生涯所得を数千万円変える“本当の”情報格差/若者よ書を求め街へ出よ?
今回はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。
生涯所得を数千万円変える“本当の”情報格差/若者よ書を求め街へ出よ?
私の趣味はボードゲームで、休日には友だちと集まってわいわい遊んでいる。
ボードゲームはいい。まずカネがかからない。そして一晩中でも遊んでいられる。学生、サラリーマン、フリーター、派遣、ニートetc……かなりヘテロな仲間たちがゲームひとつで仲良くなれる。
あれは友人宅でドミニオン合宿を開いたときのことだ。その家の本棚のすばらしさに目を奪われた。
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その友人は――自分より一回り以上年上の人を“友人”と書くのは抵抗があるけれど、四十路を回ったばかりのイケメンなおっさんで、職業はデザイン関係、国立K大学の出身であり今はフリーランスで活躍している。広々とした一戸建てに暮らし、小学生の子どもが二人。絵に描いたようなリア充だ。家の内装は彼自身の手でデザインしたという。
そして、本棚があまりにも理想的だった。
腰ぐらいの高さの本棚が、リビングの壁の一面に沿って並んでいた。薄くて固い木板を組み合わせた、とてもシンプルなデザインだ。ラインナップは『腹ペコあおむし』から始まり、『シートン動物記』や『大草原の小さな家』シリーズ、『ずっこけ三人組』はもちろん、ミヒャエル=エンデや『ああ、無情』へと続き、最終的にはピンチョンの著作までそろっている。絵本→児童文学→大人向けの一般書籍と、子どもの成長段階に応じた名著たちだ。ソファに寝っ転がりながら心ゆくまで本を読める、読書好きにとっては夢のような空間だった。思わず「ここに住ませてください」と土下座したのは言うまでもない。もちろん断られた。
この家で育てば、子どもはごく自然に読書好きになるはずだ。すべての本が子どもの手に届く高さにある。少なくとも、活字に対する抵抗はなくなる。「マンガはないんですか?」と聞いたら、二階に専門の部屋を準備してあるのだとか。なんだよその夢空間。マジでここに住まわせてください。
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帰り道、別の友人が「あの家は恵まれすぎている」と漏らしていた。こちらの友人は鳥取県の出身で、山深い農村に育ったという。実家は昔ながらの農家なのだが、驚くべきことに本棚がなかったというのだ。図書館は自転車で一時間かかる隣村にしかなく、村で唯一のコンビニ(というか商店)の貧弱な雑誌コーナーだけが、書物を手にすることのできる場所だった。そんな環境だから、家族は誰も本を読まない。中学に上がってからは少ないお小遣いをやりくりして彼は本を買っていた。が、それさえも「邪魔だ」「この根暗め」「無駄遣いしやがって」と罵倒されたという。
小学校に上がる前から「本を読みなさい」と言われた私には、にわかに信じられない話だった。読書習慣のある彼だけが田舎を飛び出し、本を読まない家族は過疎地にとどまっている。
しかし、まあ、鳥取県といえば群馬県と並ぶ日本の秘境だ。群馬では今でも小学生がAK-47を手に命がけで戦っているというが、鳥取県も負けてはいない。県の土地の八割以上が砂漠であり、ターバンと水たばこが手放せない。鳥取県民は赤ん坊が生まれると仔(こ)ラクダを一頭買ってくるという。生まれた子どもはそのラクダと共に育ち、十五歳になるとそのラクダを連れて一か月間砂漠を放浪をする。成人の儀式だ。この放浪の旅は過酷を極め、じつに十人に一人が命を落とすという――なんてふざけたことを書いていると鳥取県民に背中を円月刀で刺されそうだ。
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本を読むヤツは賢くなる――と、一般には言われている。
