「面接に着て行く服がない」被災地の若者が語る「就活の悩み」

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 「家がない、面接に着て行く服がない、履歴書に貼る写真も撮れない。どう就職活動をすればいいのか」。そう語るのは、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市の避難所「気仙沼市総合体育館(ケー・ウェーブ)」に身を寄せる熊谷祐樹さん。避難生活を送るうえで、どんな悩みを抱えているのか。震災発生から約1か月となる2011年4月9日、同体育館を訪ねて話を聞いた。

 熊谷さんは気仙沼市出身の28歳。親元を離れ市内で一人暮らしをしている。過去には水産業や清掃業に携わっていたが、最近は仕事が見つからず就職活動をしていた。そんな中で発生した東日本大震災。地震とともに起きた津波は、熊谷さんから通帳と印鑑を除く生活のすべてを奪った。大切にしていた西野カナの初回限定アルバムも流された。

 被災後の就職活動について熊谷さんは「住所がなければ就職は難しい。仮設(住宅)に入りたいが、優先されるのは子供連れや高齢者。自分の住所はいつ持てるのか」と不安をもらす。気仙沼市役所によると、現在9,800人いる避難者に対し建設予定の仮設住宅は389戸にとどまっている。(2011年4月13日現在)

 気がかりなのは住所だけではない。取材に応じてくれたとき、熊谷さんはジャージ姿だったが、「面接に着て行く服がない。支援物資の中には服もあるが、子供や高齢者向けのものばかり。20代が着られるような服はないんです」と若者向け衣類の不足を指摘する。「正直、履歴書の写真くらいは良い服を着て撮りたい。ただ、証明写真の機械すら見当たらない」とし、仕事の応募さえままならない状況を嘆いた。

 今後も気仙沼で働くつもりかと問うと「気仙沼のハローワークは津波で流された。多くの会社も被害を受けて、もともと少なかった仕事はさらに減った」と話し、「仕事がなければ県外へ出て行くしかない。でも、やっぱり気仙沼で働きたい。ここが好きなんです」と気仙沼への思いを語った。

(松井尚哉)

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