ホームズ研究の第一人者・日暮雅通さんに聞く『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』の魅力

Mr.ホームズ

93歳になったシャーロック・ホームズが、残りの人生の全てをかけて挑む未解決事件とは? 3月18日公開のイギリス映画『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』は、パートナーのワトスンや兄マイクロフトと死に別れ、探偵業を引退したホームズが主人公。劇場プログラムにも寄稿されている、シャーロック・ホームズ研究の第一人者として有名な翻訳家の日暮雅通さんに、本作についてインタビューしました。

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』
ある男性から不可解な行動を取る妻の素行調査を依頼されたホームズだったが、その謎解きはホームズの人生最大の失態となり、探偵稼業を引退することとなった。あれから30年、93歳となったホームズは、30年前の未解決事件に決着をつけるため、ロジャー少年を助手に迎え、最後の推理を始める。

―『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』をご覧になって、いかがでしたか?

日暮雅通さん(以下、日暮):21世紀に入ってから次々に現われた“新生”ホームズ映画・TV作品とは、まったく違うアプローチによる、新たな魅力をもった作品だと思います。引退後の、老境に入ったホームズという設定は、活字のパロディ/パスティーシュでは古典的作品から現代のものまでいろいろありましたが、映画では皆無に近かったと言っていいでしょう。そこにはおそらく、老人になったホームズを主人公にして観客に魅力を感じさせるのが難しいという問題もあったでしょうが、そうしたテーマで優れた脚本を書ける人がいなかったという理由もあったと思います。

それに対して、今回はミッチ・カリンの原作(『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』訳・駒月雅子KADOKAWA刊)という強い味方がありました。ただ、あのいささか“文学的”な作品をそのまま映画にしたのでは、うまくいかなかったでしょう。ジェフリー・ハッチャーというすばらしい腕の脚本家と、名優イアン・マッケランの存在感および名演技があったからこそ、ホームズ映画史に残るような優秀作になったのだと思います。

また、「ワトスンの出て来ないホームズ映画」という意味でも、この作品は画期的だと思います。これもまた、従来は危険でできなかったことでした。ホームズとワトスンの両方が物語の主人公になるか、少なくともワトスンが語らないと、ホームズ映画としての魅力を出すことは難しかったからです。前述の“新生”ホームズ映画がほぼすべて、ホームズとワトスンという相棒どうしの魅力を中心に据えていることからも、わかるでしょう。そうした危険性をはらむ原作であるのに、ここまでうまく作れたことは称賛に値します。逆に言えば、ホームズとワトスンのコンビによる原作を読んでいなくても、ホームズというすでに歴史的な有名キャラクターの老境と過去の事件を通じて、「失われた愛するもの(または父親像)」を求める文学的なフィクションとして楽しむことも、できるはずです。もちろん、そこにはホームズものの持つエンタメ性もあり、楽しむことができますが。

-シャーロック・ホームズの映像化作品はたくさんありますが、正典と呼ばれるコナン・ドイルによる原作を忠実に映像化した作品以外では、どれが一番お好きですか?

日暮:楽しめたもの、優れていると思うものなど、いろいろにありますが、自分の好みで言うなら1970年公開のアメリカ映画『シャーロック・ホームズの冒険』(原題 The Private Life of Sherlock Holmes)です。ロバート・スティーヴンスがホームズを演じた、ビリー・ワイルダー監督によるパスティーシュ映画ですね。これは大方の期待に反して興行的には失敗したのですが、それ以前からのホームズファンにとっては、画期的な作品でした。海外でも、古いシャーロッキアン(注:シャーロック・ホームズの熱狂的なファンの総称)の多くに人気があります。

1980年代にNHKで放映されたイギリスグラナダTV制作のジェレミー・ブレット主演のシリーズを観てホームズのファンになった人たちは、このワイルダー監督作品に違和感を覚えたり、「暗い」と言ったりすることがよくありますが、ホームズ映画の変遷全体を見れば、ハリウッド的脳天気さをもっているということがわかります。むしろヴィクトリア朝を忠実に再現しているブレットによるシリーズのほうが、イギリス的な暗さと悲惨さを含んでいます。まあ、自分が最初に見た本格的ホームズ映画は影響力が絶大なので、ブレットの時代の人はブレット、ベネディクト・カンバーバッチの時代の人はカンバーバッチ作品が最高だと思うのは自然でしょうし、その意味では僕も例外ではありませんが。

