「デロリアン」がごみ燃料で走った!リサイクル技術で日本は資源大国になれるか
2015年10月21日、リサイクル燃料で走る車「デロリアン」がお台場を走り抜けた。1985年公開の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で描かれていた30年後の未来の一つ「ごみで車が走る」を実現した瞬間だった。
実現したのは、日本環境設計株式会社というベンチャー企業。同社の「衣料品からバイオエタノールを生産する技術」を使い、使用済み衣料品・繊維製品回収事業「FUKU-FUKUプロジェクト」で集まった原料を活用した。
「大学時代に映画を見て、『ごみが燃料になる将来』に感銘を受けた」という同社の岩元美智彦社長は、この技術を活用してさらに大きな夢の実現を目指しているという。『「捨てない未来」はこのビジネスから生まれる』との著書もある岩元社長に、現在に至るまでの道のり、そして実現したい未来を伺った。
日本環境設計株式会社 代表取締役社長
岩元美智彦さん
大学時代、映画を観て「30年後の2015年にはごみで車が走るんだ!」と感銘を受ける
▲ごみを燃料に走った「デロリアン」。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の世界が現実に
岩元さんが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たのは1985年、大学3年生の時。地元九州・小倉の映画館だった。「今から30年後には、ごみで車が走るようになるのか!」と純粋に感動したという。
「30年後という未来感が、ほどよく想像力をかきたてました。30年後、私は51歳。その頃には、普通にごみで車が走り、自分もそれを運転するようになるのかなと。映画の世界が実現するものと、信じていましたね」
しかしそのときは、まさか「自分の手でそれを実現する」などとは微塵も思っていなかった。大学卒業後は、大阪本社の繊維商社に入社。「面接で、九州支社にずっといさせてくれると言っていたから」という理由で選んだ会社だった。その後は、営業担当者として活躍した。
岩元さんが「リサイクル」というワードに再び出会ったのは、30歳の時。1995年の容器包装リサイクル法施行を機に、勤務先の会社を含め、商社や行政など数団体によるリサイクル・プロジェクトが発足、そのプロジェクトを岩元さんが担当したのだ。メインミッションは「ペットボトル由来の再生繊維を作る」こと。今でこそ、ペットボトルのリサイクルは当たり前だが、当時は回収率1%という状態。まずは原料となるペットボトルを回収するフローを作るために、各自治体にかけ合って「ペットボトルを回収する意味」から伝え、製品化に向けて取り組んだ。
「環境問題に本気で取り組む人など、まだほとんどいない時代。皆の意識も低かった。しかし、その中で先陣を切って環境問題に取り組めることに、存在意義を感じました。しかも、いち営業が、法律を武器に周りを説得し、巻き込む機会なんてそうそうないし、だからこそ反応もいい。今までにないやりがいを感じることができました。そして仕事をすればするほど、再生繊維に関する知識も付いていきました」
再生繊維を作っても、衣料品のリサイクル技術が進まなければ結局はまたごみを生み出すだけ…というジレンマ
そんなある日、「衣料品のリサイクル」がほぼ手つかずであることにふと気付かされた。古着ショップなど中古衣料市場はあるものの、ほとんどはごみとして焼却されたり埋め立て処理をされるだけ。ペットボトルから再生繊維を作り、それで衣料品を生み出すプロジェクトに取り組んでいるのに、作っても「その先」がない――。
同時期、経済産業省において「繊維製品リサイクル法」の検討が進んでおり、2001~2005年の4年間に渡り議論が行われていた。岩元さんは大きな期待を持って何度か検討懇談会に出席したが、結局は制定には至らなかったという。理由はさまざまあったが、大きなものは「繊維製品をリサイクルする技術が、まだ確立されていない」から。
「技術がないから、できない。ならば、その技術を何とか作れないものか…と考える日々が続きました。とはいえ、私は営業畑であり、再生繊維に関する知識はあっても技術に関する知識や知見はありません。ちょうどその頃、東京に異動になったのを機に、知識や知見を持った人の意見を集めるため、異業種交流会や勉強会などさまざまな集まりに積極的に参加するようになりました」
