部長に出世するも「白旗宣言」。自ら志願して“平社員”に戻る…――楽天“自由すぎるサラリーマン”仲山進也さんの「奇跡のキャリアプラン」

日本最大級のネットショッピングモール「楽天市場」を運営している楽天株式会社に「自由すぎるサラリーマン」と呼ばれている社員がいるのをご存知だろうか。

楽天の正社員でありながら、出社の義務がない勤怠フリーかつ、楽天以外に仕事をしてもいい兼業フリーで、実際に「仲山考材」というご自分の会社も経営し、さらには横浜Fマリノスとプロ契約をしている。そんな規格外の働き方を実現しているのが仲山進也さん(43歳)だ。

仲山さんはどのようにして「自由すぎるサラリーマン」になったのか。前回は、仲山さんが1社目に入社した「大企業」でのモヤモヤ経験から、2社目の「ベンチャー企業」エム・ディー・エム(現在の楽天株式会社)に転職するまでの経緯を紹介した。

今回は、楽天に転職してからの「自由すぎるサラリーマン」になるきっかけとなった“大きな転機”についてを中心に語ってもらいます。f:id:k_kushida:20170113180712j:plain

【プロフィール】

仲山進也(なかやま しんや)

1973年北海道旭川生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。シャープを経て、楽天へ。初代ECコンサルタントであり、楽天市場の最古参スタッフ。2000年に「楽天大学」を設立。楽天が20人から1万人の組織に成長するまでの経験をもとに人・チーム・企業の成長法則を体系化、社内外で「自走型人材・自走型組織」の成長を支援している。2004年、Jリーグ「ヴィッセル神戸」の経営に参画。2007年に楽天で唯一のフェロー風正社員(兼業フリー・勤怠フリーの正社員)となり、2008年には仲山考材を設立、オンライン私塾やEコマース実践コミュニティ「次世代ECアイデアジャングル」を主宰している。2016年からJリーグ「横浜Fマリノス」でプロ契約スタッフ。著書に『あの会社はなぜ「違い」を生み出し続けられるのか 13のコラボ事例に学ぶ「共創価値のつくり方」』『あのお店はなぜ消耗戦を抜け出せたのか ネット時代の老舗に学ぶ「戦わないマーケティング」』(ともに宣伝会議)、『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則 『ジャイアントキリング』の流儀』(講談社)など。

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【2社目】楽天で念願の「ありがとう」をゲット

──仲山さんが楽天に転職したのが1999年6月ということですが、実際に入ってみての印象は?

出社初日に先輩から「今日は初日だから早く帰っていいよ」と言われたのが、前職に比べるとだいぶ遅い時間でした(笑)。月曜から勤務し始めて、金曜が終わる頃には新しい環境での慣れない仕事にヘトヘトで、土曜に目が覚めたら10時半でした。土日は休みということになっていたのですが、やりたい仕事が山積みだったので11時くらいに会社に行ってみたら、ほぼ全員いたんです。休みなのに思わず「やばい、遅刻した」と思いました(笑)。翌日の日曜もほぼみんないました。それで「土日なのに全員いるなんて部活みたいで楽しい!」と思ったんです。それと、「みんな若くて、めちゃくちゃ働いている。仕事しないで時間つぶしてそうなオジサンが一人もいない!」というのが新鮮でした。

初日に、先輩から「仲山くん、家は祐天寺駅のどっち側にしたの? 線路より手前側? 向こう側?」と聞かれました。みんな電車で通勤するという概念がなく、祐天寺の会社のそばに住んでいたから、そういう2択だったのです(笑)。そもそも、部屋を借りようと思っても、よくわからないネットベンチャー勤務だと管理会社の審査に通らないことが多く、「祐天寺の駅前の◯◯不動産なら、社員が何人も借りてるから大丈夫だよ」と言われて、なんとか物件を決められたのでした。そんな時代です(笑)。

──入社後、具体的にはどのような業務をしていたのですか?

当初は、新規の出店営業から出店後の店舗運営までを支援するECコンサルタントという業務をやっていました。当時は楽天の認知度が徐々に上がって、出店数が数百店舗から2倍、3倍と急激に増加していた頃だったので、やらなきゃいけないことが多すぎて毎日目が回るような忙しさでした。大変なことがいろいろあったような気がしますが、「どうやったら売れると思う?」という店長さんと「こんなのはどうでしょう?」などと電話で話したりメールしたりするうちに、「仲山くん、この前のアイデア、やってみたら手応えあったよ。ありがとう!」と言ってもらえるようになりました。念願の「ありがとうと言われる仕事」が実現して、「これは楽しい!」と、どんどん仕事にのめり込んでいきました。

