「2つの壁」を乗り越え、“出島”に再び橋を架けろ!――出島表門橋架橋プロジェクト・渡邉竜一氏たちの挑戦
現在、長崎市で歴史的プロジェクトが進行していることをご存知だろうか。
そのプロジェクトの名は「出島表門橋架橋プロジェクト」。江戸時代と同じように出島と江戸町の間に再び橋を架けようというロマンあふれる事業である。プロジェクトスタートから3年で橋の骨組みが完成。1月28日には大島造船所で見学会が開催され、2月27日には、3年越しで完成した出島表門橋がいよいよ架けられる。設計者の渡邉氏を中心に様々な人々への取材を通して、この歴史的プロジェクトの真の姿を紹介しよう。
そもそも「出島」とは
▲1824年もしくは1825年に描かれた出島の鳥瞰図。扇形をしている(作者 Isaac Titsingh [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由)
中学の日本史の授業で習ったと思うが、今一度出島について簡単に復習してみよう。そもそも出島は寛永13年(1636)、徳川幕府がキリスト教の広がりを防ぎ、外国との交易を制限するために築造した人工島だ。以後、218年間に渡って、海外に開かれた唯一の窓口として、オランダから様々な西洋物資や文化・学問などが流入し、日本の近代化に大きく貢献した。
しかし明治期に入ると中島川の河口工事で扇形の内側が削られ、橋が取り壊され、港湾改良工事によって周辺が埋め立てられた。このような開発工事によって出島は陸地の一部となり、現在では島の面影はまったくない。この出島を江戸時代の姿に復元し、再び橋を架けようというプロジェクトが長崎市によって進められている。
「出島」の復元整備事業は60年以上も前から
出島の復元整備事業がスタートしたのは古く、1951年。往時の出島の姿を現代に蘇らせるためには、周辺の民有地をまずは市の所有にしなければならない。そこで長崎市はまず民有地の買収に着手。約50年をかけてほぼ買収が完了した1996年3月、出島復元整備計画を策定した。この計画で、出島内の建物の復元と再び出島に橋を架けることが盛り込まれた。そして、最終的な目標として、現在陸地になっている出島の四方を掘って運河で囲み、鎖国時代と同じ扇形の島の姿に復元することが決定された。時空を超えた壮大なプロジェクトである。
以降、この出島復元整備計画に基づいて、復元事業が進められ、これまでに出島内でカピタン部屋など10棟の建造物の復元や護岸石垣の築造が完了。2016年には新たに出島中央部6棟の建物が復元された。
出島復元整備事業の意義・目的について、プロジェクトの指揮を執る長崎市出島復元整備室の馬見塚純治室長は次のように語る。
「長崎という町は1517年にポルトガル船がやってくるまでは片田舎の小さな入江だったのですが、オランダとの貿易の窓口になり、その後はグラバーさんたちスコットランド人がやってきました。それ以降も、長崎は江戸から明治、昭和、現在まで時代が変わっても常に世界とつながり続けて日本の近代化に貢献してきましたが、その重要な役割を担ってきたのが出島なんです。このような出島が果たした歴史的価値を世界に、そして未来に伝えることがこのプロジェクトの大きな目的としてあるのですが、伝えるためにはまず当時の出島を蘇らせねばなりません。発掘作業により地中深く埋もれていたのものを忠実に蘇らせるわけですが、一方でこの作業によって初めて、新たな歴史を裏付けるものが発掘され、新しい研究成果にもつながることもよくあるんです。よって、出島の歴史的価値を未来に伝えることに加え、今までわかっていなかったことが明らかになるという、新たな歴史のページを作っていくということも、このプロジェクトの重要な意義の1つなんです」
出島復元整備事業がスタートしてからここまで来るのに要した時間は約66年。さまざまな復元事業が進むことでゴールもおぼろげながら見えてきた。具体的な期限を明確な数字として設けることで、さらに事業の推進に拍車がかかる。そう考えた長崎市はこの事業を「100年計画」として、スタートから100年後の2050年を目標に出島の完全復元を目指している。
出島表門架橋プロジェクト
出島自体の復元作業に続き、2017年度に完成を目指しているのが出島表門橋の架橋だ。同時に、出島対岸の江戸町側の公園整備も進められている。
