

村上: わからないですけど・・・でも、もっと前だと思いますよ。え、わかんない(笑)。どうなんだろう。だけど、その位の関係ですけれども。一番最初に、僕は東さんには褒められたんですよ。

: はい。

村上: 「いやー、村上さん。勘が良いですね」って。

: あの頃の僕は・・・もう、いいんですよ。

村上: いやいやいや(笑)。それで何が言いたいかって言うと、その頃から・・・。

: 「偉そうだった」と・・・。すいません。ホントにすいませんでした。

村上: その時以来、初めて褒められた気がしました、昨日は。その時以来、本当に心底褒めていただいて、うれしかったです。なかなかお褒めに預かるのは難しいので。

: そんなこともないですけど。ただ僕は昨日、今回の新作の「五百羅漢図」を見せていただいて、本当に感動いたしました。

村上: ありがとうございます。

: 今日の朝にいくつかツイートしてるので、ニコ動の視聴者さんはむしろ「@hazuma」(東氏のツイッターアカウント)で今から5~6時間前(日本時間8日昼過ぎ)のものを見ていただければ、そこに大体いろいろ書いてあるので、それに尽きているんですが。やっぱりなんていうか、別の観点から言うと、今まで村上さんという方とお付き合いさせていただいてきて、新しい村上さんの誕生に立ち会ったという感じがいたします。

 この「五百羅漢図」、僕まだ詳細にちゃんと見ていないのでよくわからないんですが、村上さんも、恐らく他のアーティストもみんなそうだと思うんですけど、基本的には自分の中に何かモチーフがあって、それの反復や変形で次から次へと新しい作品を創り出すということだと思うんですよ。村上さんであれば「Dob君」とか「カイカイキキ」とか、あと「お花」だとか、いっぱいあったと。ところが、今回の「五百羅漢図」は、ほとんどそれが使われていないですよね。

村上: そうですね。

: つまり、村上さんの今までの世界から、ある種まったく断ち切られた所に、突然ドンとこの(全長)100mのものが出現したという感じがします。

村上: うん。

: あと昨日、村上さんのちょうどこれ(当番組)と同時刻にやっていたプレゼンを横でお聞きしていてすごく感動したのは、「人を救うために絵を描いたのだ」という話があって。それは作品を見ていても、やっぱりすごく伝わるものがありました。

 村上さんはここ10何年間、世界のアートマーケットの中でどうやって戦略を立てて、生き残っていくかということに関して、非常に理知的・戦略的にコマを進めてこられた方で、それですごく大きな達成をされた。

 その集大成が今回の展覧会だとうかがっていて、またタイトルも「Murakami – Ego」ですし。集大成がくるかなと思って来たら、まったく良い方向に裏切られた。この10年間から、全然違うところに脚を踏み出して、アートマーケットの外に向かっている作品なんじゃないかという風に思いました。

 そのプロセス全体が、もちろん僕は村上さんの作品をそんなにずっと詳細に追っているわけではなくて、美術評論家じゃないので、単なるアマチュアの見立てですけど、ここ10年間、村上さんがどういう風に苦労されてきたかとか、どういう戦いをしてきたかを横で見てきたつもりだったので。

 その結果、こういう風に足を踏み出したんだっていう、そのドラマ全体が僕の中では心に迫ってきて、こういう場面に立ち会えて本当によかったなと思っております。本当にご苦労様でした。

村上: ありがとうございました。

■村上隆「一番の転換点は3.11」

村上隆氏

村上: じゃ岩渕さん、どうでしょうか。

岩渕: 僕は最初、村上さんのことを『美術手帖』に入る前に知ったのが、村上さんが90年代後半だったと思うんですが、プロレスとか総合格闘技の話しを出されていた時です。

 「アートのシーンでルールを握っているのは誰か」とか、F1にも例えられたりしていたと思うんですが、現代美術世界の中で日本人としてアーティストでやっていくには、現在欧米が握っているアートシーンのルール自体を変えていかないことには、1人のアーティストとして消費されて終わってしまうんだということを仰られていて、それがいち学生だった当時、自分が最もアートシーンの中で感銘を受けた言葉で、美術界の中でやっていこうと思ったひとつのきっかけとなったものでした。それから10年、自分もアートシーンの現場で仕事を始めて10年が経ちました。

 そして、今回、先ほども東さんが従来のアートシーンやアートマーケットの外にでるような仕事をされたと仰っていたことと関係しますが、これまで欧米がルールを握ってきたアートシーンの中で、その構造自体を地殻変動のように大きく変えるような作品であり、変えるような展覧会がこの中東のカタールの地で行われているんだなというのが、展覧会を見た感想です。

村上: はい・・・。僕は何を言えばいいんでしょうね(笑)。

(一同笑)

: いやなんか、(ニコニコ生放送のコメントに)「褒め合いとか無し」とか「褒め合いだからつまらん」とかあるんですけど、僕は今日は褒めることしかしないので、批評的観点からの分析とか何とか一切言いません、はい。僕はもう、村上さんに私淑いたしました(笑)。

村上: やっぱりでもね、もちろん東さんとかに、岩渕さんにも最近ずっとフォローしていただいていろんな現場とかに来ていただいているんですけど、東さんには特別これを見ていただきたかったっていう思いが僕の中には強くあって。

 それは東さんが仰っているように、「ここでやるものは、ひとつの答えを出せる」という狙いが僕の中にはあったんですよ。ツイッターを僕はもう2年ぐらい前から始めて、日本の若い人たちにもう1回めぐり合った感じがして。

 自分からも情報を発信できるようになったし、ニコ動で話したことが本になったりしたりして、ツイッターを始める前とツイッターを始めた後では、ずいぶん僕の日本人としてのアイデンティティーの在り方っていうのが僕の中では変わってきたものがあって。

 その中で、東さんの展開している戦い方っていうのは、すごく常に僕の方向性を決めていく、ひとつの(映画)『セント・エレモス・ファイアー』じゃないですけれど、ザブンザブンしている中でビーっと光っている感じだったんですよ。

 とはいっても、日本人にとってアートは「無関係なメディア」。プラス「ある程度の”インテリジェンス”がないとわからない」(という面がある)。僕も昨日、ずいぶんと使用者の方に向けて指を立てて「お前ら!」って言ってましたけど・・・。本当に勉強もしないでわかるはずがないメディアがアートだと思うので。

 その勉強っていったってたいしたことがなくて、囲碁・将棋とかと同じように、ある一定のルールを学ばないとわからないメディア。なかなかそこが日本人的にはアニメ以外、そういうルールを複雑に、アニメとか漫画のルールは複雑に理解して解析しようとするけれども、特別西洋からくるゲームには、あんまりアタッチしようとしてないと思ったので。

 そういう文化の中に生きている僕が、しかし、日本のそういうライブのいろんなものを吸い上げて、何か発表してるってことで、ツイッターの中では東さんみたい人がいる。

 だけど、一番の変革点は、3.11以降でみんな要するにお里が知れてきたわけですよ、人びとの。その発言してる人びとのお里が知れてきて、「地金が見えた」っていうのはまさにこのことだなっていうのは、僕自身もそうだったと思いますけど、地金が見えてきたと思うんですよね。その中で僕自身も自分の地金が見えてきたし、やっぱり素直になって、なにか物事を発信する現場に立って。

 まあでも僕のその業界の流れの中では、そのクリスティーズがあったり今回のカタール(での展覧会)があったりで、一見シャビーな(みすぼらしい)世界ですけど、そんな中で僕、網野善彦さんの『中世の非人と遊女』という本があるんですけど、僕のやっぱり「カイカイキキ」って会社で、入ってきた新入社員に必ず言うのは「我々は非人である」ってことですよ。

 前の(埼玉県)朝霞では、”河原人”として河原の縁に我々のスタジオはあるし、人として「非ず」ってポジションでやるべしっていうことを必ず伝えるようにしてるんですけど、そこがどうしても美大の人たちはわからない。そういうものが、「パブリックに言ってよし」という状況にきたなと。