ただ、担当店舗数がどんどん増えて200店くらいになると、店長さんから掛かってくる電話に対応するだけで一日があっという間に終わるという日々が繰り返されるようになりました。当然すべての店長さんとコミュニケーションが取れるわけではなく、電話を掛けてきてくれる店長さんとはよく喋るんですが、それ以外の多くの店長さんとは疎遠になってしまって。

また、新規の担当店舗さんには、お店にお客さんを呼び込んで売り上げを伸ばすための基本的な考え方・ノウハウを電話で1時間ほどお伝えするのですが、月に20社ほど新規店舗さんが増えるので、このテープレコーダーのような業務が月に20回も発生するんです。当時はシステムが日々進化していたので、マニュアルがつくれませんでした。できあがった瞬間にもう修正しないと使えない、ということになるわけです。なので、忙しい割にはちゃんとサポートができていないことにモヤモヤを感じるようになっていました。

「この会社大丈夫かな?」

そのような日々が半年ほど続いていた2000年1月2日、副社長から「楽天大学やんない?」と電話がきました。楽天大学というのは、店舗運営の考え方を共有するために創設したいと三木谷社長が言い出した出店者向け教育サービスのことです。この仕事が僕に回ってきた理由は定かではありませんが、「新規事業って、前の会社だったら事業部長とか部長クラスの人がやることじゃないの? 入社半年の26歳の若造に任せるなんて、この会社大丈夫か?」と思いました(笑)。

でも楽天大学の構想を聞いた時、「わざわざ店長さんがこちらまで来てくれて、数日かけて店舗運営の考え方をまとめてインプットしてくれたら、あのテープレコーダー業務がなくなる。画期的だ!」と思いました。なので、自分のモヤモヤを解消するためにも引き受けたいと思って、副社長に「やりまーす!」と答えたのでした。従順なサラリーマンです。

楽天大学創立

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──具体的にはどのようにして作っていったのですか?

副社長から「1月20日から始まります。全6講座で、1講座15,000円です」と言われました。実は最初は違うメンバーが立ち上げ担当だったのですが、年末に退職してしまったのを引き継ぐ形だったので、「今、講座はどのくらいできてるんですか?」と聞いたら、「うん、1つもできてない。じゃ、よろしく!」と言われちゃって(笑)。三木谷社長からは、「小手先のテクニックとかじゃなくて、店長さん自身が考えて動けるようになるようなフレームワークを作りたい。MBAのキモはフレームワークなので、その楽天版を作りたいんだよな」と言われました。

楽天市場というのは、同業のお店がたくさん出店しています。なので、楽天側から具体的に「こういう売り方をしてください」という発信をすると、みんなが同じことをして、結局、一番安いお店だけが売れてしまうことになりかねません。したがって、「それぞれのお店が自分の強みを活かして、お客さんに選ばれる価値を提供するにはどうしたらよいか」というのを考えてもらうようなスタンスで開発することにしました。

──しかし大量の通常業務に加え、講座を一から作るのは相当たいへんだったのでは?

ECコンサルタントをやりながらの兼務だったので、仕事量が2倍以上に増えた感じでした。でも、楽天という会社は「仕事量が2倍になるので優先順位はどうしたらいいですか?」と聞こうものなら、「全部できる方法を考えればいいだけだよね」と笑顔で言われて終わるだけです(笑)。

当時のインターネットは、ダイヤルアップ接続がメインだったのでネットショップのページ編集に電話代がかかっていました。ただ夜中から早朝まで定額になるテレホーダイというサービスがありました。店舗さんは定額になった時間から一斉にお店のページ編集を始めるので、操作の問い合わせの電話がジャンジャン鳴り出すんです。その対応が終わると書類作成や入力業務などのデスクワーク。それが終わってから楽天大学の講座づくりに着手。それじゃとても間に合わなそうだったので、「代官山オフィスに山ごもりさせてください」と助けを求めて、みんなが代わって僕の担当店舗さんのサポートもしてくれる体制ができました。そのおかげもあって3週間で予定どおりの6講座がギリギリできあがって、楽天大学を開校できたんです。

──そんな状況では確かに会社のそばに住んでないとダメですね。

1日の中で「家にいて意識のある時間」は朝の20分と夜の20分、身支度をしている時間だけでした(笑)。振り返っても、あの頃が一番たくさん働いていました。

──その仕事はおもしろかったですか?

当時はおもしろいとかおもしろくないとか言ってる場合じゃなかったですが、今思えばめちゃめちゃおもしろかったです。とにかくやるしかないから夢中でやっていたという感じですね。

孤独な店長さん同士がつながると、元気になった

──実際に楽天大学をやってみてどうでしたか?

