金融・IT・財務会計のキャリアを捨て、「ステキ」な雑貨の輸入事業にシフト――ステキ・インターナショナル株式会社 代表取締役 島影将さん【起業家たちの選択と決断】

証券会社で営業。公認会計士資格を目指して勉強。IT企業の経営企画室でIPO(新規株式公開)業務を担当。ネット企業の役員として2社のIPOを達成。アメリカに2年間留学。Eコマース企業を設立――。社会に出て十数年の間に、島影将さんのキャリアはめまぐるしく変化した。

そんな島影さんが現在経営者として手がける事業は、フレグランスやコスメといった生活雑貨の輸入商社。以前のキャリアからはかけ離れているビジネスにたどり着いたプロセスには、どんな選択と決断があったのだろうか。

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ステキ・インターナショナル株式会社 代表取締役 島影将さん

これまでの「得意」や「専門」にとらわれず、次の道を選択

「人生の節目で選択や決断をするとき、『これまではこうだった』にはとらわれないんです。そのときそのときで、先を見すえたときにベストだと思う道を選んできました」

―そう振り返る島影さん。

最初に大きな選択をしたのは、大学の進路選択だった。数学は大の苦手だが、英語の成績は上々。通常なら文系学部に進むところだが、たまたま「バイオテクノロジー」に興味を持ったことから、理系に転換した。志望先の農芸化学科は、二次試験科目に英語はない。「英語なら点数を稼げるのに、受験で活かさないなんてもったいない」という友人たちの声も気に留めなかった。

必死に勉強して苦手な数学を克服し、志望学部への入学を果たした島影さん。ところが、大学卒業後、バイオテクノロジーとはまったく異なる道に進む。就職先として選んだのは、野村證券だった。

「そのときは、もっとも自分を成長させる方法は何かを考えていたんです。出した結論は、『日本一厳しい会社で働くこと』。大学で学んだ知識を活かすことにはこだわりませんでした」

常識や既成概念にとらわれない姿勢は、進路選択だけでなく仕事のスタイルにも表れていたようだ。上司から「この商品を売ってこい」と指示されても、「それは本当に顧客にとってベストなのか?」と疑った。より顧客のためになる投資手法を独自で考え、顧客に提案した。

「勝手なことをするな」と毎日のように上司から叱責されても、お構いなしだった。実際、バブル崩壊後で株式市場が冷え込み、多くの投資家が損失を被る環境下で、島影さんの顧客は利益を挙げ続けられたという。

転機が訪れたのは証券営業を務めて3年目、25歳のとき。「このままではいけない」と痛感する出来事に遭遇した。

ある顧客に対して節税対策の手法を提案したが、まともに取り合ってもらえなかった。そこで、税理士資格を持つベテラン社員を連れていったところ、その顧客は態度を一変させ、資産情報や悩みをあらいざらいその社員に打ち明けたのだ。

「専門知識を高めなければ顧客の信頼を得られない」と痛感した島影さんは、公認会計士の資格取得を決意する。

ネット業界に飛び込み、「IPOのプロ」として駆け上がる

それから1年半の間、専門学校に通い、1日15時間勉強。しかし、短答式試験には合格したものの、論文試験で落ちてしまった。翌年再チャレンジする道もあったが、無職期間を長引かせることをよしとせず、再び働き始める。

つなぎとして就いた仕事はビルの警備員。併行して、資格スクールで証券アナリスト資格の模擬試験問題作成のアルバイトをして、月に40~50万円稼いだ。

「その気になれば、この社会は食うには困らないんだな、と思った。そこで開き直ることができたのはよかったですね。チャレンジすることに不安を感じなくなりました」

1年かけて、親から援助してもらっていた資金を返済すると、再就職活動をスタート。公認会計士の資格取得には至らなかったが、会計の知識を活かす道を探り、IPO(新規株式上場)要員を募集している企業に狙いを定めた。

「実務未経験者は採らない」と門前払いになった企業もあったが、あるベンチャー企業で自分の想いを語ったところ、「あなたのような人を待っていた」と1回の面接のみで採用された。それがGMOインターネット(当時:インタキュー)だ。

IPOプロジェクトチームの一員となった島影さんは、会社に泊まり込んで働く日々を過ごした。そして、入社から1年11ヵ月後にIPOを達成。以降、子会社の役員に就任し、2社目のIPOを手がけた。会社設立から364日で上場という、当時の史上最短記録も打ち立てた。年収は入社当時の3倍以上に達した。

他のIT企業や証券会社などからスカウトも来るようになり、通常であれば「IPOのエキスパート」として生きていくのが順当なキャリアップの道筋だっただろう。

ところが、島影さんは、また別の道に目線を向ける。ネット業界で生きていくためには、技術が先行しているアメリカの情報をいち早くキャッチする必要があると感じ、社長に「アメリカに留学したい」と申し出たのだ。その希望が叶えられ、留学支援制度が発足。その第1号となり、1年間英語を学んだ後、2年間アメリカに留学した。