 つまりスーパーフラット(という概念)が本当に壊れちゃったので、スーパーフラットな社会っていうのはある程度の安定感があったところにしか生まれなかった、非常に安定的な構築された世界だったんだけど、それがほんのちょっとしたほころびで崩れた。その意味で地金が見えた人びと、僕を含めてそういう人びとが何か、日本人として発信することで、自分たち自身を救わねばどうしょうもないだろうし。

 プラス、じゃ今カタール、すごいエネルギーがどんどん沸いて出てきてお金があるっていっても、本当に彼らはハッピーなのか。じゃ、本当に彼らの未来っていうのは、ちゃんとビジョンがしっかりあるのかというと、いまはスカイスクレイパー(超高層)ビルディングをどんどん建ててますけど、アラブ首長国連邦のドバイみたいな感じで、行き着く先はそんなに明るい未来ではないんですよね。

 であるならば、我々がやっぱり受け取っている、ある種表層的な不幸っていうものを解析していき、それで処方箋を作り上げることで、世界にその処方箋を譲渡することができる立場にいるはずだと思ったんですよ。しかしその仕事をやるには、「人にして非ず」の仕事量と決意を持たなきゃいけないっていうのがあって。それが今回の五百羅漢の修行僧のイメージだったんですよね。

 だから皆その、今までの僕の作品と一番違うのは、僕が西洋に来て、アートとは何かって言うときに答えを出したひと言は、「アートとは、ハイクラスの人間たちのポルノである」。で、その次に来たのは、そのポルノに吸い寄せられたお金持ちたちにも嫁・子供がいて、その「女・子供への慰めものっていうものもアートである」。そういう順番できたわけです。

 しかしそれを究極に攻めていって、めぐりあった仕事というのは後ろにいる仕事(作品)で、これは「治らないキャンサー(癌)の子供たちの病院を建てたいので、そこのエントランスに作品を作ってくれ」と言われたところから端を発してるんですけど、僕がちょっとオーバーイマジネーションしてしまって、でかいもの作りすぎて、結局そのプロジェクト、僕からはいなくなっちゃったんですけど。

■「五百羅漢図」からは「深く重い課題をもらった気がする」

東浩紀氏

村上: だけどそういう、日本のアニメとか、そのハッピネスなみたいなものに祈りを求めてくる人が僕の周りにたまたま来てくれたりして。でもそん中でまだ答えは、この程度しか見つけられなかったんですよ。

 だけどやっぱり3.11が来て、ツイッターとかいろいろソーシャルネットワーキングの世界で起こっているあれこれを見て、僕もそん中に完全に埋没するような形で浸ってみて、それで言えた「ノー」っていうことが、この作品なんですよね。

 要するに「もう日本人は徹底的にダメ」。それは今僕50歳ですけど、僕らの子供たちがダメだった。つまり僕らが作った社会がダメだった。僕らが作り始めた社会がダメだった。もしかしたら、今からちょっとでも僕らはやり直せるかも知れないので、であるならば「人にして非ず」の立場にして労働すべしっていうのは、去年の3.11以降で5月くらいから自分の中で明確にビジョンした、自分の中での立ち位置と今後の仕事の仕方っていうことだったんですよね。

 なので、ここにある「五百羅漢図」っていうのは、例えばオタクカルチャーがそいういう、僕が言うスーパーフラットな社会の安定の中で出てきた特異点だとしても、それは安定した社会の中でしか生きられないのは、みんな自明のことだったが、ほんと生きられなくなってきてるよと。

 そして、じゃあその持っているスキルをどうやって、援用してサバイブするかっていうことの処方箋を作れば、それは世界言語になるよ。今まで、散々僕らが帝国主義にやられてきた、その帝国主義の駆逐そのものを、ここから始めることができるじゃないかっていう野心を作りあげることができたので、それを具現化したのが「五百羅漢図」だったので、非常に僕の中では、やっぱりポリティカルな作品なんですよね。ポリティカルだし本当に強いメッセージがある作品なので。

 その意味で、すごく褒めていただきましたけど、僕もすごく自信がある。でも、今後この方向性を突き詰めていくのかどうかっていうのはまた別問題で、これは本当に一瞬のチャンスにめぐりあって作れた作品かも知れないので、今後はわからないけど、この作品に関してはそういういろんな20年くらい日本の文化背景と、自分が真剣に関わってきたひとつの結論だっていうのは、まごうことない事実ではあるんですよ。ということで、僕がバーバーとスピーチしちゃいましたけど。

: いやいや、今日は村上さんのスピーチのための時間だと思うので。あの、どうなんでしょう。僕が何か答えを返す・・・。

村上: じゃ、ちょっと立ち入った話をしたいんですけど、例えば東さんが「コンテクチュアズ」という会社と、雑誌とイベントをやられてますよね。そういうとき僕もすごいやっぱり自分がイベントやってんのは、メッセージをもっと直接的に言葉で伝えたいっていうのがあったりしてやってたりしたんですけど。東さんは言葉にして生業にされてる方なんで、もちろんそうなんでしょうけども。

 それをコンテクチュアズをスタートする前後といいますか、特にコンテクチュアズがスタートしてからもいろいろ紆余曲折の真っ最中じゃないですか。その中で今そういう制作母体を持ち、そして個人があり、そして世の中のいろいろ理不尽にめぐりあい、それとどういう風に対峙していって、何をもってコンテクチュアズの存在意義っていうのを、自分の中でリマインドしているのかっていうのを聞きたかったんですよね。

: 僕はあの、村上さんにすごい影響を受けていて。そもそも僕がなんでコンテクチュアズっていう会社を始めたかっていうと、村上さんが「ヒロポンファクトリー」を「(有限会社)カイカイキキ」にしたからなんですね。前も言ったと思うんですが。

 僕はやっぱり村上さんをすごく目標にしていて、全然、ジャンルは違いますが。だから今回、村上さんがある種ゲームで勝つっていうことをやり続けて、世界のゲームで勝った後に、ゲームではない生のメッセージみたいなものを投げるっていう作品を作ったということには、すごくその深いというか、重い課題をもらったという気がしています。

 そしてそれに答えるには、僕はまだおそらく5年10年と時間かかると思うのですが、従って今僕はできないと思いますが、その前提の上でいえば、やっぱりその僕は基本的には思想とか哲学の人間であって。思想というのは批評とか論壇のゲームの勝つための道具ではないので、人々を救うためにあるものなので。そして3.11以降やっぱり僕はずっと、それだけは思い続けています。

 ただ僕は今、力がないので、じゃお前も人を救ってみろと、言葉で人が救えるというようなものを出してみろと言われても、それは今の僕にはできない。力がないのでできない。ただ言葉を使う人間というのは、そういうことをやらなければいけなんだということを僕は思いました。

 そしておそらく日本の中で、何人か何十人か何百人か、そういうことを思ったんじゃないかと思うんですね。で、そういう人たちと一緒に仕事をしていくような場所を作り、少しずつ世の中を変え、言葉の機能を変える。

 だから2000年代、過去10年間の、だからまあ3.11のあった後、僕は結構昔の僕を否定するようなことを言っていて。それに対してはいろいろ批判をされたり、客が離れたりもしているのですが、基本的に僕が(前の10年間に)やったことというのは、「批評の言葉を軽くする」ということなんですよね。

 それこそまさにスーパーフラットな社会に適合するように、批評の言葉をデチューン(機能を落とす)するみたいなことを僕はずっとやっていた。それはこの国で批評とか思想が生き残るための、おそらくひとつの最適な解だったと思うのですが、やっぱりそのプログラム自体が動かなくなってしまったという風には思っていて。

