心を温めてくれる短編集〜川上弘美『ぼくの死体をよろしくたのむ』
ある時期、川上弘美さんの本だけを読み続けていたことがある。最初に読んだのは確か、『センセイの鞄』(中公文庫)だった。続けて読んだのが、デビュー作にして第1回パスカル短篇文学新人賞受賞作である『神様』。これにドハマりし、その当時出版されていた川上作品を読破するに至ったのだ。ちなみにパスカル短篇文学新人賞とは、ASAHIネット主催の文学賞で現在はもうなくなっている。応募から選考に至るすべてをパソコン通信でやりとりし公開するという試みであったそうで、確か長嶋有氏が川上さんが受賞されたときのことを熱く語っておられた記憶がある。
本書を読んで、久しぶりに『神様』を読んだときのことを思い出した。『神様』は特に大きな事件が起こるような短編ではない。同じアパートに引っ越してきたくまと(いや、冷静に考えたら近所に熊が越してくるのは大大大事件だが)、川べりに出かけるという物話である。読み終えたときにわき上がった感動はちょっと忘れられない。いったいこのシンプルなストーリーのどこにそれほど心を動かされたのか、そのときもよくわからなかったし、実はいまでも同様である。でも、『神様』は確かに胸に響いたし、その記憶はいまでも私の心を温め続けている。あまり”どうしてかわからないけど好き(嫌い)”とは言いたくないのだが(できる限り言葉で説明したい)、『神様』は自分にとって特別な作品なのだ。
本書に収められている短編の数々も、誰かにとってのそういう存在になればいいなと思う。私が特に気に入ったのは、「二人でお茶を」「ルル秋桜」「憎い二人」あたり。川上さんの作品にはファンタジーというのか、現実ではちょっと出会えなさそうな生き物や現象が出て来るものがあるが、私が選んだのはごく現実的な人生を生きている人々の物語だ(くまも出て来ない。「こんな人はあまりいなさそう」というような、変人キャラは登場するが)。現在の自分には、ありふれた日常の中で右往左往する人々が愛おしく感じられるということなのかなあと思っている。いずれにしても川上作品においては、不思議な人やことに出会おうが出会うまいが、基本的に登場人物たちはごく淡々と日々を過ごしているものだけれど。
例えば「二人でお茶を」は、ともにバツイチであるふたりのいとこの話。語り手のミワちゃんは、両親が残してくれたアパートの収入のおかげで楽ではないながらも生活できている。一方のトーコさんは、外国暮らしが長かったIT関係会社の副社長である。そして、トーコさんの服装は「イタい」。具体的には、「タイツがま緑色(正真正銘、雨ガエルの色)で、そのうえびっしりとムーミントロール模様がプリントされている」。トーコさんは見るからに自由人で、そしてトーコさんと自分は正反対だと思っているミワちゃんもやっぱり自由なタイプだろうと思う。相手が個性的なキャラクターである場合、心の狭い人間にはそれを尊重できないあろうから。「ルル秋桜」の語り手であるひとみもやはり、周囲の人々と適当にうまくやることができない性質。”周囲の人々”の中には、いやみな感じに接してくる姉・みのりや、自分を十分に理解してくれていない母も含まれている。たったひとりの友だちだった隼人くんがサッカーを始めたためにあまり遊べなくなったのだが(おかあさんの新しい恋人が元サッカー選手である、というのが理由)、新しく通うようになった絵画教室の先生である杏子ちゃんとなかよくなったひとみ。ひとみと隼人くん、あるいはひとみと杏子ちゃんという具合に、彼女の人間関係は1対1で成り立っている。男子からも女子からも注目されて両親からも大切にされるみのりと形は違うが、ひとみと隼人くんや杏子ちゃんの結びつきは細やかで揺るぎないものだ。
こうしてみると、私があげたいずれの作品でも「二人」という関係性が重要なポイントになっている。”器用でない者同士でも、お互いを受け入れ合っている”状態に憧れがあるのだろうか、私。そうはいってもなかなかそんなしっくりくる人とはめぐり会えないものだけれど、川上さんの作品を読んでいると”器用でない相手でも、受け入れることができる”気持ちになれる気がする。そうしたら、少々変わった人物とでも友情を育む力が備わるのではないだろうか。ミワちゃんとトーコさんのように。「わたし」とくまのように。
(松井ゆかり)
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