いずれにせよ、このスティーヴンス版が一作きりで終わってしまったのは、残念でなりません。グラナダのような“正典翻案”ホームズ映画の場合、脚本は原作に忠実でなおかつ映像向きにするという点に難しさがありますが、あとは60編中のどれをやるか、どこまでやるかという問題くらいでしょう。一方、ワイルダー作品のようなパスティーシュ映画の場合は、(正典の要素を使うにしても)ひとつひとつがオリジナル脚本になりますから、何本も作っていくのは非常に難しいと思います。ワイルダー作品には、のちのホームズ映画が参考にしたような“シャーロッキアンの喜ぶ要素”がふんだんに入っています。その意味でも、“新生”ホームズ映画が持っている要素の大元と言ってもいいかもしれません。

―シャーロッキアンとして、ホームズを演じる俳優に最低限求めるものはなんでしょうか?

日暮:前述した“正典翻案”ホームズ映画と、正典を離れたパスティーシュやパロディ映画の2種類で、俳優に求めるものは違ってきます。ただ、いずれにせよ正典を読むことが最低限必要ですね。その俳優がもともとのホームズを知っていて、正典からのイメージを正しくとらえていれば、演じる作品がどんなに正典から離れていても安心して見ていられます。広告に出てくるホームズやパロディ化された(すでにデフォルメされた)ホームズによってイメージを抱いた俳優が演技をすると、ホームズ的面白さのない、わけのわからないものになってしまいます。逆にそれを狙う映画もあるのかもしれませんが、シャーロッキアンにはわかってもらえないかもしれません。

―日暮さんが最もお好きなホームズ俳優は?

日暮:これは前述したようにロバート・スティーヴンスです。どの俳優がベストかは、それぞれの人が抱いている“ホームズ像”によって違いますが、僕の場合は“正しいホームズ”と“映像化したときに自分がのめり込めるホームズ”の2種類があります。前者はジェレミー・ブレット、後者はスティーヴンスと、あえて挙げるならカンバーバッチかな。

ご存じのように、正典をちゃんと読むと、ホームズは一般的にハンサムと言えるような男ではありません。アメリカの『コリアーズ』誌にフレデリック・ドー・スティールが描いた挿絵は、どちらかというと“渋くてハンサムな男”になりましたが、イギリスの『ストランド』誌のシドニー・パジェットはかなり正典に近い、ガリガリに痩せて鷲鼻で、ちょっと額が禿げ上がっているようなホームズを描きました。それを考えると、ジェレミー・ブレットもハンサム過ぎて、正典に忠実なホームズ俳優はいないということになるのですが、それでもやはりブレットは、(しぐさなども含め)一番正典に近いと言えるでしょう。

しかし“忠実さ”より“のめり込めるか”を基準とした場合、僕はホームズ俳優にある種の“色気”を求めます。女嫌いという要素を漂わせながらも、独特な色気が出せるかどうか。スティーヴンスにはそれがありました。それが最大の理由です。

―それでは最後に、いままで原作を読んだことがないという人に、ホームズ入門のアドバイスをお願いします。

日暮:原作を読まずにまず映像から入るのなら、やはりグラナダTV(ブレット)のシリーズでしょうね。ただ、あれを全部見る必要はないので、最初のひとシリーズで充分でしょう。そのあとは原作を読んで確かめてもいいし、ほかのDVD化されている作品を見てもいいですが、ニコル・ウィリアムスン主演の『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』(1976年/米)やマイケル・ケイン主演の『迷探偵シャーロック・ホームズ 最後の冒険』(1988年/英)といった完全なパロディ映画を見るのは、原作を少しでも読んだあとのほうがいいと思います。ただ、最近の作品だとロバート・ダウニー・Jr主演の映画『シャーロック・ホームズ』(2009年/米)とか、最新作の『Mr. ホームズ 名探偵最後の事件』などは、映画から先に入っても大丈夫です。

-なるほど。それでは、『Mr.ホームズ』に興味を持ったけれど、原作を読んでいないから……とあきらめなくてもいいんですね! その後、本で現役時代のホームズを知るという楽しみもありますね。いろいろと興味深いお話をありがとうございました。

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なお、日暮さんの最新の訳書、『写真で見るヴィクトリア朝ロンドンとシャーロック・ホームズ』(原書房)と、文庫化されたケイト・サマースケイル『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』(ハヤカワ文庫)は、ホームズが活躍したヴィクトリア朝の風景や、当時の捜査方法を知ることができます。ホームズファンの方々もぜひどうぞ!

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』
http://gaga.ne.jp/holmes/

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https://getnews.jp/archives/1430513 [リンク]

聞き手:松井早紀
海外ドラマとビールが好きです。最近のお気に入りは『エージェント・オブ・シールド』です。

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