「現在は出島が町の中に埋もれていて、かつては島であったことを誰も体感できません。ですので、まずは橋が架っていたのと同じ場所にもう一度現代の橋を架け、海(現在は川になっているが)の上を渡って出島に入れるようにすることによって、出島が島であったことを体感していただきたいということが1つ、大きな目的としてあります。もう1つは、さらに出島と陸地をつないでいた橋は日本と世界を時空を超えてつないできたシンボリックな結節点。その橋を新たに架けることによって、再び世界と日本を新しい形でつなごうということも目指しているのです。これを我々は『出島つながるプロジェクト』と銘打って推進しています」(馬見塚室長)
プロジェクトの前に立ちはだかった2つの「大きな壁」
しかしこのプロジェクトを実現するにあたって、2つの大きな壁がプロジェクトチームの前に立ちはだかった。それは出島が国指定の史跡であるがゆえの壁だった。
再び出島に橋を架けると聞いた長崎市民の多くは、鎖国当時に架っていた橋と同じような橋を復元してほしいと望んだ。あるいはそのような橋ができるものとばかり思っていた。しかしそれは不可能だった。というのは、鎖国当時、出島と江戸町(陸地)の間には長さ4.5mの小さな石の橋が架っていた。しかし、明治以降の中島川変流工事により、出島は扇形になっている内側が約15m削り取られ、出島と江戸町の間隔は約30mになった。鎖国当時の6倍である。こうなってしまった以上、鎖国当時と全く同じ石橋を架けるのは物理的に不可能なのである。
もちろん現代の土木建築技術をもってすれば長さ30mのアーチ型の石の橋を作ること自体は容易い。長崎市も当初はそのような橋を作ろうと思っていた。しかしそこに文化庁から待ったがかかった。国指定の史跡を復元する場合、当時と同じものを忠実に復元しなければならないというルールがある。つまり、「市民に復元だと誤解されないような現代の橋を架けるべし」というのが文化庁からの指導で、国指定の史跡内に歴史的な考証がないまま、江戸時代風の建造物を造ることはできないのだ。
よって、鎖国当時の石橋を復元するのであれば、長さ4.5mの石橋を忠実に再現しなければならない。しかし現在、出島と江戸町の間に流れる中島川の川幅は30mになっている。幅30mの川に30mの石橋を作って架けるのは、当時の状況と異なるため不可能、というわけなのだ。
しかも問題はこれだけではなかった。もう1つの大きな壁となったのは、工事の制約。通常、A地点とB地点を結んで橋を架ける場合、両方の地面を掘って、橋を支える土台である橋台を設置する。しかし、出島側は国指定史跡なので、地面を掘ったら下から遺構が出てくる可能性が高い。よって、橋台を設置することができない。
思わぬ壁にぶち上がった出島復元整備室は、この2つの壁をクリアし、架橋を実現するためには、高度な知識と豊富な実績をもつ設計者からの提案が必要不可欠だと判断。プロポーザル(コンペ)方式で橋の設計を委託する会社を選定することにした。
「橋に魅了された男」の挑戦が始まる
出島表門橋のプロポーザルは2013年11月に実施された。プロポーザルには県内外から多数の設計事務所が参加。その中に、ひときわ異彩を放つ設計事務所があった。地元企業の九州オリエント測量設計とチームを組んだNey & Partners Japan (ネイ&パートナーズジャパン)である。ベルギーに本社を置く設計会社・ネイ&パートナーズのネイ代表と、ネイ氏の元で4年間勤務した渡邉竜一氏が共同で設立した東京の設計事務所だ。
渡邉氏は国内の土木デザイン会社に就職後、その時代の最先端の土木建築技術の結晶である橋の設計に魅了された。より高い設計技術を習得するため、2006年、橋梁デザインの分野で世界的に高い評価を得ているベルギーの設計会社・ネイ&パートナーズの門を叩き、単身渡欧。以後、同社の代表であり、橋梁設計の世界で名を馳せている、構造エンジニアにして建築家であるローラン・ネイ氏の下、4年間、橋や駅舎などの公共施設の設計に打ち込み、技術を研鑽してきた。帰国後はネイ氏と共同で東京にNey & Partners Japanを設立した。
「日本に帰っても橋の設計を手掛けたいと思い、いろいろ案件を探してたところ、1番最初に見つけたプロポーザルがこの出島表門橋の設計だったんです」(渡邉氏)▲設計者の1人、渡邉竜一氏
世界的に「前例のない」設計に挑戦
渡邉氏とネイ氏はこの橋を設計するにあたり、2つの制約を踏まえ、コンセプトを決めた。
「出島は石積みや木造の建物など、鎖国時代の歴史的な風景が忠実に再現されており、細かいスケール感でできています。出島を訪れる方々にとっては出島自体が主役なので、この橋もそんな歴史的な景観に合わせたい。でも吊橋のように橋の上部に余計な構造物が出ると景観を損なってしまうので、橋の上部に構造物が出ない設計にする。これが1つ目のコンセプト。2つ目は河川内に橋脚を建てない。ネイと話し合ってこの2つを設計者としてのコンセプトにしました」
