『千日の瑠璃』20日目——私は写真だ。(丸山健二小説連載)

 

私は写真だ。

まほろ町の古い役場のロビーを飾る、ほとんど限界まで引き伸ばされた一枚の写真だ。軽飛行機から撮られた私を構成しているのは、六十年ほど前の郷土の全景だ。ここを訪れる住民は皆、まず色褪せた私に眼をとめ、厳として存在する時聞を思い知る。用件を忘れるほど耄碌した年寄りたちは、決まってこう呟く。「歳もとるわけだ」と。そして、手近にいる若い者をつかまえてひとくさり自慢話をし、話の途中で急にげんなりした顔つきになると、がっくりと肩を落として、手酷い仕打ちが待つ六十年後へとふたたび戻ってくる。また、逸り気すら持ち合せていない今時の若い連中は、私をとっくりと眺めやったあと、小賢しい口調で「今とおんなじだ」と聞えよがしに言い、快活ではあってもどこか冷めた声で、まほろ町の六十年を笑い飛ばす。

それでも、人々はこれまでに私のなかから数々の発見をした。たとえば出火中の人屋、たとえば跋扈する軍閥、たとえば群落をなすミズバショウ、たとえば鼓吹される全体主義、たとえば日夜営々として家業に従事する年端もいかぬ子どもたち。きょうもまた、新しい発見があった。うたかた湖の北の外れにぽつんと点のように写っている影、それが鳥に似た人間の屍だと言って、少年は騒ぎ立てた。けれども、脳を蝕んでいる重い病気故に、彼の発見はあっさりと笑殺されてしまった。私自身にも判断はつきかねた。
(10・20・木)

丸山健二×ガジェット通信

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 『千日の瑠璃』20日目——私は写真だ。(丸山健二小説連載)
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。