料理と推理が冴え渡る短編集〜近藤史恵『マカロンはマカロン』
家の方がゆっくりできる、と家族が言う。会社や部活などそれぞれの予定が合わない。食べ盛りの息子3人を連れて行ったらお金がかかる。といった理由により、外食からすっかり遠ざかって何年になるだろう。ましてフレンチなど夢のまた夢(もともとなじみもないが)。いまだにマナーもわかっているかどうか怪しい身に、フランス料理の敷居は高いことこの上ない。しかし、本書の舞台となっているフレンチ・レストラン〈ビストロ・パ・マル〉なら何をおいても行ってみたいと思う。人々の心を疲弊させる日常の謎を鮮やかに解いてみせる三舟シェフがいてくれるから。
本書は〈ビストロ・パ・マル〉シリーズの3作目。同シリーズの『タルト・タタンの夢』『ヴァン・ショーをあなたに』(ともに創元推理文庫)同様、三舟シェフの推理が冴え渡る短編集だ(もっとも、ルックス的には「無精髭を生やした素浪人のような外見」だそうで、シェフにも名探偵にも遠いイメージのような気が。私の脳内においては、お笑いコンビ・笑い飯の西田さんでキャスティングされている)。なぜ店では出していないブルーベリー・タルトについての問い合わせが増えたのか(「青い果実のタルト」)。牛肉のタルタルステーキをその日だけメニューに載せてくれと頼んできた客の真意とは(「タルタルステーキの罠」)。グループで来ている客の中でひとりが来る前に不穏な話し合いをしていたのはどういう事情だったのか(「ヴィンテージワインと友情」)。三舟シェフは会話の断片やちょっとしたヒントから、人が内に隠した秘密を読み取ってしまう(フランス料理のシェフが、どうしてフィンランド語の三人称についてまで詳しいの?)。
それらは時に、悪意であったりはかりごとであったりする。だがそれらはまた時に、善意であり思いやりでもある。個人的に最も心に残った短編は、「コウノトリが運ぶもの」だった。語り手のギャルソン・高築くんは、休憩時間に三舟シェフからおつかいを頼まれる。すぐ近くにあって、オーナーも同じ姉妹店であるパン屋〈ア・ポア・ルージュ〉に寄ってくれと。高築くんが行ってみると、パン職人の斎木さんが40代くらいの女性と話をしていた。聞けば、最近オープンした自然食品店をやっているという。その女性・安倍さんは高築くんの「よかったら食べにきてください」という誘いに、なぜだか寂しげな顔をする。”自分は乳製品アレルギーなのだが、最近は乳製品や卵を使っている商品についてはその旨表示してあるし、店でもアレルゲンを除いた食材で対応してくれるいい時代になった”と、全然うれしくなさそうに安倍さんは語り、逃げるように去ってしまう。後日、高築くんがとったのは安倍さんからの予約の電話だった。ディナーに訪れて先日の非礼をわびた安倍さんが語ったのは、コウノトリの模様が描かれた陶器の鍋のことだった…。これはある女性の再生の物語である。ほんの少し我が身と重なる部分もあって、最初の短編から号泣してしまったことを付け加えさせていただく。
さて、日常の謎を扱うのであれば、ささやかだが魅力的な事件や明快さを伴う解決は不可欠な要素だ。しかしながら本書においては、フランス料理というものも同じく重要になってくる。三舟シェフは、悩める人々に安らぎなり反発なりといった心の動きをもたらす探偵役でありながら、見て美しく食べておいしい料理を提供するシェフがもちろん本職だ。「ロティ」やら「コンフィ」やら、どんな料理か皆目見当もつかない私が読んでいても思わず食べてみたくなるような品々が並ぶ。食べ物をおいしそうに描くのは、もしかしたらトリックや謎解きを描写するのと同じくらい難しいのではないだろうか。おいしいものは人を幸せにする。困難に直面したときでも、温かい食事によって改めてがんばってみようと元気を出せることもある。三舟シェフは困っている人に対しても聞こえがいいだけの甘い言葉は決して言わないし、むしろ突き放したような素っ気ない態度で接するタイプだが、それは相手のためを思ってのことなのだ。自分でよく考えてどうすればいいかを決めなければならないのだと、シェフは下手な小細工を弄することなく伝えてくれる。今度私も、〈ビストロ・パ・マル〉のようなすてき(かつ、お値段抑えめ)なフランス料理のお店を探してみようか。私が持ち込む謎といったら、「ロティ」や「コンフィ」がどんなものか知りたいといった程度のものなんだけど。
(松井ゆかり)
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