震災後10日目の仙台市「非日常が日常と化した街」
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●震災後10日目の仙台市「非日常が日常と化した街」
東北、関東の太平洋沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。死者、行方不明者は2万人を超える。発生から10日あまりの19日から3日間、仙台市、石巻市を歩いた。
抜けるような青空の下、空き地にぽつんと置かれたビニールシート。長さ160センチ、横は60センチほど。近づくと、浜風で舞い上がった土ぼこりが当たり、パチパチと音を立てた。幾重かのシートにくるまれ、粘着テープで閉じられた女性の遺体だった。あたりは津波が運んだ砂で、一見砂浜のように思えた。よく見れば、頭を北に横たわっていた。
仙台市若林区荒浜。海岸沿いで潮風と泥の臭いが入り交じる。神奈川県から災害援助の消防隊員2百数十人が遺体捜索をしていた。津波が何度も押し寄せた同地区。住宅地の多くは壊され、流され、コンビニも家も食堂も跡形なく、一帯は更地のようだった。
消防隊の指揮車が駐車する空き地の隣に、消防車が1台停車した。隊員が担いで下ろした担架から、ビニールシートを地面に置いた。隊員たちはバタンとドアの音を響かせ、無言で捜索作業に戻っていった。
ビニールシートには性別、発見時間、場所などを書き込んだ紙が貼られていた。身元不明の女性の遺体は、これから警察が検視し、死亡を確認する。手掛かりがあれば名前が公表されるが、なければ身元不明者リストに性別、発見場所、推定年齢などが記載され、親族に見つけてもらうのを待つ。
2日後、仙台港でも男性の遺体の搬出を見た。反転したトラックの運転席。警察が特殊工具を使いドアを切開し、車内から運び出していた。被災地沿岸部では震災発生から1週間以上たっても、まだ遺体が見つかる。被災者たちが少しずつ復興の手掛かりを探る隣で、非日常が依然、日常と化していた。
3万人が避難する石巻市。定置網漁船や水上バス、何艘もの船が、旧北上川河口付近の市街地に転がり、電柱をなぎ倒していた。津波にさらされた地区は、やはり更地のようだった。商店街は電気も水道も復旧の見込みはない。それでも人々は、家にたまったドブ臭い泥やがれきを真っ黒になりながら片付けていた。
同市の県立石巻高には約700人が避難生活を送っている。10日たって、初めて自衛隊の炊き出しが行われた。炊きたてのおにぎりを手にする60代の女性。「この10日間は生きることで精いっぱい。やっと先のことに目を向けはじめた」という。
息子夫婦とともに身一つで津波から逃げたが、家は流された。「復興まではかなり時間がかかるでしょう。ニュースを見ると、埼玉などで被災者を受け入れてくれている。本当にありがたい」と話したが、「移住するにも将来ある若い人たちに仕事があるのか…それが気掛かり」と生活再建への不安を語った。
避難生活もまた、非日常。平穏な日常を取り戻すまでのストレスは計り知れない。
3日間で足を運び見た光景は、わずか数十キロの範囲。これが延々数百キロにわたって起きている。地震、津波、さらに原発事故が、日常の顔をした非日常へ、数十万人を引きずり込んだ。その深さはまったく、底が見えなかった。
執筆:原稿と写真はガジェット通信読者の報道カメラマン菊地さんからご寄稿いただきました。
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