真田幸村ってどんな人物? 人気の原点となった講談「難波戦記」が映画化
数々の小説・漫画・ゲーム・ドラマ・映画で描かれ、好きな戦国武将として常に上位に名前があがる人気の武将と言えば「真田幸村」。
今年は幸村が命を落とした大坂夏の陣からちょうど400年を迎え、来年1月から脚本・三谷幸喜、主演・堺雅人のNHK大河ドラマ「真田丸」の放映が控えているなど、さらなる注目を集めています。
空前のブームに先駆け、11月21日(土)には、その人気を牽引した原点といわれる講談「難波戦記(なんばせんき)」が、『映画 講談・難波戦記 ―真田幸村 紅蓮の猛将―』として劇場公開されます。
実は、何を隠そう、筆者は真田幸村のお膝元と言われる、長野県・上田市出身なんです。真田の証である“六文銭マーク”には子供の頃から慣れ親しんでいましたし、真田幸村のイラストや像も街に飾られています。でも、知っている様で知らないのが、真田幸村がどんな人物だったのかという事。今回は、彼の魅力を分かりやすくご紹介します。
【突如躍り出た大舞台!徳川家康が最も恐れた男】
真田幸村は、わずか数万石の信濃の小大名の次男坊で、歴史の表舞台での華々しい活躍は晩年のたった半年ほど。それでも圧倒的な人気を誇る理由は、強大な権力へ立ち向かった勇敢な姿にあります。大坂夏の陣・天王寺の戦いにおいて、勇猛果敢に敵の本陣へ突撃し、徳川家康を死の直前まで追い詰めました。家臣たちと共に智謀を駆使し、ほんのわずかな勝機にすべてを賭けたその生き様が人々を魅了し続けているのです。
【「幸村」は本名ではない!その名に込められたヒーロー像】
実は、真田幸村の本名は、「信繁」。広く親しまれる「幸村」の名は、江戸時代から伝わる講談「難波戦記」などで広まり、現在まで語り継がれる名になっています。「幸」は、真田家に代々受け継がれる通字とされ、「村」は、家康の祖父、父、嫡男の死に関わったことで徳川家に恐れられ、幸村が所持していたとされる銘刀「村正」が由来と言われています(諸説あり)。「幸村」という名前には、家康を追い詰めるヒーローとしてのイメージが強く込められているのかも??
【真田のシンボル・六文銭】
真田幸村といえば、真っ赤な鎧兜に“六文銭”の家紋を思い浮かべる人も多いのでは? 真田の六文銭は、戦時の旗に入れる旗紋として用いられており、六文銭はもともと仏教で三途の川の渡し賃とされているもの。死をも辞さない覚悟で戦に臨む幸村の凛々しい姿が浮かびます。講談「難波戦記」にも六文銭の強烈なイメージが印象的に登場!
今に伝わる幸村のヒーロー像は、講談「難波戦記」で描かれるイメージが強く影響しているとのこと。『映画 講談・難波戦記 ―真田幸村 紅蓮の猛将―』で、その人気の原点に触れてみては?
<講談(こうだん)とは?>
日本の伝統芸能のひとつ。演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる机の前に座り、“張り扇”でそれを叩いて調子を取りながら、話を読み聞かせる。演目は、主に歴史に関するもので、真田幸村はもちろん、水戸黄門、大岡越前、国定忠治、柳生十兵衛などの時代劇ヒーローの原点は、講談といっても過言ではない。
監督:勝呂佳正 出演:旭堂南湖 原作:「講談・難波戦記」(旭堂南湖口演)
製作・配給:株式会社フラッグ 協力:武蔵野エンタテインメント
Blu-ray/96分/カラー/16:9/2015/日本
(C)2015 flag Co.,Ltd.
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