私もこの考え方におおむね同意だ。なかには読書が好きなのにスットコドッコイの私のような失敗品もあるけれど、基本的に本を読む習慣のある子どもは、そうでない子どもよりも賢くなる。らしい。
問題は、どのようにして読書習慣をつけさせるかだ。
学校の先生たちは、本の魅力を伝えようと日々腐心している。しかし勝負はすでに学校に上がる前から始まっている。読み聞かせなどを通じて、「本には面白いことが書いてある!」とすり込まれた子どもは、なにもしなくても本を読む。大事なのは家庭環境なのだ。
ここでいう家庭環境は、家系環境と言い換えてもいい。
国立K大学卒の友人の場合、おそらく父親・祖父の代からよく本を読む家系だったのだろう。「何歳になったら***を読ませる」というノウハウが蓄積されているし、自分がされたように子どもを育てようとする。あの家庭の子どもたちは将来、親と同じように学問と技能を身につけて高給取りになるのだろう。
一方の鳥取出身の友人の場合はどうだろうか。彼の場合は、家系そのものに本を読む習慣がない。先祖代々「本なんて読む時間があったら野良仕事をしろ」という価値観のもとに生きてきた。そんな環境にいながら友人が読書家になったのは、もはや奇跡だ。
読書の習慣がつくかどうかは、家系の問題のようだ。
そこで私は知り合いの大学生や、***社の社員や◆◆省の役人に、それぞれの家系について聞いてみた。いずれも将来、上位数パーセントぐらいの所得水準につくであろう人々だ。妬ましくてたまらない。
ちなみに電車内でPSPよりも文庫本を取り出す程度には、みんな読書好き。読書量の差はかなり密接に所得格差につながっているみたいだ。ひがみっぽい感情を必死でこらえて、それぞれの祖父・曾祖父(そうそふ)の職業を尋ねてみた。
その結果、国鉄(現JR)、電電公社(現NTT)、郵便局局長(現ゆうちょ)……などの答えが返ってきた。これを見て、気付くことはないだろうか。そう、すべてが民営化されている――のはそうなんですけど、そこじゃないです。戦前にこれらの職場で働く人たちがどういう立場だったかを考えてみてください。
そう、いわゆるテクノクラート! 知識階級なのだ!
日本全国のどんな場所に赴任しても、彼らの知識階級としての立場は変わらない。戦争で一家離散の憂き目にあったり、没落したり、どの家系も激動の運命をたどった。しかし、“読書をする家庭環境”だけは残った。“読書よりも野良仕事”なんて価値観はそもそも介在しない家系だったのだ。それが孫・曾孫にまで伝わり、彼らを読書好きにし、賢くし、高給取りの道へと歩ませたのである。
“読書をする家庭環境かどうか”これが本当の情報格差だ。
映像を使えば数分かかる抽象的な概念の説明を、文章ならばわずか数行で表現できる。この情報圧縮力こそ、読書の威力だ。活字に慣れている人間は、そうでない人に比べて知識や考え方の吸収速度が速い。それも、桁違いに。だからこそ読書家はみんな、頭がおかしいくらいに賢くなる。
鳥取出身の友人は「この情報格差こそが地域格差の原因ではないか」と言っていた。田舎には知識階級の家系が少ない。そのため読書をする人が少なく、結果、余剰価値の高いものを生産できるような賢い人が育たない。リスクを正しく評価できる人材なんていないから、目先のカネにつられて危険な発電施設を誘致してしまうのだ――
――というのが彼の弁。なお、私はこの説には懐疑的だ。だってさぁ、本を読まない家庭なんて東京にも星の数ほどあるぜ? 地域格差と結びつけるのはちょっと苦しいんじゃないかな。
本当の“情報強者”とは、読書の習慣がある家庭に育った人のことをいう。
活字慣れしておらず、いざという時に新聞記事さえきちんと読みこなせない人。それが本当の意味での情報弱者であり、私たちが減らしていくべき人たちだ。あなたに情報強者の自覚があるのなら、その知恵は何のために使うべきだろう。少なくとも他人の失敗にメシウマするためでないのだけは確かだ。
執筆: この記事はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。
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