“お金に困っている人はえてしてお金がかかる”

お金に困っている人はえてしてお金がかかる

今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠(汎適所属)』からご寄稿いただきました。

“お金に困っている人はえてしてお金がかかる”
精神保健福祉の分野では、精神科医はわりと脇役で、社会復帰や自立支援にかかわる職種(市役所の福祉課職員、保健師、精神保健福祉士、民生委員 など。ときには警察官や弁護士も)がメインとなって連携が成立している。そうした他職種の人たちとお金の問題をディスカッションしている時に、ふと思うことがある――「お金に困っている人は、えてしてお金がかかる」んじゃないか――と。

どういうことかというと、生活費が入ると右から左へ全部使ってしまう人や、いわゆる“やりくり”ができないというより“やりくり”が完全に欠落しているような人が、精神医療の内側にも、精神医療の外側にも、どうやらそれなりの確率で混じっているっぽいからだ。

1.買い物をする際に、金銭の節約という概念がない。欲しいと思ったら我慢せずに買ってしまう。放っておけば、一か月の収入の大半をたちまち使い果たしてしまう。

2.生活技能・生活感覚を欠いているために、食事を自分でつくることができない。それどころか、スーパーで安い食べ物を買うことなく、より家に近くて割高なコンビニエンスストアで買い物してしまう。外食もひんぱん。

3.煙草やアルコールのような嗜好品(しこうひん)を好み、やめるどころか減らすことも困難な状態。

もちろん、全ての被支援者がそうだと言いたいわけではない。逆に、異様なほど金銭を使わないタイプの人を見かけることも珍しくないからだ*1。しかし、上記の1.2.3.が当てはまる被支援者は少なからず存在する。もちろんとてもお金がかかり、当然お金に困りやすい。

*1:例えば、障害者年金をもらいながら生活している統合失調症の患者さんの一類型のなかに、ほとんど仙人のような生活をして、最低限の収入でやりくりが成立しているタイプの人がいる。

一方で、収入の豊かな人が、やたらとやりくり上手な例もよく見かける。スーパーの特売日を利用する・野菜室の野菜を無駄に余らせない・嗜好品(しこうひん)にむやみに溺れないetc……。それほど金銭を節約しなくても生活できそうな人々が、かえって食費・生活費を節約できていたりする。こういう人は、収入がしっかりしているのに加えて財布のひもを管理しているのだから、結果としてますます金銭に困りにくくなっていく。その有様は、収入が乏しく財布のひもも緩みがちな人たちとは対照的だ。

このあたりを眺めていると、金銭管理とは本人の自由意志の問題なのか、それとも本人の能力の問題なのか、よくわからなくなってくる。

金銭管理が出来ない人を、誰が、どう、支援するのか

さて、こうした金銭管理の能力を欠いているように見える人がいたら、どうすれば良いのか? ひとつには、生活保護のような何らかの制度適用があるかもしれない。しかし、金銭管理の能力が欠如している人にただ金銭を手渡すだけでは、底の抜けたバケツに水を注ぐようなもので、金額の大小に関わらず、困窮した状況は変わらない。

次に連想されるのは“金銭管理を本人に教育する”というソリューションだが、教育すれば節約ができるようになるというなら、とっくの昔に問題は解決しているはずである。少なくとも、すぐに成果の出るものではない。

そこでさらに次善の策として“金銭管理を本人任せにせず、第三者が支援する”という形式が思いつく。実際、精神保健福祉の領域では、“金銭管理の第三者による支援”が制度化されている。その代表格は、成年後見人制度だろう。この最もフォーマルな制度から、日常の買い物支援まで、精神機能にハンディを生じた人の金銭管理を手伝うシステムは、精神保健福祉の世界では幅広く機能している。

しかし、だからと言って「金銭管理ができない人を見つけたら、金銭管理を本人から取り上げるべき」とするべきだろうか? まして「金銭管理ができない人には、精神保健福祉で用いられている制度をそっくりそのままあてがうべき」とするべきだろうか? このあたりはいろいろ難しく、また、デリケートなところだと思う。

まず、現実問題として、現行の精神保健福祉の貧弱なマンパワーでは、世の中の金銭管理不能者すべてを支援することは絶対に無理、というものがある。金銭管理のできない人の総数は、金銭管理のできない精神障害者の総数よりもずっと多い*2。そこまで幅広い人々の金銭管理を実際にやるためには、途方もない労力が必要になるだろう。

*2:精神保健福祉が金銭管理の支援対象としているのは、なんらかの精神障害を持ち、なおかつ、金銭管理ができない人たちである。

また、理念の面でも、“金銭管理に第三者が介入する”ということは、個人の意志・選択・責任を制限してしまうという問題を含んでいる。自己決定を制限するような介入は、人権的観点からすれば最小限にするのが望ましいはずで、仮に、金銭管理のできない人間を容赦なくマネジメントしていくようなシステムを構築しようものなら、遠からず、あなたの玄関先にも行政の人間が現れて「当局は、あなたの金銭管理能力には問題があると判断しました。以後、あなたのお金の使い道には制限と監視がつくことになります」と告げて回るような未来がやってくるだろう。そんな未来は御免こうむりたい。

“金銭管理のできない人の支援”というテーマは、以上のようなややこしさを含んでいるがために、今までも、そしてこれからも、論議の的であり続けるのだろう。“お金に本当に困っている人は、えてしてお金がかかる”という問題の解決は、自己選択の制限とも表裏一体なだけに、シンプルな単一見解に飛びついて足れりとするわけにはいかない――時に、自由意志尊重とひきかえに、困窮に向かって突き進んでいく人を見送ることがあるとしても――。

執筆: この記事はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠(汎適所属)』からご寄稿いただきました。

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