 哲学とか批評というのもおそらく現代美術と同じで、すごく複雑なコンテクストと複雑な教養が必要な世界なわけです。若い人がポッと書いてなんかできるような物では本当はない。ただ、それをそのまま押し付けてもダメなので、もっとポップで軽いものにするということをやっていたわけですが。

 じゃその果てに何があるのかっていうのは、あまり考えないまま来た。けれどもやっぱり3.11の後は、その果てにあるのは、本当は言葉ってのは人を救うためにあるものなんだということは、すごく深く思うようにはなりました。

 「救う」っていうのはおそらくなんか、あるところまでくると戦略とかコンテクストとか教養みたいなものが全部こう消え去ってですね、おそらく何か別のものに言葉が変わる。そういうことだと思うんですよね。

 そういうことがどうやったらできるか、ということですかね。だから僕は会社を作ったのは、そういうことを自分でやるためのメディアを作ったと思ってます。今僕が言ったことっていうのは、それこそ例えば純文学の人たちとかがすごく言いそうなことなんですよ。言いそうなことなんで、じゃあそれだったら文芸誌でやればいいじゃないかという風に思う人もいると思うんですね。

 でも僕は、今の文芸誌は全然そういう場ではないことを知っているので、つまり、それはおそらく現代美術とかと同じなんだと思うのですが、「アートは世界を救うためにある」、「文学は世界を救うためにある」と言っている人たちが、一番くだらないゲームをやっているんですね、日本では。

 で、その人たちはその、世界を救うためにあるはずの言葉っていうのを、彼ら自身が「そういうことをやってますよ」と言うことによって、もう不可能にしちゃってるわけですよ。自分たちだけが世界を救う言葉を使ってるんですっていう風に言っちゃって、そして文芸誌というゲームをやってるので。

 だから僕は全然それとは、もうああいうところからは離れたところに、本当に世界を救いたいと思っている、そういうことのために言葉を使いたいと思っている人たちが集まる場所を作らなければいけない。だから先ほどの村上さんの話で言えば、村上さんは3.11の後「五百羅漢図」を仕上げるために労働させる場所っていうのを持っていたわけですよね。それは物理的なアトリエとしてもそうだし、組織としてもそうである。僕はだから、それをまず育てなければいけないんだな、というような感じです。

村上: なるほど。

: 答えになってますかしら?

村上: なるほど。わかりました。

■岩渕貞哉「日本のアートシーンは沈没すると強く感じていた」

岩渕貞哉氏

村上: じゃ僕が司会みたいになりますけど(笑)。岩渕さんとかとここ2年間ぐらい、僕の時々のいろんなところに一緒に来ていただいたりして見ていながら、同時に『美術手帖』が本当に最近売れるような雑誌に、変えて来られて。

 しかしなんか2ヶ月くらい前に、それこそクリスティーズのニューヨークに来ていただいたとき、そのハプニングを記事にした号で10年くらい前のルールメーカーたちにいろいろインタビューしてて、結構日本のアートジャーナリズムの中ではびっくりするぐらいな情報の号が出ましたけど。

 岩渕さんとかの考えていらっしゃる、じゃあ現代美術のメディアとして、日本で出してますけど、今そういうシーンを見つつ、ああいう突然たぶん美大生、美大の先生たちも「突然そんなこと言われても」的な、情報が突然あふれ出して来てびっくりしちゃったと思うんですが。

 どういう方向性をある程度目指すというか、日本の現代美術をどういう風に作り上げていきたいと思ってらっしゃるのかっていうのを話してもらえますか。

岩渕: 僕も時間を順に追って話したいと思います。まず、僕は2002年に『美術手帖』編集部に入って10年経ちました。編集長になったのは2008年の夏で、いまは3年半ほど経ちました。

 入りたての編集部員のときには、日本語で書かれた日本の読者・雑誌マーケットへ向けた美術専門誌という位置づけの中で、その生態系の中で、いち美術雑誌編集者どうサバイブしていくかっていうか、成長していくかを考えていました。当時は、美術手帖も頭打ち感があり、例えば、休刊というような話はでたことないですが、社内でも今とは比べ物にならないくらいポジションが弱かった。

 そこで、まずは日本のドメスティックな出版界の中でアートを扱うという時に、読者に対してどのようなコンテンツを提供すれば、読者が増えるかっていうことを考えてやってきました。それである程度、個人的には結果を出すことができたので、今の立場があると思います。

 しかし、編集長になってからは、そういった狭い観点からでは、自分のやっている仕事を自信を持って位置づけることができない。村上さん、東さんまではまだまだほど遠いと思いますが、自分の立場についての責任というか、日本の美術界、ひいては社会に対して何ができるのかを考えざるをえない。

 その時に、自分がやってきた特集も無関係ではないと思うんですが、読者に合わせようとすることで、『美術手帖』自体がどんどん内向的になっていった10年だったと思います。そして、気づけば海外の情報がインターネットで英語でも読めるにも関わらず、多くの読者が海外の動向にあまり関心を持てない状況をつくりあげていた。

 2010年の夏に村上さんのヴェルサイユでの個展を目の当たりにしたときの、自分が日本で見ていたアートシーンとのあまりの落差に、自分自身がめまいがするようなというか、あまりにもかけ離れていて・・・。アートシーンのダイナミックな情報を何も知らないということに気づいて、ものすごい危機感を感じたんです。

 これはおそらく、美術雑誌をつくっている僕だけではなくて、若いアーティストであったり、若いギャラリストであったりという人たちも同じ状況にあるのではないかなと思います。そこから、このままではまずいと方向転換をして、ロンドンでの個展やニューヨークでのオークションなど、村上さんの海外での活動を追いかけていきました。

 その最初の成果が、1月号の「世界のアートマーケット特集」です。その意味では、まだほんとに途についたばかりです。でも、もちろんカイカイキキのサポートのおかげもありますが、1年ちょっとでここまでできたという自負もある。

 そして、最終的には国内読者に向けた『美術手帖』でもさらに展開をしながら、さらに海外と直に繋がるようなメディアを作っていく必要性を痛感しています。そうしないことには日本のアートシーンは沈没するということを強く感じています。

 実際に2年間、いろいろ現場を見せてもらって思ったのは、もちろんアートなのでビジュアルで見せるものということは大前提で、その上で、現場でのコミュニケーションであるとか、自分の作品をどう言葉で表現するとか、ネゴシエーションなどのレベルで勝負ができないといけない。

 アートマーケットの特集でもキープレーヤーの人たちが言っていたのは、ひとことで言うと、現代美術は人間関係で成り立っているということ。それはコネとかそういうものではなくて、信頼関係で成り立っている世界だということがすごくよく分かりました。これは、現場でないと見えて来ないことだと思いますが。

 日本の人たちはそれが本当に得意ではないんだなということを、自分も含めて身をもって感じています。作品で勝負するためのステージに上がるため、また、上がった後で長く勝負をし続けるための信頼関係の築き方、ネゴシエーションをどうやって獲得して、またそれを伝えられることができるかを考えています。

 そして、今回のカタールでの村上さんの個展でも、美術展ということ以上に、この展覧会自体がカタールも含めた中東と日本の外交の現場になっているということを見ても、美術が本来持っている可能性を、日本のアートの人たちは小さく見積もっているかもしれないと感じています。アートシーンでのゲームで勝つということの先に、東さんの言われたような、人を救ったり、人の役立ったりということが美術によってできるということを実感することが今、できています。

 今後、その実感をどう伝えればいいのか、また、雑誌を通じて世界とのネットワークの接点に、カイカイキキさんが今ひとつ日本の拠点になっているように、『美術手帖』もメディアとして拠点のひとつになっていきたいなと考えています。

村上: あれですかね。東さんに質問なんですけども、講談社とかそもそも『文藝春秋』とかも、ある強力な作家さんがいてできた出版社じゃなかったでしたっけ? そういうわけではないですか、あれ。

