今月末で著作権保護期間が満了する先人たち‥2015・その1【文学・前編】

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谷崎潤一郎

毎年この時期にお送りしている短期集中連載ですが、どうにか3年目をお送りすることが出来る運びとなりました。しかし、現在の政治情勢を考えると少なくとも2010年代にこの連載をお送り出来るのは今年が最後となる可能性が極めて濃厚です。この短期集中連載を開始した初年から「来年はもう出来ないかも」と言い続けて来ましたが、昨年までは「かも」であったものが今まさに現実として目前に迫っている事実について思いをめぐらせ、これから本当の意味での「文化の発展に寄与」(著作権法第1条より)すべく「何が出来るのか」「何をすべきか」を考えるための契機としてこの連載を役立てていただければ幸いです。

恐らく、今年この連載で紹介する人物たちは来年の早々にも新聞や著作権法の解説書に「1年差で“救われなかった”人物」として名前を挙げられることになるでしょう。それもおかしな話で、その理屈で言うと、例えばシェイクスピアやベートーヴェン、葛飾北斎らは「存命時から現在の米国やメキシコ並みの著作権法が全世界で施行されていれば“救われた”はずだ」とでも言うのでしょうか。当の米国は現行法に基づけば3年後、2018年に「1923年没の個人がその年に公表した遺作」(ケイト・ダグラス・ウィギンの自伝『My Garden of Memory』などが該当。日本では1984年5月22日に保護期間満了)と言う非常に限られた範囲から“自由化”が再開されるはずですが、今までがそうであったように「二度あることは三度ある」ことも当然に考えられるので、結局「その時になってみないとわからない」以上のことは言いようがありません。

東路に ありといふなる 逃げ水の 逃げ隠れても 世を過ごすかな

               詠み人知らず(夫木和歌抄26番)

谷崎潤一郎(1886-1965、代表作『細雪』『痴人の愛』)

1886年(明治19年)、東京市日本橋区(現在の東京都中央区)に生まれる。東京帝国大学在学中の1909年(明治42年)に和辻哲郎らと『新思潮』を創刊、戯曲『誕生』や短編『刺青』を発表して鮮烈なデビューを飾る。学費滞納で大学を中退した後は専業作家となるが、関東大震災を機に兵庫県武庫郡本山村(現在の神戸市東灘区)へ転居し 『痴人の愛』『春琴抄』などを次々と発表した。

私生活では結婚と離婚を繰り返し、また家族や友人をモデルにした私小説の公表をめぐって何度もトラブルを起こしている。1937年(昭和12年) には帝国芸術院の創立と同時に推挙されて会員となるも1943年(昭和18年)から『中央公論』で連載した『細雪』が軍部の圧力で連載中断となり、完結は終戦から3年後の1948年(昭和23年)であった。

1965年(昭和40年)10月30日死去。79歳。『青空文庫』では『細雪』『痴人の愛』『春琴抄』『瘋癲老人日記』など33作が公開に向けて作業中。

梅崎春生(1915-1965、代表作『桜島』『ボロ家の春秋』)

1915年(大正4年)、福岡市に生まれる。東京帝国大学を卒業後、東京市役所に勤務するが応召し鹿児島県川辺郡坊津町(現在の南さつま市)の水上特攻隊基地に暗号特技兵として配属される。この際の体験が多くの作品に反映されたとも言われるが、自身が基地で体験した出来事そのものについては生涯秘匿を貫いていた。

戦後は文壇誌の編集事務へ携わり1946年(昭和21年)に『桜島』を発表、1954年(昭和29年)に『ボロ家の春秋』で第32回直木賞を受賞。文壇を牽引する存在として将来を嘱望されていたが、1965年(昭和40年)7月19日に肝硬変のため急逝した。50歳没。2014年(平成26年)には、1952年(昭和27年)に中国新聞など一部の地方紙で連載されながらも単行本化の機会が無く全集にも採られなかった『幻燈の街』が連載から62年を経て刊行されている。

『青空文庫』では『桜島』『ボロ家の春秋』『幻化』など13作が公開に向けて作業中。

小山清(1911-1965、代表作『落穂拾い』『犬の生活』)

1911年(明治44年)、東京市浅草区(現在の台東区)に生まれる。明治学院中等部を卒業後、島崎藤村に見出され日本ペンクラブの書記となったが横領で懲役8か月の有罪判決を受け出所後の1940年(昭和15年)に太宰治の門人となった。

北海道へ渡り夕張の炭坑で働いている間に太宰が亡くなるが、東京へ戻った後に小説家としてデビューし『落穂拾い』『聖アンデルセン』『小さな町』『犬の生活』などの佳編を発表した。1958年(昭和33年)に脳血栓が原因で失語症に陥り、1962年(昭和37年)には介護に疲れた妻が睡眠薬自殺を遂げる不幸に見舞われる。

1965年(昭和40年)3月6日死去。53歳。『青空文庫』の入力作業リストには未登録。

畔柳二美(1912-1965、代表作『限りなき困惑』『姉妹』)

1912年(大正3年)、北海道千歳郡千歳村(現在の千歳市)に遠藤家の次女として生まれる。1928年(昭和3年)に北海高等女学校を卒業後、上京して1936年(昭和11年)に東京帝国大学在学中だった畔柳貞造と結婚する。1937年(昭和12年)に夫が阪神電気鉄道へ就職し、関西へ転居。しかし夫は1942年(昭和17年)に応召の後、1945年(昭和20年)にフィリピンで戦死、二美がその訃報に接したのは3年後の1948年(昭和23年)であった。

札幌時代から親交のあった佐多稲子の薦めで東京都武蔵野市へ転居し、翌1949年(昭和24年)に『夫婦とは』でデビュー。1951年(昭和26年)、戦争未亡人の悲哀を描いた短編『限りなき困惑』『川音』の2編が第26回芥川賞候補作となる。1954年(昭和29年)に『姉妹』で毎日出版文化賞を受賞、同作は翌1955年(昭和30年)に映画化された。1956年(昭和31年)に中野区へ新居を建てて転居するが、この時期から体調不良で執筆活動が停滞し1965年(昭和40年)1月13日、腹部がんのため自宅で逝去。満52歳没。

『青空文庫』の入力作業リストには未登録。

(その2につづく)

画像‥谷崎潤一郎(1949年頃撮影)

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