先ほども話したように、当時僕は入社半年の26歳の若造なんですが、楽天大学に参加してくれる店長さんたちは2年前とかから楽天市場で店舗運営をしているし、年齢も僕より上。そんな商売でも年齢でも先輩という人たちを相手に講座をやらなきゃいけないわけです。なのでプレッシャーを感じていましたが、いざやってみると、参加してくれたベテラン店長さんたちが「なんということだ!今まで2年間試行錯誤してきたことが体系化されている。これから出店する人はこれを教えてもらえるなんてズルい」とか、「自分でやってきたことが整理できたし、言語化できたので再現可能になった。ありがとう」と言っていただけたんです。特に熱意を持って頑張っている店長さんほど喜んでくれました。

ネットショップで商売をしてる店長さんって基本的に孤独なんです。社内に相談できる人もおらず、全部1人で作業していたりするので。それが楽天大学に来ると、自分と同じ悩みを持っている人がたくさんいて横のつながりができた。これまで自分1人でずっと考えていたから共通の話ができる仲間が増えたことが何よりの財産だとすごく喜んでくれたんです。実際に、その後もつき合いが続いて、お互いに切磋琢磨する関係性が増えるほど、元気に商売を続けられる店長さんが多くなっていきました。フレームワークという共通言語があるのも、つながりが強まりやすい一因になっているようでした。以来、「考え方のフレームワークを伝える」と「店長さんたちの横のつながりを作る」ということを愚直にやり続けてきています。

部長白旗宣言で、部下ナシに

楽天大学は好評で受講者も増え、それにともないスタッフも増員されました。会社として伸び盛りの時期に入って業務が激増していく中で、社内ミーティングや他部署との調整、部下の勤怠管理や人事考課のようないわゆるマネージャー業がどんどん増えて、いつのまにか新しい講座コンテンツを作る時間が1ヵ月に1秒も取れなくなってしまいました。それでこのままだと楽天大学は事業として先がないという危機感を抱くようになりました。

しかも、マネージャー業というものがわかってなさすぎて、メンバーの心をポキポキ折りまくるような言動をして、どんどんチーム内がしんどい雰囲気になっていったんです。

──現場の一プレイヤーからマネジメント側へというのはビジネスマンが組織の中で年数を重ねる過程で経験する宿命のようなものですよね。一般的には出世、昇格ですが、誰かに仕事を割り振って管理するという仕事が苦手だったのですか?

他の人の仕事が自分の求めているクオリティに達していないとイライラしてしまって。メンバーから上がってきた仕事に対して「こんなんじゃダメでしょ」とか「もっと考えてやってもらっていい?」みたいな感じでキツいダメ出しをして何度もやり直してもらうんですが、僕が全然OKを出さないからそのうち心が折れるみたいな感じになってしまったんです。後に、強みを診断するテストをやった時、「最上志向」という結果が出たんです。OK基準が自分に対しても他人に対しても高いので、プラスの方向に作用するとクオリティの高いものができあがるのですが、マイナス方向に発揮されると部下の心を折りまくりやすい資質でした。つまり、自分の強みの活用法が全然わかっていなかったのだと今なら理解できますが、当時は何が問題なのかがわかっていなかった。

自分でも部内のこういう状況はいかがなものかと思っていたし、上司も同じように感じていたので、副社長に「講座コンテンツを作りたいので、部長をやってくれる人がほしいです」と白旗を挙げたら「そうしようか」ということになったんです。それが2001年で、以来ずっと部下のいない会社生活が続いています。

レールから外れてラッキーだった

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──会社員の多くは、管理職に昇進したら喜んでその仕事に取り組むだろうし、部長の仕事が向いてないからやりたくないと途中で自分から降りちゃたら、社内の評価もぐっと下がって出世ルートからも外れる可能性が高いですよね。その辺の恐怖心はなかったのでしょうか。

そういう恐怖心はなかったです。大学5年生になったり、ベンチャーに転職したことでいわゆるピカピカのレールから外れる経験をしてみて、「ドロップアウトしても、何とでもなるな」と思えるようになっていたのが大きいかもしれません。

それよりも、とにかくプレイヤーとして価値のあるサービスを提供したかったので、少しでも状況を改善したいという一心でした。部長職を辞退すれば出世ルートから外れるというのは一般常識から見たらそうなんですが、当時の楽天ではそもそも出世ルートなんてまだ存在してなかったし、僕自身も出世や昇進には執着はなかったので。結果的にはあの時レールから外れてラッキーだったと思います。そのおかげで、今の「自由すぎる」と呼ばれる働き方の方向に行くベースが、意図することなくできましたので(笑)。

※第3回<自由すぎるサラリーマン、誕生。でも実は「自由はめんどくさい」>に続く

※第1回<「大企業」でくすぶるより、「ベンチャー」で夢中になりたかった…> はこちら

文:山下久猛 写真:守谷美峰

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