: まあ、たぶんそうだと思いますけどね。『文藝春秋』にいたってはね、創業者自体が作家っていうか。

村上: ですよね。だからそういう風なことなんですかね。

: そういうことだと思いますが。

村上: 要するに、それがどんどん膨らんでって、一つの大きな、まあ出版社って言い方じゃないかもしれないけど、そういうことですよね。ムーブメントが実業となっていくってことですよね。

: 昨日、村上さんが「伊藤若冲は引きこもりかと思ったら、実は廻船問屋をまわしてた」って話で最後終わったじゃないですか。だから、まあそれと同じことだと思います。

 今までの日本では文化っていうのは基本余剰物で、余剰物だから「社会的不適合者の引きこもり」がやっているってことになってたわけですよね。その引きこもりの人たちを誰がマネージメントしているかっていうと、それは大企業の社員で。

 例えば漫画家なんか一番典型的なイメージを提供しますけど、実際はどうかはともかく。社会的にはコミュニケーションが下手な人が、実はビッグビジネスを生みだす、と。それをビッグビジネスに変えていくのはプロの、スーツを着たネクタイを締めた人たちみたいなイメージですよね。

 でも、やっぱりおそらく今日本という国では、すごく大きな変貌を遂げている、危機の状態にあるからだと思うんですが、そういう構造そのものが変わってきていると思うんですね。

 つまり今までだったら、スーツ族というかネクタイの人たちに情報が集まっていて、彼らはそういう辺境から才能を発掘し、外側に向けて売り出すってことをやっていたわけだけど、それ自体が上手くいかなくなっている。

 そして、逆に昨日(7日)村上さんが仰っていたように、そして僕もさっき言ったように、今まで余剰物だと思われていた芸術とか思想みたいものが、実はやっぱり「ある機能」があって。もちろん「ある機能」があるから、この社会にあるわけですよね。

 でも普通の日常では、世界が平和な時というのは、ほとんど機能がない。だから緊急時用の機能なんですよ。おそらく芸術とか思想の機能というのは。

 で、日本では3.11の後、ある種非常時になってしまったので、芸術とか思想とかいうのが「ある機能」を取り戻してきていて、それを実現しようと思ったら、今まで芸術や思想が置かれていたメディア構造自体を変えなければいけないという状態になっているということだと思います。

村上: なるほどね。

■視聴者「”村上さん以後”の芸術家は存在するのですか」

村上: この前の(討論番組)「朝生」で橋下(徹大阪市長)さんとかと話して、僕はあの「朝生」の後の東さんのツイートを読んで、すごい正直なことを言いつつ、結構諸刃の剣のひと言を言いつつっていうのを感じたツイートがあって。

 「橋下さんの言っていることは正しいけれども、僕は基本的にはオタクであって、オタクのメンタリティはわかるし」っていうようなツイートをされていましたよね。

: はい。

村上: ということは、オタクのメンタリティを持った人たちをこの非常時において救うっていうのも、ひとつの東さんのミッションみたいな感じで考えていらっしゃるってことですか。

: 僕は「オタクを救う」とか、そういうことは考えていないです。「救う」というのはもっとなんか、ある意味でランダムに対象が出てくるっていうか。「オタクだから救う、オタクじゃないから救わない」とかそういうものじゃないと思うんで。

 ただ僕がそこで言ってたのは、なんていうかな、さっき思想とか芸術とかが機能を取り戻すみたいなことを言いましたけど、そういう風に言うとすぐ自分たちは社会にコミットできないんだけど、「君たちは社会にコミットする側に回ったんだね」みたいなことを言う人もいるし。そういうイメージっていうのが社会の中にあるわけですね。

 でもそうではないんですよ。だからさっき言ったみたいに、今まで社会から必要とされていなかった、さっきまさに「非人」とかの話をしましたが。平常時と危機時というか、時代が変わるってのはそういうことで。今まで無用だとされていたものが有用になるわけですよね。

 僕はオタク的で引きこもり的な感性みたいなものっていうのが、これからの日本を良くしていくのに、おそらく何かの有用性を発揮すると思っているので、したがって「そちらの側には基本的に立ちます」っていうことですよね。

村上: なるほどなるほど。

: だから急に僕が「いやー、オタクとか引きこもりとかってダメっしょ。やっぱり地域貢献ですよ。ボランティアですよ。NPOとかでガンガン活躍しましょう」とかには僕はならない。

村上: うんうん。

: ならないっていうのは、僕の人格がならないってのもあるし、おそらくそれだけではなくて。先ほど村上さんが言っていた、日本がこれまで培ってきたスーパーフラットな経験みたいなものが3.11で壊れた時に、じゃその後スーパーフラットの経験をどうやって次の時代に、もしくは他の国に、このカタールみたいな国に伝えていくかっていうことと、おそらく僕も同じことを考えていて。

 オタク的、引きこもり的な何かの感性みたいなものっていうのは、おそらく一方では壊れた。おそらくこれからの日本では、ますますそれは今までみたいに守られたものではなくなっていく。

 ただそこで培われた感性だったりライフスタイルだったりの部分を、どうやって次の世代とか、次の国作りとかに残して生かしていくかっていうのが僕の基本的な柱ですね。すごい抽象的な言い方になりますけど。

村上: わかりました。どうですか、質問とか読みますかね。

司会者: 質問をひとつ読み上げさせていただきます。非常に多くのメールをいただいているんですけれども、その中からひとつ。

 「村上さん以後の芸術家というのは存在するのでしょうか。例えば松井冬子さん、例えば田中功起さんなど好きなアーティストは現在も何人かいるのですが、村上さんのようなアーティストを私は知りません。村上さん以後、一体どうなっていくのでしょうか。予想を教えてください」

村上: (岩渕氏を指名して)はい。

岩渕: もちろん村上さん以降もいいアーティストはたくさん出てきていると思います。今でも日本にいいアーティストはたくさんいる。ただ、村上さんのようなスケール感を持ったアーティストがいるかといえば、ちょっと比べるのは酷かもしれません。

 それは今、社会の中でのアートのポジションが変わってきていることと関係していて、そのポジションに気づいてコミットしていけるかどうか。今後、スケールの大きいアーティストに出会って応援していきたいなということは考えています。すいません、歯切れが悪くて・・・。ただ数人思い当たる作家はいます。

村上: うーん。はい。

岩渕: どうですか、村上さん。

村上: 僕?僕、いないと思っているからGEISAIやったり、うちのアーティストをしごいたりしてるんで。まあ去年からうちがやった、ちょうどですよ、ちょうど3.11来る直前に、2日前に「チャンバー」っていうのを完成させたんですよね。

 つまり「もうお前らダメだ」と。何人かいい才能を発見したんだけど、ほんとに挨拶もできない、人の気持ちも理解できない、感謝を表明できない。つまり感謝の気持ちもない。何も人間としての機能がない人間がなぜかいい絵を描く。これはよくありがちですけど。

 しかし、それにしてもひどいよお前、っていうのがゾロゾロいて。これはもう生活の様式そのものからやらんとあかんなと思って、それで20人ぐらい集めてわーってやってたんですよ。しかし、それはもうさすがにまったく無軌道にやっていっても全然成果が上がんないと思ったんで、部屋をいくつか、1、2、3、4、5個作って。

 それに2人づつぐらい入れ込んでトレーニングしていこうと思ったら、それが完成したら地震が来ちゃって。みんな危ないからって、関西からいっぱい来てたんですけど、みんな帰して。で、2ヶ月後ぐらいから始めたんですけどね。

 こういう人がいたんですよ。ロサンゼルスで青島千穂の展覧会をやった時に、某・今結構有名な30代中盤のアーティストが僕の前に来て、ブラム&ポー・ギャラリーでやってて、その食事の席でですよ。ブラム&ポー・ギャラリーで青島千穂が、カイカイキキのアーティストがやってて、村上隆が来ている。その席で僕の目の前に来て喧嘩売ったわけですよね。