このとき、岩元さんが学んだのが、「具体的に想いを言葉にする」ことの重要さ。異業種交流会のようなさまざまなバックグラウンドを持つ人が集まる場所では、その場の交流を深めるだけの話に終始しがちだが、岩元さんは自身が抱える問題意識を伝えたうえで、「こういう分野に詳しい人を知りませんか?」と具体的に聞いて回ったという。本気の言葉には、人は耳を傾ける。この時に培った人脈が皆、後に渡って岩元さんを応援し続け、実際に力を貸してくれたという。
そして、その時に出会った一人が、当時東京大学の大学院に在籍していた髙尾正樹さん。後に日本環境設計の立ち上げメンバーとなり、現在は専務取締役として活躍することになる。
「穀物からバイオエタノールができるならば、綿でも作れるのでは?」素人の思いつきが現実のものに
転機になったのは2006年。ある日、「バイオエタノール」に関する新聞記事を読み、ひらめきを覚えた。
「トウモロコシから、エタノールなどのバイオ燃料ができる。地球温暖化が深刻化しCO2の削減が課題となっていた欧米を中心に、急速に市場を拡大している――そんな記事内容でした。トウモロコシからバイオエタノールが作れるならば、同じ植物である“綿”でできた服からもバイオエタノールができるのではないか?そう思ったんです」
トウモロコシからバイオエタノールを作るには、まず主成分であるでんぷんを分解して「糖(グルコース)」を作り(糖化)、発酵→蒸留という工程を経る。一方、綿の主成分はセルロースという炭水化物の一種であり、「糖(グルコース)」が連なってできたもの。トウモロコシと同様、セルロースを糖に分解(糖化)できれば、バイオエタノールを作ることも可能、ということになる。
当時、前述の東大大学院の髙尾さんとは、「飲み友達」状態にあった。岩元さん42歳、髙尾さん26歳とかなり年が離れていたが、妙にウマが合い、新橋の居酒屋で経済談義、技術談義をする仲だったという。
新聞記事を見てすぐ、岩元さんは髙尾さんを呼び出し、居酒屋で飲みながら自身の考えをいつものように熱く語った。すると髙尾さんの答えは「いけるんちゃいますか?」。
「後に聞いたら『酔った勢い』だったようですが(笑)、俄然気持ちが盛り上がりましたね。実際、彼はすぐに動いてくれました。自身のつてをたどって、大阪大学で物理学を研究する兼松泰男教授から共同研究の快諾を得てくれたのです。そして、研究室の方と一緒に『ものは試し』と実験を開始。第1回目の実験として、Tシャツを小さく切り、セルロースを糖化する働きのありそうな酵素に浸したところ、なんと布片は明らかに薄くなり、グルコースの測定が確認できたのです。もちろん、実用化には程遠いレベルではありましたが、素人発想がすぐに結果に結びつき、思わずガッツポーズをしてしまいましたね」
ずっと夢に描いていた繊維製品リサイクルが、この手で実現できるかもしれない。その感覚を得た岩元さんは、勤務先を退職し、2007年1月に日本環境設計株式会社を設立。先の実験結果をもとに、使用する酵素や実験する条件を細かく変えて、何度も実験を繰り返し、1年後に実用化レベルの技術開発のメドが立った。
次の課題は「設備」。実証実験用の工場が必要だが、当然ながら自社で用意するほどの余裕はなかった。
そして、またもや髙尾さんのつてで行き着いたのが愛媛県・今治のタオル工場だった。
タオル工場に注目したのは、タオルの染色工程がバイオエタノールの製造工程と似ていること、そしてタオルの製造過程で大量に出て処理費用がかさんでいた「綿かす」(タオルの耳部分)がバイオエタノールの原料になること。加えて、今治は「今治タオル」のブランドで有名だが、安価な海外品の流入により工場稼働率が低下していた。
日本環境設計にとっては、施設を使わせてもらえる上に原料も確保できる。工場にとっては、稼働率を挙げられるし、綿かすの処理費用もゼロになる。互いに利益のある話であり、工場の快諾を得ることができたという。2009年から今治でのプラント実験をスタートし、2010年にはバイオエタノールが安定的に抽出できるようになった。
「技術」の次は、「技術を活かすしくみ」作り。小売店を巻き込み、衣料品回収モデルを確立する
