いかにして「暴言検事」は生まれたか(1) 「生意気な被疑者は机の下から蹴るんだよ!」
冤罪事件に関わった元検事・市川寛氏が2011年5月23日、東京都内で開催されたシンポジウムで、新人のときに受けた理不尽な「検事教育」の実態を赤裸々に語り、聴衆を驚かせた。その要点をまとめた記事はすでにニコニコニュースに掲載しているが、市川氏が明らかにした内容は、実体験にもとづく貴重な証言として細部にわたって注目に値する。そこで、シンポジウムでの発言内容を全文、書き起こして紹介する。
■「被疑者に暴言をはきたくて検事になる者はいない」
私は平成13年(2001年)、当時8年目の検事だったときに、佐賀地方検察庁の3席検事(という立場にありました)。比較的規模の小さな地検では、トップが検事正、2番目が次席検事、その次が3席検事と言いまして、いわば「平の筆頭」という立場にいました。
そのとき、佐賀市農協の背任事件で「独自捜査」といって検察庁だけが行った捜査の主任検察官をつとめました。私は当時の組合長さんの取調べを担当し、その組合長さんに、検察官にあってはならない暴言をはいたことで、私が作成した自白調書の任意性は否定され、ひいては、その組合長さんが一審、二審ともに完全無罪となりました。私は平成5年(1993年)から平成17年(2005年)まで12年と少しばかり検事をつとめていましたが、平成17年にその暴言について厳重注意処分をうけ、辞職したものであります。
私は検察官にあってはならない大きな過ちを犯した輩(やから)であり、本来であればこのような壇上からお話をするような立場でないことは重々承知しています。冤罪被害者の方にはもちろんのこと、世間様にも大変なご迷惑をおかけし、そういったことに対して幾度もお詫びしなければならない立場にあることはわかっています。
しかし、大変心苦しいのですけれども、本日は、終始現場の一検事としてやってきた者として――自分の言い訳に聞こえるのは百も承知ですが――いかにして8年も検事をやっているのに暴言をはくような人間ができあがるのかについて、すべて事実として申し上げたいと思っています。私はいかなる非難も今後受ける所存ですし、自分の犯した過ちについては生涯なんらかの形でつぐなっていきたいと考えるところであります。今日申し上げるところも、そのつぐないの一貫としてご理解いただければ望外の幸せです。
私は平成5年(1993年)、横浜地検に任官しました。私だけではなく、すべての検事は、何も被疑者に暴言をはきたくて検事になることはありません。私ものちに暴言をはいてしまった不埒(ふらち)な輩ではありましたが、少なくとも検事のバッジを初めてつけたときは、まさか被疑者に暴言をはいたり、怒鳴ったり、そんなことをしたくて検事になったのではありません。
しかしながら、最終的な結論としてあらかじめ申し上げておきますけれども、私は検察庁が求めるところの一つの検事になりきることができなかった。これは私が正しいということで申し上げるわけではないんです。私は結局のところ、検事にはなるべきではなかったのかもしれない。これから申し上げる検察庁での教育に、自分の心の中ではいつも違和感を抱き、しかしながら、教育をしてくれる上司・先輩に「いや、それは違うでしょ」と毅然とした態度で反論することが最後までできなかった。
本来の、あるべき検事は――いま現在も検察庁にいると私は信じていますが――自分の良心に反する、あるいは、検察官に求められる本来の職責に反するような、上司・先輩からの指示には毅然として反抗し、自分の信条を貫くべきであります。そして、そういう検事がいるのは事実ですが、私はそれができなかった。それもあって、検事をやめたというところもございます。
■「千枚通しを被疑者に突き付けて罵倒した」先輩検事
1年生のとき、先輩検事、大先輩といったほうがよい検事に「ヤクザと外国人に人権はない」と教えられました。私は「ああ、そうですか」と。当時はまだ外国人犯罪というのは、平成5年(1993年)の時点でしたので、いま現在と比べると数はそう多くなかったと思います。その先輩には「外国人は結局のところ日本語がわからない。だから日本語であればどんな罵倒をしてもいい」といったことを教えられました。
また、検察庁に送られてくる事件記録には、警察からの調書・報告書といったものがあるということは、このシンポジウムをご覧になっている皆さん方も抽象的にはイメージできると思います。これらは検察事務官が、新しい調書や書類が届くと「千枚通し」を使って通していきます。で、話を戻しますが、その先輩がいうには「自分はある外国人の被疑者を取調べたときに、千枚通しを被疑者の目の前に突き付け、日本語で罵倒した」と。「こうやって自白させるんだ」という教えを受けました。一応、念のために言うと――信用してもらえないかもしれませんが――私もこれは、さすがにマネしていません。
その先輩はこうも教えてくれました。被疑者に「壁に向かって立て」と言うのだ、と。しばらく被疑者を立たせている間――そもそも立ってくれる被疑者がいた時代だったという変な言い方をしますけれど――自分はほかの仕事をしている。ほかの事件の記録を読んだりして、しばらく時間がたつと、「どうだ、言う気になったか」と言う。そして、被疑者は自白するということを、別に酒の席ではなく、シラフで教わりました。念のため断わりますが、これも私はやっていません。ただ、それで私がやったことが軽減されるわけではないので、いちいちこれからは申しません。
また、当時の上司は筋金入りの特捜検事だった方なのですが、被疑者と検事の間にはいま私が座っておりますような机がありまして、下にはこのようにスキマがあります。上司には「市川君、生意気な被疑者は机の下から蹴るんだよ! むこうずねを蹴るんだよ! 特別暴行凌虐罪をやるんだよ!」と教えられました。それが特捜部のやり方だ、と。私は、うそは言いません。
このようなことを司法試験合格者、つまり、今日お集まりの皆様や(ネット中継を)ご覧の皆様とほとんど変わりのない感覚を持っている人間が、そういうものだと教えられてしまう。当然、ショックを受けます。
自白を取るというのは、正確には「自白調書を取ること」です。自白というのは、それが真実に沿うものであれば、真犯人から語られるものであれば、もっとも価値の高い証拠であることは否定できません。ですが、自白という供述を取ることよりも、どのような体裁の調書を取るかという教育を徹底して受けます。
贈収賄事件はこういう調書を取る。いわゆる「未必の故意」はこうやって取る。共謀はこうやって取る。「調書の取り方教室」です。1年目から――正直に私は嘘偽りなく申し上げますが――そういうことには非常な抵抗感を感じました。今だからこそ懺悔も含めて申し上げますが、書き方教室をやるために検事になったんじゃない、と。
しかしながら、上司が予定する、すなわち、検察庁が予定するところの調書を取らないと取り直しです。1年生は、上司との間に、どうかすると20年の隔たりがありますので、「いや、それは違うでしょ」と、少なくとも非常に気の弱い人間だった私にはできませんでした。
(いかにして「暴言検事」は生まれたか(2) 「これはお前の調書じゃない。俺の調書だ!」)
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(亀松太郎)
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