『千日の瑠璃』32日目——私はバスだ。(丸山健二小説連載)
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私はバスだ。
観光客の数を少しでも増やすための窮余の一策として、今年の春から運行を始めたボンネット型のバスだ。きょうもまた私は、まほろ町の紅葉の峠を越えようとしている。例によって乗客は少なく、たったのふたりだけだ。そのせいで、私に調子を合せるために古めかしい制服を着せられた運転手と車掌は、すっかりだれてしまっている。
あらぬ噂というやつが飯よりも好きな車掌は、最後部の座席に陣取った男女の会話に聞き入っている。しかし、あまりにも若い——推定年齢十七、八といったところか——のと、深刻なやりとりがまったくないために、駆け落ちしてきたふたりであることにはまだ気づいていない。さまざまな種類の人間を運ぶ私にはわかっている。こいつらは、その場を言い逃れることが巧く、特に目途とするものがなくても生きてゆかれる、そんな手合いだ。だが、かれらのほうはレト口調の私を大いに気に入ってくれている。
そしてふたりは胸のところに、心臓よりもひとまわり大きい揃いのバッジをつけている。その青い鳥は翼を畳み、いっぱいに口を開けて、有為転変をさえずっている。残照に映えるうたかた湖が見えてくると、ふたりは邪気のない歓声をあげ、ここに決めた、と叫ぶ。ターミナルに到着するとふたりは、車掌に教えてもらった宿の方へと歩き出し、少し行ってから振り向いて、私に手を振る。
(11・1・火)
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