 「あなたはもう終わる。あなたはもう終わるし、あなたの作ってきたことはすべて間違いである。あなたのカイカイキキのアーティストもひどい作品である」、と。それはいいんですよ。いいんですけど(笑)。「あーそうですか、ありがとう。じゃあ、僕不愉快なんであっち行ってくれ」と。

 だけど、まずそのひとことで、まず僕に言うべき、そういう喧嘩売るんだったらなんでお前ディナーに来てんの?と。ディナーに来るなよ。しかもわざわざロサンゼルスまで来て。東京で偶然めぐりあうんだったら話はいいけど、ロサンゼルスまで行って人の食客になって、「バカじゃねーの? お前、死ね!」みたいな(笑)。

岩渕: はは(笑)。

■村上隆「”非人になるべし”と思った」

村上: それが常識だと思うんですよ。でもそういうバランス感覚もなく、「俺が変えてやる」と。だから、どうぞ変えてください。何を変えるかわからんが変えてください。そういうのが、どんどんどんどん劣化していっているような人たちがいっぱいいるので。

 しかし弾がいないので、評論家でも何でもおだてるわけですよ。僕もそうでした。僕もそうだったんですよ。だけど、それは本当に震災前の世界ではそうするしかなかったが、それはもう終わりって感じがしたので、再教育を。

 震災の前からもうダメだなって感じはしたんだけど、震災来て、今もう「チャンバー」で何人か詰め込んで徹底的に教育しているんだが。しかし、この子たちの物覚えの悪さと頭の悪さと。でも、それは幼少のころからトレーニングされていない。基本的な人間として生きる生業、成り立ちを何もできていないので、全然教育できないんですよ。

 だから、「例えば、誰々さんはどうですか?誰々さんはどうですか?」って言われても、僕は言わせてもらえれば、「インターナショナルなサーキットで活躍できないアーティストは挨拶の”てにをは”できないからじゃねーの?」って思うんです。挨拶の”てにをは”さえできれば、いい作品作ってれば誰だっていいって言うよ。

 でも引きこもったり偉そうなこと言ったり、要するに向こうのメリットと自分のメリットのバランスを考えられなかったりするから、だから世界に出ていけないんじゃないの?って思うし、事実そうだと思うんですよ。

 つまり、人間が腐ってる。人間が腐ってて、いい芸術家が本当にいるのかっていうのが僕の設問なんですよ。何故かといえば、常に日本で大好きな逸話として出てくるのがゴッホ。最近ではヘンリー・ダーガー。それは、でも言ってみれば人間じゃないですからね、もう。

岩渕: (笑)。

村上: 普通の人間じゃなくて、精神異常をきたしてる方たちなので、この方たちを標榜するんだったら、だから僕は「非人になるべし」と思ったんですよ。

岩渕: そういう戦略なんですね。

村上: 戦略というか、要するに「非人」になる決意もなくて、それでそういうダーガーやらゴッホを語るな、と。どっちかしかないじゃん。

 でも「非人」の世界でも「非人」の掟があるんだ。それ忍者の世界と同じなんですよ。僕らの世界にも掟があって、その掟までも理解できないんなら、この世界に入ってくるべからずと思うので。その意味において僕、日本のアーティストはみんなその掟を知らないので、全員ダメだと思っています。

岩渕: そのルールが日本では共有されていないのは、よくわかります。

村上: 全員ダメですよ!で、なぜ奈良美智は生き残っているかというと、そのルールを知っているから、シェアしているわけです。コミュニケートできているわけですよ。他、全員ダメだからダメなんですよ。

 だから他に若い世代のアーティストがいますかって。今、岩渕さんが仰ったようにいい才能がいるかもしれない。しかし、その才能の前にあるべき人格がない状態で、こういう何も守られていない世界で、どうしてコミュニケートして、みんなをハッピーにしたり、みんなをエキサイトさせたり、落ち込ませることができるんだろうかっていうことがやっぱり大きな答えだと思うし、日本の戦後教育の大きな過ちがそこだったと僕は思いますね。なので、教育から全部やりなおさねばいけないっていうことを考えていて。

 なんか僕、今「橋下さんがあーだこーだ」と言っているのはなんか、僕なりのそういうフィロソフィーがあって。で、なんかこう、僕は大阪っていう場所とかが、なんか知らないが、ロジカルではない部分の中でシンパシーを感じてたりする部分があるわけですよ。

 例えば猪瀬さんってすごくロジカルな方だし、教育問題を考えてもすごくロジカルにやっていかれると思うんですけれども、橋下さんが持っているロジカルじゃないところにアタッチしてったりして。

 でもそういうアンロジカルな部分、理不尽な部分を突破する人間力みたいなものが、じゃあどうやって培われるのかっていうと、突飛なことをやり続けたりすることではなく、本当にスポーツマンが基礎体力をつけたり、身体を柔らかくするストレッチをし続けたりするのと同じような、基本的な「人」っていうフレームを作り上げる教育があったのではないかと思うので。それがないところに芸術というものは入らないと僕は最近、思うんですよね。

岩渕: その若手作家に関して言うと、日本からも欧米のアートスクールに留学したり、助成などで滞在制作している人は多いですよね。ニューヨーク、ロンドン、ドイツ。そこでそういうルールとかを学ぶチャンスがあるんじゃないかと思いますけどね。

村上: いや、知りません。

岩渕: (笑)。

村上: だからチャンスはあっても、やってないんじゃないですか、皆さん。だって僕以降、ニューヨークにごまんといますよ日本人。

岩渕: そうですね。

村上: 誰もデビューできないじゃないですか。なぜですかね、これ、っていうことを考えるとそういうことかなって思ったりするんですよね。

 何の話だったっけ、忘れちゃった。あー、質問だったですね。まだありますか、質問。あ、じゃあいいです、いいです。えーっと、何の話しようと思ったんだっけな。あ、忘れちゃった。

司会者: もうひとつ質問いいですか? これは東さんと村上さんそれぞれに対しての質問です。

 「『文化が非常時に意味を持ってきた』という話がありましたが、非常時というのは震災以後ずっと続くという認識なのでしょうか? それともまたいつか平時に戻り、文化が余剰物になってっくるのでしょうか。だとしたら、それがいつごろになるのか教えていただけますか」という質問です。

: なんか、まったく根拠がなく答えると、20年間ぐらい続くんじゃないですね?何の根拠もないです。何の根拠もないですよ。でも1年とかじゃないなって思いますけどね。まあ、もう1年経ちましたが。だからこのある種の危機的というか、移行期ですよね、過渡期ですよね。すごく安定した政治体制とか社会体制があって、それがもう1個の安定した体制に移る過渡期みたいなのに入ったということで。

 おそらく3.11だけが原因ではない。それは象徴みたいなもので、シンボルみたいなもので。その前から起こっていたその前の戦後社会の体制が壊れ、次の体制が生まれるまでの結構長い過渡期に入ったっていうのが僕のイメージですね。でも何の根拠もないので、ただ言っているだけです。

村上: 例えば今ドーハにいて、すごく世界一エネルギー資源があって、お金持ちの国だと言われていますが、最近中東情勢がすごく悪いので、朝の9時10時になるとここは戦闘機が巡回しているんですよね。すごい戦闘機の音が「ジャーッ」っと聞こえてきて、まあ警備しているんだか演習しているんだかわかりませんが。

 もちろん、日本でも自衛隊の基地のそばに行けばそういう演習はやっているでしょうけど。「国」っていうフレームを、日本は考えることなく戦後暮らすことを、まず最初にアメリカからそういうお題をいただいて、それを上手く演じてこれた時期があった。「失われた20年」っていうのは、それに上手く自分たちの身体をフィットさせていった時期だった。

 そしたらその、もらったフレームが壊れちゃった。つまり裸の国っていうものが、今から生まれなきゃいけないことになってしまった。その時に「フレームって何だろう?」って考えて。

