「素直という言葉が迂愚という言葉と同義語であってはならない」――丸山健二の「怒れ、ニッポン!」第12回

※撮影・丸山健二

怒れ、ニッポン!

国民が真面目に働いているあいだに、国家をわが物とする連中は不真面目な働きをし、真面目な働きによって築き上げられてきた、ささやかな安定をいっぺんにひっくり返してしまった。それにもかかわらず、国民はさほど怒りもせず、またしても真面目な働きへと戻り、不真面目な連中は安泰へと戻る

素直という言葉が迂愚という言葉と同義語であってはならない。真の意味における素直さとは、正義に裏打ちされた洞察力と、理不尽な仕打ちには敢然と立ち向かう勇気を併せ持っていなければならないのだ。権力や権威に堂々と楯突く者たちを素直でないと決めつけるのは、言葉の使い方を間違っている。

アメリカでは、自由の二文字に呪縛されつづけてきた国民が、さすがに愚民でありつづけることから離脱しようとしている。この国家と政府とが自分たちの物ではなく、国民の一パーセント未満の強欲どもの手に落ちていることにようやく気づいたらしい。怒りの輪が着実に広がりつつある。見倣うべきだ。

たちまちくたびれ果ててしまう怒りは子ども染みた幼稚な怒りであって、きちんと自立した真っ当なおとなの怒りではない。正義の怒りならば持続するものなのだ。感情のみの怒りはたちまちのうちに色あせ、その反動として安易な救いと安直な希望に、それが仕組まれたものであっても、すぐに手を出す。

「それが人間というものなんだから、あまり堅苦しいことを言うなよ。息が詰まってしまうじゃないか」というたぐいの言葉を切り札にして使っているうちは、何事も良き方向で変わることがない。ならば、愚痴をこぼすな。ならば、不平を言うな。ならば、放射能にまみれながら、へらへらと笑って死ね。

地元選出の国会議員が悪をなしていることを百も承知で積極的に支持しつづける選挙民。かれらは地元のために利益を誘導してくれるのならその悪は必要悪であり、いや、悪ではなくて善であるという解釈をする。頼もしいかぎりの大人物と見なし、それくらいのことがやれないようでは代議士と思わない。

選挙において正義が存分に発揮されないようでは、また、打算の尺度のみが堂々と罷り通るようでは、民主主義もへったくれもない。議会政治とは名ばかりの、悪と罪にまみれた、偽善の場ということになってしまう。そして、現にそうなっている。国民が心の底から怒らない所以がまさにここにあるのだ。

(つづく)

丸山健二氏プロフィール1943年12月23日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966年「夏の流れ」で第56回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作となるが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。Twitter:@maruyamakenji

※原稿は丸山健二氏によるツイートより

丸山健二×ガジェット通信

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