衣料品からバイオエタノールを作る「技術」はできた。しかし、その技術を活かす「しくみ」がないと、事業は回らない。つまり、着られなくなった服を回収できてこそ成り立つビジネスモデルなのだ。
技術実用化のメドが立ち始めた頃から、岩元さんはメーカーや小売店などを回り、洋服の回収拠点を設置させてほしいと訴え続けた。メーカーの生産工場などと連携を取れば、回収量もバイオエタノールの生産量も安定する。しかし、敢えて小売店をターゲットにしたのは、消費者を巻き込むため。「消費者参加型」のモデルを作り、今まで捨てていたものが資源になることを消費者に実感してもらわないことには、社会は何も変わらないと考えたからだ。
「もの買って、使って、使わなくなったら捨てる」…いままではこうだった。これからは、「リサイクルして、買って、使う」を意識してほしい。そのためには、消費者がものを買う小売店にこそ回収拠点を設けたい。
その思いにいち早く賛同したのが、「無印良品」を展開する良品計画。回収実験として一部の店舗に回収ボックスを置き、それ以外の同エリア店舗と比較したところ、客数、売上高とも実験店舗が上回ったという。
「消費者参加型を実現するには、ちょっとしたエンターテインメント性が必要。今回の場合は、いらないものを、いつも通っているお店に持っていくことへのワクワク感です。消費者がリサイクルを目的に店舗を訪れ、その結果、購買意欲が刺激されてついでにものを買う。つまりリサイクルする行為と消費する行為が、一つの店舗でつながることを確認でき、横展開できると確信しました」
このモデルが、使用済み衣料品・繊維製品回収事業「FUKU-FUKUプロジェクト」だ。現在では、イオンリテールやパタゴニアなども加わり、全国の小売店など約1450カ所に回収ボックスが設置されている。
▲店頭に置かれた「FUKU-FUKUプロジェクト」の回収ボックス
「地上資源」が循環すれば、資源戦争はなくなり、世界は平和になる
着られなくなった衣料を、バイオエタノールという資源にしてもう一度活かす――岩元さんが目指した世界が、ようやく現実のものになった。会社設立時あたりから、「もしかしたら自分の手でできるかも…?」とうっすら思い始めていた「デロリアン」も、実現することができた。
しかし岩元さんは、「ようやくスタート地点に立てた。これからが本番」と気を引き締める。
「日本国内で生まれる産業廃棄物は年間4億トン、家庭ごみだけでも年間4500万トンに上ります。その家庭ごみをリサイクルするだけで、国内のプラスチック需要約1500万トンが賄えます。つまり、資源がない国と言われる日本においても、これだけの資源が生まれるということ。資源大国という言葉は、石油などの『埋蔵量を誇る国』から、『技術力を持つ国』に変化していくと思っています」
今の岩元さんの夢は、ごみなどの「地上資源」の循環だけで成り立つ、石油を1滴も使わない「循環型社会」を作り上げること。
「世界では、限られた地下資源を巡って常に紛争や戦争が起こっています。それを無くすのは、武器やおカネではなく循環型社会であると信じています。そのためにも、衣料だけでなくプラスチック製品のリサイクルも強化したいし、海外展開も本気で考えたい。…リサイクルで戦争を無くすなんて、目標が壮大すぎると言われるかもしれませんが、衣料品からバイオエタノールを作るという、どこにもできなかったことを実現できたのですから、この夢だっていつか絶対に叶うと確信していますよ」
岩元さんによると、夢を実現する秘訣は「夢を言葉に出して、言い続けること」だという。
「日本人は、想いを内に秘める人が多いけれど、そんなんじゃ叶いっこない。とにかく言って、言って、言い続けること。そうすれば、周りもだんだんその気になり、仲間が増える。私も、夢を語り続けることで周りを巻き込んできました。たとえ失敗したって、死にやせん(笑)。長い人生、一度の失敗なんてたかが知れている。本気の夢ならば前に進むのみ、ですよ」
▲岩元さんの著書『「捨てない未来」はこのビジネスから生まれる』(ダイヤモンド社)
EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:平山諭
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