 例えば中東だったら、まず軍備とか。カタールの軍備状況は知りませんが、本当に「エリア88」じゃないですけども、傭兵部隊がいたりするのかも知れないし。常にエネルギーがあるところには紛争あり、ということですから。

 そういう意味で文化事業をやることで政治的なバランスをとっているのかもしれない。でもそういったフレームをもう一度、作り直さねば、作り直していく過程っていうのは相当痛みを伴う過程なはずですよね。

 だから例えば、海外への援助金みたいな。未だに中国に支払っているみたいなことで、日本政府としては軟化体制のフレーミングの延長線上で、「まあまあ、これでどうにか上手くやってください」っていうのが、それがポリティックスだと思ってたかも知れないが、それではもう持たなくなってしまったという意味では、本当に今から大変なことを僕ら日本人がちゃんと背負い込まなきゃいけない時期が来てしまうのではないか。来てしまうのではなく、来てしまわざるを得ない。

 「原発反対」なんて言っている場合じゃないっていうか。そういうことよりももっと有事が来ちゃってて、でもそれが震災で見えた。隙間から見えたんですよ。震災がそんなに大きな日本の有事ではあるが、しかしそこの隙間から覗いたもっと大変な有事っていうのは、「国家のフレームがない」ということですよね。

 だから、やれ尖閣諸島の問題だの。いろいろ軍備の問題とか言うと日本の教育においては、そういう軍備だとか日本の国家を考えることは、右寄りでよくないってことが洗脳されていますが、今後はそういったところにも才能を流入させなければ、日本というフレームは持たないんじゃないか。

 試しにね、うちの新しいスタッフのケンタロウ君っていう子がいて。日本で生まれたんだけど、アメリカで育った子がいて。その子に、「ちなみに今アメリカの学校の教育で、アメリカ軍の軍備であるとか、パワーバランスってどうやって教えているの?」って聞いたら、「教えてない」って言うんですよ。

 僕、びっくりして「えっ、ないの?」「言わないようにしています、学校では」「それちょっとおかしくないの?あんたたち、デモクラシーの国じゃないの?」「いや、そうなんですけどねー。大体、軍人は貧乏人がやるんでね」って。「本当にどこにも行けない貧乏人と、本当にびっくりするぐらいのスーパーエリート。この両極しか軍に入っていかないんです。なので、軍は一般人には関係ないことだし、パワーバランスは我々には教育されていない」っていうの聞いて、僕びっくりしたんですよ。

 大義名分を教育して、それでアメリカはあのような軍を機動させているんだと思ったし、国家予算のものすごい分量を、彼らの自国の税金から払っていると思いきや、そうではなかった。つまり日本は、日本以外でもアメリカにショバ代を払い続けられる構造そのものが、隠してもアメリカ人の納得いく、要するに金銭的なバランスで国内で機動しているんだなというのが、ぼんやりと想像できたわけですよ。

■村上隆「寺山修司じゃないけど書を捨て町に出るしかない」

村上: つまり、ではどうすればいいのかと言うと、やっぱりそのフレームを作るためのもう1回痛みを伴う、そのあれこれをやり続けなければいけない。となると、それは革命ですよね、ひとつの。

 だから、東さんが20年って言ってたのが、例えば再来年に日本に大きな革命がきて、それが沈静化するのに10数年かかるっていう意味においては、極めて僕も何か合意できるような年月だと思うし、もしかしたらもっと長い時間かかってしまうんじゃないかっていうのは気がするんですよ。

 皆がやっぱり、今回思ったのは、日本は江戸幕府状態だっていうのはすぐ思いついたことでしょうし。じゃ明治維新っていうのは何かっていうと、明治維新はやっぱりウエスタンのカルチャーを要するに輸入して、移植したわけですが、今回移植する仮受けするものがなくて、実際我々自身が今回発明しなければならないことっていうのが、まったく新しいことだったことなんですよね。

 それには有事以外何者でもない年月が、解決するまで続くか、もしかしたら本当に何かこうサイファイな発想ですけれど、国がなくなっちゃうんじゃないかなっていう危機感が、危機意識を持たなければ、危機がもうくるんじゃないかと思うので、その意味では、その逆に、芸術やらその東さんが言う言葉や僕が言う芸術が必要じゃない社会が早いとこくればいいなという気がしますけれどね。

 まだありますか?

司会者: 今来たメールです。

 「この先20年というお話がありましたが、例えば、このニコ生を眺めている私は正直ただの凡人です。クリエイターでもそれを目指しているわけでもありません。ただ、社会を変えて行きたい、という意志はあるのです。この先20年間で、普通の若者が何か関わることができるということがあれば、何でしょうか。村上さんにうかがいたいです」

村上: いやだから、その物言いがむかつくんですよ僕。そんな奴できねえよ何も、というひとことしか言えません。

 普通の人でっていうのはね、つまり勉強もしたくない、行動もしたくない、何もしたくないけど、「そんな私でもできますか?」。はい何もありません、ですよ。何もできるわけないじゃないですか。そんなニコ生みて、座ってできるんだったら、みんな超能力者になってね。全部すべてが平和になってますよ。できませんよ。何もできない。痛みを伴わなければできない。

 要するにもうそういう世の中になってきたことを理解し、やっぱり本当に、寺山修司じゃないけど「書を捨て町に出る」しかない。もしくは自分がトレーニング、再トレーニングし直して、社会とアクセスすることをどうにかしてやるしかないと思いますよ。だからその辺は、まぁ僕はね、そういうことずっと言い続けているし・・・。

: いや、みんなそれはできないので。皆がそれをやるのは無理なので。僕はだから、あんまりそういうことを言う気はないんですよ。

岩渕: そうすると、それは誰がやるんですか?

: いや、だからやっぱり無理だと思いますよ。だから、そうじゃなくて、僕としてはやっぱり『五百羅漢図』の話をしたくてですね。あの『五百羅漢図』の話で最後締めたくて。

 つまり、芸術とか言葉の機能っていうのは、「お前しっかりやれ」じゃないわけですよ。「お前らもしっかりやれ、社会にコミットしろ」っていうのは橋下徹に任せておけばいいわけですよね、逆に言うと。そこから絶対に落ちて行く人たち、こぼれ落ちていく人たちがいるわけで。村上さんの絵はそれを救うと思いますよ。

 村上さん自身はそういう奴らは気に喰わなくて、お前らもしっかり社会にコミットしろ、日本の危機じゃないかって思っているのかもしれないけれど、おそらく村上さんが作り上げた絵っていうのは、そういう村上さんの思いとは関係なく、こぼれ落ちた人をどう救うためのものとしておそらくある。だから、それが芸術としての機能で。

 村上さんのこの絵の素晴らしいところはどっちかっていうと、今の質問されたような方を救うことにありますね。

村上: なるほどね。

: 僕の考えでは。

岩渕: 救うっていうのは、どうなると救うことになるんですか?