しかし、先にも述べた通り、出島側には橋を支える橋台が設置できず、対岸の江戸町側だけで30m以上の橋を支えなければならない。設計の常識から考えれば、この状況では吊橋構造が妥当。しかし上部に構造物を出さないとなると選択肢は限られる。そこで渡邉氏とネイ氏が導き出した答えは従来の常識を打ち破る斬新なものだった。
「江戸町側で作った橋台を重しにして、出島側に力が落ちないないよう、全体でバランスさせようと考えました。テコの原理のようなイメージですね。つまり、人が乗らない状態では江戸町側だけで支えることができる。人が乗ったときにはその分の荷重の一部が出島側に落ちるけど、非常に小さな力に抑えられるため、片側だけで支えられる設計としたんです」(渡邉氏)
もちろんこのような片側だけでテコの原理で全体を支えるという橋は世界的に見てもほとんど例がない。さらに橋桁に無数の開口部を設け、なおかつ手すりまで一体になった構造という、デザイン的にも非常に個性的で珍しい橋とした。
この理由について渡邉氏は「橋の上部に構造物を出さない設計にはなっているとはいえ、全長38.5mの橋なのでそれなりの大きさにはなります。江戸町側から出島に渡る時、出島の風景を邪魔しない、風景の中に溶け込む橋にしたいと思ったので、こういう構造にしたんです」と語る。
世界的にも珍しいデザイン・構造にしたがゆえに、設計上、困難だった点も多々あった。
「基本的にこの橋は2枚の鉄の板ですべてを支える構造になっています。さらに無数に開口部もあり、座屈を防ぐために鉄の板が横方向にもついています。橋の力のかかり具合はコンピューターを使って解析するのですが、全体のどの板にどのくらいの力がかかるかを現実に近い形で再現する作業が難しかったですね」(渡邉氏)
片側だけで支える構造と出島の景観を損なわない外観。さらに安全性も確保したこの設計案で、渡邉氏たちは見事プロポーザルを勝ち取った。選定に関わった出島復元整備室の馬見塚室長はその決め手について以下のように説明する。
「複数の企業からさまざまな設計のご提案をいただいたのですが、第一印象で最も斬新なデザインだなと思ったのがネイ&パートナーズジャパンの設計案でした。予想していたデザインとはいい意味で全く違っていた。もちろんそれだけではなく、我々は川の中に橋脚を1つまでは建ててもいいという条件を出していたのですが、1つも建てずに、なおかつ橋自体にあまり圧迫感がなく、出島の景観を損なわないデザインという点も好印象でした。この架橋が復元ではない以上、江戸時代の橋と誤解を与えるデザインであってはいけないというのが1つ条件としてあったので、非常に斬新でなおかつ歴史的な風景の出島と合わさった時に違和感がない、周りの風景にすーっと溶け込む点が非常に好感度が高かったですね」
地元企業の技術を使って
先ほど、鎖国当時に架かっていたような石の橋を架けることは不可能だということは説明したが、江戸時代感を醸し出すなら木の橋でもいいはずだ。しかし、渡邉氏は素材として鉄を選択した。しかもこの橋の製作にはたくさんの鉄の板を組み合わせるため、高い溶接の技術が必要となる。
「出島に架かる橋は地元の技術を使って造るべきだと当初から思っていました。そう考えた時、長崎には昔から非常に高い製鉄・造船技術をもつ企業が多数あり、その技術を応用して船だけではなく橋もたくさん造ってきました。それでスチールを使うことにしたのです」(渡邉氏)
橋の製作の実作業に入ったのは2016年9月30日。まずは橋梁などの鋼構造物の製造を手がける久保工業で3つのブロックを製作。その後、世界的造船企業の大島造船所でそれらを結合。そして、プロジェクトスタートから3年が経過した2017年1月20日、出島表門橋の骨組みが完成した。この歴史的な橋は優れた技術をもつ長崎の職人たちの手によって造られたのである。
「鎖国時代、日本と唯一交易と国内在住を許されたのはオランダですが、当時ベルギーはオランダ領でした。そのベルギーの設計会社の代表がこの橋の設計に関わった。このことには不思議な歴史的な縁を感じずにはいられませんでしたね。橋の全体像が姿を現した時は思わず身震いしました」(渡邉氏) ▲福岡の工場での鋼板のレーザーカット▲久保工業での製作風景。桁にも開口部が無数にある
▲久保工業での製作の様子。高い技術をもつ職人たちが鉄の板を溶接していく▲大島造船所で3つのブロックを一体化
【後編】<「こんな橋ならいらない」という住民も…それでも巻き込み“出島”に橋を!――出島表門橋架橋プロジェクト・渡邉竜一氏たちの挑戦>に続く
文/写真:山下久猛 写真提供:渡邉竜一
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