昭和の歌謡曲で歌われた東京の風景

昭和の歌謡曲で歌われた東京の風景

 東京五輪に向け、2020年までに建て替えることが発表されたJR原宿駅。1924年に竣工した現在の駅舎は、都内に現存する木造駅舎としては最古のものでした。

 原宿駅のみならず、日々めまぐるしく移り変わってゆく東京の風景。すでに失われてしまった過去の東京の姿が恋しくなったとき、私たちは絵画や小説、そして歌謡曲のレコードの中にその姿を求めることができます。

 実際、古くは1929年、「東京行進曲」(唄・佐藤千夜子)でモダンボーイやモダンガールが行き交う銀座の様子が歌われた辺りに端を発し、東京の各所はさまざまな形で歌われてきました。

 本書『東京レコード散歩』では、著者である鈴木啓之さん自ら、銀座、六本木、赤坂、青山、渋谷、上野、浅草、両国、高円寺……と、現在の東京の街を歩きながら、歌の中、そしてレコードのジャケットの中に息づく過去の東京の面影を辿っていきます。

 ちなみに、本書で紹介される350枚以上ものレコードのなかには、冒頭の原宿駅の姿をジャケットに写したものも。1974年、第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した麻生よう子の「逃避行」には、歌詞にこそ特定の地名は出てこないものの、ジャケットには原宿の駅舎が写っています。

 数多くの楽曲で歌われてきた東京ですが、なかでも最も多く題材にされた街のツートップは新宿と銀座。大衆的な盛り場歌謡が似合う新宿では、”演歌の新宿”というイメージが定まり、いずれも多くの歌が生まれました。

 一方の銀座は、新宿とはガラッと変わったレパートリー。たとえば、坂爪清の「銀座」(1957年)、フランク永井の「西銀座駅前」(1958年)、勝新太郎「深夜の銀座裏」(1960年)といったムード歌謡が多く生まれています。また、石原裕次郎と牧村旬子による「銀座の恋の物語」(1961年)は、「銀座のホステスさんとデュエットするのは男子一生の夢」(本書より)と言わしめる名曲。同名の日活映画には、当時の銀座の街並みが活写されています。

 あるいは松尾和子、和田弘とマヒナ・スターズの「銀座ブルース」(1966年)も銀座の歌で最も売れたもののひとつ。

 さらには1966年開業、来年2017年3月に閉館し取り壊すことが発表された、銀座を象徴する「ソニービル」がジャケットに写っているのは、三田明「数寄屋橋ブルース」(1968年)。同曲は「大人への脱皮を図りつつあった元祖アイドルが歌うムード歌謡」(本書より)なのだそうです。

「ヒットの有無にかかわらず、銀座の歌は常に趣と気品に溢れている」(本書より)

 昭和の歌謡曲で歌われた東京の風景に思いを馳せながら、現在の東京の街を歩けば、一層深く感じ入るところもあるかもしれません。

■関連記事
関東と関西では、銭湯の湯船の位置が異なる?
エリック・クラプトンは、アートの目利きコレクターだった?
殺人、奇行、人格破綻……私生活も破天荒だった芸術家とは?

  1. HOME
  2. 生活・趣味
  3. 昭和の歌謡曲で歌われた東京の風景

BOOKSTAND

「ブックスタンド ニュース」は、旬の出版ニュースから世の中を読み解きます。

ウェブサイト: http://bookstand.webdoku.jp/news/

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。