: いや、知りませんよ。それは何か個々のケースなので、ちょっとわからないですけど。とりあえず届くっていう意味では届くでしょうし。何かを感じさせたり。社会がすごく危機的だから、皆しっかりしなさいって言っても、やっぱりそんなふうになった国はないし、僕たちの国もならないと思うんですよ。

 だから現実に普通にこう、これから何かあまり経済もうまくないし、政治も混乱が続いていくって中で、何か本当だったらもっと良い人生が歩めてるかもしれないけど、そうじゃないっていう人たちは、なんとなく僕たちの国の中でも、増えていくだろうし。

 やっぱり芸術とか言葉っていうのは、そういう人たちの側にどこか立たなければいけないというか、立ってしまうものであって。立ってしまうものなんだと思うんですね。

 僕、思想とか芸術というのは、構造的に弱者のためにしかならないものだと思うんですよ。強い人のためには要らないんですよね。今回3・11の後、それを何か確認しちゃった感じがするんですよね。ぼくは基本的に弱者嫌いですよ。個人的には。僕も個人的には、ニコ動だけ見て、何か偉そうなこと言ってて、人のツッコミだけ入れてる奴とか最悪だと思うけど。

 それとは関係なく、思想とか芸術というのは、弱者のためにあってしまうものなんだと思うんですよね。やっぱりだから僕は村上さんの『五百羅漢図』っていうのは今回、そういう芸術の、本質の部分みたいなところに触れているなっていう気がしました。

 だからその逆に言うと、村上さんがずっとこの10年間、ある意味で言うと村上さんはまったくブレていなくて、この10年間村上さんが日本人に対して、っていうか、他の美術家とか同僚とか社員とかに対して言ってきたことってずっと、橋下徹がこないだ『朝生』で薬師院さんに対して言ってきたこととあまり変わらなくて。

 お前らしっかりしろよ、そうじゃなきゃ勝てないでしょグローバルにっていう話ですよね。それなんですよ。それはずっと一貫しているんで、今の話でもそれが出てきて、おそらく村上さんの頭の中には共存していて。

 やっぱりまだ、そういう強い主体というか、強いゲームプレイヤーであるべきだっていうのも残っているんでしょうけど、出てきた作品は全然違うものになっていたので、何かそこに転機を見たというか。そんな感じです。

村上: なるほどね。わかりました。なるほど。まぁでも、あれです。映画を今僕作っていて、自分のお客様は誰なのかっていうと、弱者とは言わないけど、やはり映画を見ないとやっぱり何か救われない人だなっていうことを考えながらやってきたりしたので、若干わかります。

 というか構造的にはわかりますけど、例えば、なぜ東さんに会社の話を聞いたかというと、そういうコンセプシャル(構造的)な部分と、でも会社なり、例えばじゃあ作品を作る時にすごいハイパーバジェット(多額な経費)が必要で。それをオーガナイズしていく時に、僕の中では葛藤というか具体的なせめぎ合いがあって。

 まあ結局、構造改革まで着手しないと、金も持って来られない。そのそういう救いを、例えば救えるようなものも作れない、ジレンマ、ジレンマっていうかジレンマじゃないんですけどね、それをまあ、いっしょくたにしてきたのが僕の世界観なんですけれど。

 そういうところを共有できる部分がコンテクチュアズを作ったことでできてきたので、そういうことでシンパシー(共感)を感じてもらえたのかなと僕は思ったので、さっきのような質問をしたのですけど、「違った」ということがわかりました。

: うーん、別に違ったと思わないんですけど、どうなんでしょうか。いまのは資金繰りとかの問題ですよね。

■村上氏の作品に救われるのは「強い人じゃない」

村上: つまり、例えば東さんもそうだと思いますけど、ある表現をするにはデザイン、そのあとは売り方、そのいろんなディテールが蓄積して、やっと読者にメッセージのひとことを届けるというフレームみたいなものが必要じゃないですか。

: いやいや、だから今村上さんが仰っているのは制作者の側の話でしょ。でも消費者の側は関係ないわけですよ。それはまったく。

 消費者が例えばふらりとここを立ち寄って、例えば村上さんの絵に感動し、救われることをまったくそれを否定する必要はないじゃないですか。

村上: ああ、もちろんもちろん否定はしてませんよ。否定はしてません。でも…。

: その時、救われる人は、強い人じゃないんですよ。

村上: 確かに確かに。まあ、わかります。

: だから強い人間じゃないと物は作れないけど、作った物っていうのは弱い人間が消費するんですよ。これは何というか芸術とか言葉っていうのは構造的にそうなっている。

 強い人間は言葉とか芸術は必要としない。というのも我々だってそうじゃないですか、何かこう、一体いつ言葉とか芸術とかっていうものを僕たちが個人的にいつ必要としているかというと、それは弱い時に必要としているのであって。

 やっぱりそれを勘違いしちゃいけなくて、強い人間のために強い言葉を届ける、そして俺も強くなるお前らも強くなれってなってくると、それは何も意味がないものになるんですよ。そういうことを僕は言いたかった。

岩渕: 現在進行形のアートシーンでは、アートは勝者のためのものであるという一面はありますよね。例えば、現代美術を所有することによって、勝者のサークルにエントリーできるといたような・・・。ただ、100年とか200年といった長い時間で考えると、歴史に残った作品が多くの人たちの救いになる、もしくは多くの人を救った作品が歴史に残っていくという。

: 歴史に残るっていうのは、結局そういうことだと思いますしね。

村上: なるほど。いや何か、そうっすね。何かすごく、すごくいい・・・すごくわかりました。

 何がすごくわかったかって言うと、僕はだから結局本当に、結構東さんの話はスーッと入ってくるんですけど、一昨年、一昨々年くらいのせっせとやっている時は、何か「うーん」と思ってやっていたかもしれないですね。

 つまりさっき仰っていた橋下的な何か。グローバルに勝たなきゃアカンっていうのがあったので、それしかやっていなかったので。そうはいっても、という部分がばっかりが前面に出てきたなと思いました。

 作品の世界観も表面的になっていたかもしれないなっていう反省はあったんで、自分の中でもブレイクスルーみたいなのが、ちゃんとした言葉になりませんけどあったので、それもひとつ僕自身が見つけられなかった言葉ですけど、それはすごくこう溜飲が下がる感じがしました。

: アートが弱い人のためにあるんだっていう人は、美術家にも評論家にもいるわけですが、その中でもある意味でそういう偽善を批判して、結局アートっていうのはマーケットの中の勝負なんだから、ゲームのルールの問題なんだと村上さんはやってきたわけです。

 でも結局その果てに行き着いたのが、最も弱い人のために作品を作ってしまうっていうところに、おそらく芸術というものの本質的な逆説というか、難しさっていうのがあって。僕はそれが今回目の当たりにしたという感じがするんですね。

 震災があるから、やっぱり弱い人のために、福島の人を救うために芸術を作らないといけないと思っていた。現代美術だけではなくて、多くのクリエイターにはできないことができてしまっていて。

 それは村上さんが、弱い奴はクズだっていう立場を貫いてきていたことだからこそできたと思うんですよ。おそらくその逆転というのが一番感動的で、一番最初の話に戻りますけど、やっぱり村上さんとの活動を横で10年間見てきて、ここでこういうふうになったんだなということは、何かすごく深い、深いメッセージっていうか。

 つまり僕もこうあらねばいけないのだな、というようなものとして受け止めました。

村上: なるほどね。いやいい話だ。なるほどねって思いました。

: 僕もほら、今日は真面目にやろうかと思いまして(笑)。

(一同笑)

: いつもは、頭の3割くらいしか使わないでやってるので。

村上: そうなんですか?(笑)

: ツイッターやったりとか。やっぱり笑いもとらないみたいな方向でいったりとか(笑)。

村上: あのそうですね。いま仰っていた「芸術の不思議」というのは本当にそれが感動ですよね。まあ何か、それは僕のことで言ってくれましたけど、僕もやっぱりそういう逆説的な転換によって「なんでこれがこうなるの?」っていう時が一番感動だったりするので、東さんはああいうふうに感動しかないって言ってくれた理由がわかって、それがちょっと腑に落ちました。

: 感動しかないです。だから、今回の展覧会って村上さんの回顧展というか個展として非常に優れた個展で、何か実は他にも見どころがあってですね。普通だったら他の作品も褒めたりしたんでしょうけど、僕はとにかく『五百羅漢図』の話しかしたくないといっているのは、ここにだけ村上さんの今までやってきた臨界に到達し、逆転した瞬間が現れているんですよね。

 それはなんというか宣伝っていうわけじゃなくて、僕はやっぱり日本で多少文化に関心がある人はこのカタールに来るべきだと思うんですよね。その転換が起きている、その事件が起きているみたいなものは、何かその立ち会わないとわからないものなので。だからそういう事件に立ち会えてよかったと思いましたし、3・11っていう、事件というかすごく巨大な災害が日本でもね、ある意味で風化しているというか、風化し初めているというか。

 例えば来月3月11日、ちょうど1周年ですけど、どっか大きい特番やったりなんだり、やるんでしょうけど、何ていうかそんなには盛り上がっているようには思えないんですよね。例えば、僕のところにくる噂話でもそんなに何か大きいことが起きそうにないなっていう気がして。

 だから何か、結構3・11の衝撃みたいなものもいつの間にか無かったことになっていて。日本の文化が続いていく時にやっぱり、今回カタールでではあったけど、ツイッターに書いたとおり、これはカタールでしか逆にできなかったと思うんですけど、カタールでこういう形で村上さんがレスポンスを返してくれたというのは、日本で物を作っている物を考えている全ての人にとってすごく大きな、大きな励みになると思うので。僕はもうみんなカタールに来たほうがいいと思います。

村上: じゃ、僕もあんまりペラペラ喋らないようにしよう(笑)。

■村上隆「東さんは僕自身が発見できていないところを発見してくれた」

村上: (カタールには)「芸術の不思議」を見に来てほしいですね。いや、そう言われると何かこう嬉しい部分と悲しい部分に一緒に去来しました(笑)。

: なんで?