「このタイミングでキャリアにブランクをつくるのはもったいない」――周囲からそんな声も聞こえてきたが、意に介さなかった。

「多くの人は過去~現在の延長線上で将来を決める。でも、それでは人生の選択肢が狭まると思う。僕はまだまだ広い可能性を持っていたかったんです」

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ネット企業を設立。その後、「キャンドル」との出会いで方向転換へ

帰国後、社長から「何がやりたい?」と聞かれた島影さんは「子会社を作りたい」と答えた。それから1年間、社長秘書を務めながら、事業プランを練った。

しかし、新会社設立を目前にして、会社の方針により延期が決まる。そのとき、すでに前の会社を辞めて事業に参画してくれるパートナーがいた。その人のためにも事業計画を撤回するわけにはいかないと考え、独立を決意。2005年、自己資金で会社を立ち上げた。

起業当初に手がけたのは、日本にまだ入っていない商品を扱う通販サイトの運営。有名ブランド品ではなく、「無名だけどステキな日本未上陸の商品」を扱うことにこだわった。しかし、利用者数は伸び悩んだ。無名なだけに、ユーザーの検索に引っかからないためだ。

業績は徐々に上向いていったものの、黒字化には至らず苦戦していたある日、島影さんはある商品に出会う。ロサンゼルスのメーカーが出している『DAYNA DECKER(デイナデッカー)』というアロマキャンドルだ。暖炉で薪を焚くような「パチパチ」という音がする、世界初のキャンドル。「日本に紹介したい」という想いに駆り立てられた島影さんは、1週間後にはロサンゼルスに降り立ち、メーカーを訪問。「日本での独占販売権を与えてほしい」と交渉した。

流通業で実績がないことから、最初は相手にされなかった。しかし「3ヵ月の猶予をくれ。それまでは他社に独占権を渡さないでほしい」と訴えて帰国。サンプルをもとに営業活動を行ったところ、大手百貨店をはじめ小売店4社での取り扱いが決まり、約束の3ヵ月で1000万円の売上を達成する。その実績が認められて、独占販売権を獲得した。

このとき、島影さんは、「ネット企業」から「輸入商社」へと舵を切ることを決意する。ネット業界で経験を積んできたが、そのキャリアを捨てることにも抵抗感はなかった。

「過去にとらわれるのは、新しいチャンスを失うということ。それはキャリアを手放すよりもったいないことだと思うんです」f:id:tany_tanimoto:20170303173703j:plain

DAYNA DECKER(デイナデッカー)

こうして、「まだ日本で知られていないステキな商品を発掘して紹介する」というビジョンを掲げ、ステキ・インターナショナル株式会社として再スタート。キャンドルに始まり、フレグランス、コスメなど、商品ラインナップを広げてきた。

金融・会計・ネットの世界での経験を経て、生活に彩を添える雑貨の世界へ。大きな方向転換に見えるが、実は島影さんには「埋もれている優れたものを掘り起こす」という志向が幼少期からあったという。

小学生時代、牛乳ビンのフタの収集が流行ったときは、独自の収集方法を確立し、レアなフタを集めまくった。高校時代は都内の中古レコード店に通い、地元では手に入らない英国のインディーズロックバンドのアルバムを物色した。アメリカ留学中も、スーパーマーケットで初めて見る商品に心を躍らせ、「日本で売ったらおもしろいだろう」と考えていたという。もともと「普通では手に入らないもの」を発掘するのが好きなのだ。今扱っている商品についても「こんなステキなモノがあるなんて!」と、人に喜んでもらえる手応えを感じている。

「経験してきた業界はバラバラだけど、自分の中では一貫しているんです。人に喜ばれること、人の役に立つこと、その実現のために必要な事を追求する――そこにこだわってきた結果、今の自分があります。自分の利益よりも、お客様や取引先、社員などの利益を優先して行動していれば、それは巡り巡って自分に返ってくるというのが僕の信条。幸せな人生を送るための黄金律(ゴールデン・ルール)だと考えています」

創業から11年、今、新たなチャレンジに着手している。これまでは海外から輸入していたアイテムの一部を日本で製造。ブランドコンセプトを守りつつ、日本ならではの視点を活かして企画・開発を手がける「ファブレスメーカー(自社工場を持たないメーカー)」へ事業を拡大している。その先は「輸出商社」としての展開も視野に入れている。

「海外のメーカーやデザイナーが日本への進出を図るとき、まっさきに相談を寄せられる。そんな『ゲートウェイ』的な存在になることを目指します」

<島影さんの「選択」と「決断」のポイント>

これまでやってきたこと、得意としてきたことにとらわれず、「この先」を見すえて進むべき道を判断した キャリア形成を意図して仕事を選ぶのではなく、「求められる仕事」をやり抜いた 「もっと人の役に立てる自分になるためには」を基準に考え、チャレンジした

EDIT&WRITING:青木典子 撮影:出島悠宇

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