都市伝説と認知科学的が交叉する、異色の青春冒険小説
いっぷう変わった非日常サバイバル小説。個々の要素だけを取りだせば、先行作品はいくらでもあるが、その組み合わせかたがユニークだ。
主人公はふたりの女子大生、紙越空魚(かみこしそらを)と仁科鳥子(にしなとりこ)。彼女たちは〈裏側〉の世界で出会った。
空魚は閉塞した日常に息苦しさを感じており、ひとりで心霊スポットを探索していたが、その過程で偶然に〈裏側〉へ入る方法を発見した。いっぽう、鳥子は行方不明になった友人、冴月(さつき)を探すため、これまで幾度となく〈裏側〉を訪れていた。彼女はもともと冴月の導きによって〈裏側〉を知ったのだ。
〈裏側〉は人知が及ばぬ存在が何種類も徘徊する危険いっぱいの領域だが、人間のテクノロジーでは作りだせない貴重なものが見つかる。そのため、金儲けもしくは研究目的で入りこむ者もいる。
作者の宮澤さん自身が〈SFマガジン〉4月号のインタビュウで明かしているように、この設定はストルガツキー兄弟の『ストーカー』が下敷きだ。『ストーカー』はアンドレイ・タルコフスキーが映画化して有名になったが、もともとのタイトルが『路傍のピクニック』なのだ。
ストルガツキー作品は異星人が地球上に残した〈ゾーン〉が舞台だったが、『裏世界ピクニック』ではそれが〈裏側〉になっている。面白いのは、それをネットで流通している都市伝説と結びつけている点だ。あのアヤシイ雰囲気、伝播の過程で妙に歪んでいくとらえどころのなさを、うまく取りこんでいる。たとえば、鳥子が〈裏側〉へ入りこむ方法だが、神保町の雑居ビルのエレベーターを、四階、二階、六階……と、特定の順番で上昇下降させる。限られた階を上下しているはずだが、ドアが開くたびに見える光景は変わっていく。ただし、五階に止まると決まって女が乗ってこようとする。しかし、絶対に乗せてはいけない。そうするうちに、操作パネルの数字が見慣れぬ文字に変わる。屋上まで昇れば、そこが〈異界〉だ。
空魚と鳥子が遭遇した「くねくね」の描写も、背筋がぞわぞわしてくる。
それは、縦に引き延ばされた人のような形をしていた。
西日が落とす長い影を地面から引きはがして立たせたような、とらえどころのない姿。
色は白。タバコの煙を思わせる濁った白。
その白くてひょろりとした人影が、水に浸かった草むらの中に立って、身をくねくねさせている。踊っているのか、苦しんでいるのか、くねくね、くねくねと。
その動きを見ているうちに、だんだん頭がぼんやりしてきて、気持ち悪くなってくる。それなのに、もっとよく見なければならないような気になってくる。
「くねくね」をじっと見れば何かがわかるような気がするが、同時にわかったらダメになる予感がする。奇妙な感覚で頭がおかしくなり、やがて死に至るのだ。
これ以外にも、うすらでかい不審者の姿なのに奇妙な懐かしさで人間を引きつける「八尺様」、顔の行列が蛇のようにくねりながら追ってくる「きさらぎ駅の怪物」、別世界(いっけん現実世界に見えるが〈裏側〉の空間かもしれない領域)に迷いこんだ者を意味の通らない言葉で追い返そうとする「時空のおっさん」……などが、空魚と鳥子を翻弄する。
アイデア面での山場は、こうした〈裏側〉の存在に認知科学的な仮説がつけられるくだりだ。怪奇小説とも冒険小説とも異なる、SFの醍醐味といえよう。だが、完全に説明しつくさないところが、この作品の絶妙な味わいになっている。
いっぽう、ストーリーの面では、なりゆきでコンビを組むことになった空魚と鳥子とのつながりがひとつの軸となる。自意識を少しこじらせたような空魚。サバサバしているが外国育ちと金髪碧眼の外見も手伝っていわくありげな鳥子。〈裏側〉で生き抜くため息の合ったところを見せるふたりだが、やがて空魚は「鳥子にとって私は何なのだろう?」と考えはじめる。鳥子は大切な友人である冴月を探すために、この危険な世界にやってきた。では、自分はその探索をやりやすくする手段にすぎないのか。青年期にありがちというか、女性の友人関係に多そうなというか、まあ、めんどくさい悩みだが、それをあまりベタベタさせずに描く匙加減が上手い。青春小説としても成功している。
(牧眞司)
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