村上: いや、嬉しい部分は芸術作品を作れたんだなという部分で。悲しい部分に「橋下に任せておけ」っていうふうに言われちゃった部分ですよね。まあまあ、いいんですいいんです。

: どうなんでしょう。

村上: いやいや、自分も何かずっとこうブレインストーミングしているわけですよね。だけど何かこう、何だろう。自分が1枚ビっとできるか、できないかという、ビっとする雰囲気というのが今の3・11盛り上がっていない雰囲気にも、何かこう近いのかもしれないけれど、何かあるわけですよ。何かONできない。

 それをこう聞きたくて、東さんとかね、ツイッターとかを読んでね。何だこのもやもや感っていうのは考えているんですけどね。あとは何かありますか。最後にひとこと。

 じゃあ僕から、あれですけど。特に岩渕さんと僕らの関係も何か、ある2ちゃんねるとかに書かれていましたけど、村上『美術手帖』を買ったのか?とかね。何か書かれていましたけど。まあ、ずいぶんねずっと見てくださってましたけど。

 東さんがニュートラルな感じで見ていただいて、今仰ってくれたような、すごいクリティカル(批判的)な部分を説明しつつ、かつこう、僕がやっぱり僕自身が発見できていないところを発見してくれたことで、何かこう僕自身はアーティストなんで作品を作ることしかできませんけど。

 まあ無能であった自分にも少しばかりのご褒美をいただいた気がして。ありがたい思いをしました。そんなの皆さんにとってはどうでもいいことかもしれませんけれど。しかし、そのやっぱり、このカタールで何でカタールでやるんですか?ってそれを約(つづ)めて言えば、カタールが文化立国をしたくて我々インバイト(招待)されたわけですが、やっぱりいろんなことには、色んな偶然には、必然的な何か意味が僕はあると思うので、まあこの番組をオファーしたのはこちらにくる10日ぐらい前にニコニコのほうに電話して、番組が決まったんですけど、1週間くらい前だったかな。

 だから急遽ね、東さんなり来てもらうことになったし。すごくこう、こういう番組をきっかけにお話をさせてもらって良かったと思います。まとめにもなりませんでしたけど、すみません。

: いやまあ、兎にも角にも、何かほらこう、人間って大人になると基本的にまともなことってほとんど話さないので、村上さんと今度まともに話すのは10年後って感じがするので、この番組でちゃんと『五百羅漢図』に何かこう、僕がどういう感銘を受けたかっていうことと、これからの村上さんにどういう期待をしていることが、僕なりの言葉で話せて良かったです。

 あとはその村上さんがいつか「東君が言っていることがようやくわかった」と言ってくれるように僕も頑張っていきたいと思います。今日はありがとうございました。

岩渕: この展覧会は、2010年にフランスのベルサイユ宮殿での個展の巡回ということになっていて、ベルサイユ展の時には、アンディ・ウォーホルの格好をした村上さんが表紙になった雑誌が出たりしました。つまり、ダミアン・ハースト、ジェフ・クーンズと同じような、アンディ・ウォーホルの後継者というメッセージです。現代のポップ・アーティストのトップにいるというポジションでした。

 それから1年半ぐらい経ち、その巡回展でありながら、今回の展覧会をみてみると、ポップ・アーティストとしてどうこうというものは超えちゃっている。一方で、今の世界情勢をみても、ここ中東をはじめとして、中国、インド、インドネシア、シンガポールなどの東南アジアなど、アジアに経済や政治の軸がグゥと動いている。

 アートシーンももちろんこの動向に密接に関連して、アジアにパワーが集まってきている。そのような状況の、まさに震源地に村上隆がいることを身を以て感じています。

 ジャーナリストとしてこんなエキサイティングなアートの現場はない。さっきの2ちゃんねるに関して言うと、それが、かなりコミットしている理由になります。つまり、日本から出たアーティストが、これまで欧米が本当にイニシアティブをとってきたルール自体を変える可能性が本当に垣間見えている。

 僕らはその渦中に、歴史的な瞬間に立ち会っているんです。皆さんもそれを現在進行形のスリリングなガチンコの異種格闘技戦を観て、刺激を受けたり勇気をもらってほしいと思います。このカタールでもまさにそれが興っています。

 例えば、この村上展のキュレーターは、マッシミリアーノ・ジオーニと言います。彼はニューヨークのニューミュージアムのキュレーターで話題の展覧会を連発していますが、最近、今年のベネチア・ビエンナーレで総合ディレクターを、37歳の若さで務めることに決まったスーパーキュレーターです。そして、そのキュレーターを呼んできたのが誰なのか。など、まだまだたくさんありますが、本当にここにいるだけで、すごく情報が入ってきます。

 このダイナミズムは現場で展示を見たら必ず伝わると思いますので、とくに世界で勝負しようと思っている美術関係の方は現場で体感してもらいたいです。

村上: はい。それでは東さん、岩渕さんありがとうございました。観ていただいた方も皆さんありがとうございました。それでは、いつの日かまたお会いできる日にお会いいたしましょう。じゃあカタール・ドーハから・・・。

: 何かこう、暗い雰囲気になってますね(笑)。おかしいですねこれは。僕のせいですか?

村上: 真面目になっちゃいました(笑)。

: 最後はテンションを上げていく感じで。

岩渕: そうですね。

: 「皆もドーハに来い!」みたいな感じ。

岩渕: 酒が飲めないから。

: 酒が飲めないのはまずいですねえ。

村上: お酒が飲めないですよね。

: 最悪ですよね。酒が飲めないのは。

村上: 今日は2次会で飲めるので。

: マジですか?

村上: 2次会まではちょっと待ってください。

: 2次会・・・ディナーの途中で切れるんじゃないかな。寝る可能性がある。

村上: いやあ、怖いです。

: レセプションもないんでしょ、アルコール。

村上: 1階のホテル・・・。

: やっぱビールとか持ってくるべきかな?

村上: モザンビークホテルにいって飲めば、飲めますよ。ホテル行って僕の部屋とかだったら飲めます。そうしますか。

東: 昨日今日、結構難しくて。昨日夕飯食べていたら頭がボーとしてきちゃって眠くなってきちゃって。アルコールがないとヤバイですよ、やっぱり。

村上: すみませんでした。

: いえいえ、じゃ今晩はイスラム的な何かが。

村上: 今日は何か、ペロタンがちゃんとしたパーティを揃えているということなので。

岩渕: はい、頑張ります。

村上: みなさんありがとうございました。

: ちょっと場も和んできて良かった。

村上: はい、ありがとうございました。

(了)

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]村上隆×東浩紀×岩渕貞哉 鼎談冒頭から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv79992110?po=news&ref=news#0:09:56

(書き起こし・吉川慧、ハギワラマサヒト、小浦知佳)

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