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新しい母の概念を通し、人間性のありかたに問いを投げかける

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 語り手の虹は「母になりたい」と言う。母になって母を産みたい。母自身よりも、精度の高い母を、産めるような母を、産みたい。

『母になる、石の礫』は、新しいアプローチで人間の変容に取り組んだ意欲作。複雑で異様な設定はアイデアとして魅力的であるばかりか、物語を大きく動かす力にもなっている。第2回ハヤカワSFコンテストの最終候補作であり、選考委員の東浩紀氏は〔ポストヒューマンSFの動向がよく押さえられ、文体もこなれている。ジェンダーの主題は幅広い読解に堪える〕と強く推している。そのとおりだと思う。

 ポストヒューマンを描くことは、ぼくたちが自明としている人間性とそれに連なる諸観念の問い直しにほかならない。人類の変容はH・G・ウエルズ以来の伝統的なSFのテーマだが、やがてそれを思考実験のみならず、現代を生きている我々のリアルな感覚と結びつけて描く作家があらわれるようになった。とくに際立っているのは、1970年代半ばにデビューしたジョン・ヴァーリイであり、1980年代半ばにサイバーパンクの主導者として活躍をしたブルース・スターリングである。この作品はその系譜に連なる。

 虹は小惑星帯コロニーで生まれた〈二世〉のひとり。コロニーと言っても、たかだか十数人の小規模集団だ。〈二世〉の誕生は地球的な生殖によるものはなく、コロニーには家族の概念はない。成長過程では、地球で教育用に使われていた仮想環境と疑似人格の一群(〈友だち〉と呼ばれる)を与えられた。〈友だち〉とやりとりして虹は驚愕する。〈友だち〉の母(すなわち地球における母)は人間の形をしており、人間として扱われ、暮らしのなかで何も出力しない。せいぜい産むのは人間だけで、しかも寿命が尽きるよりずっと以前にその機能すら失ってしまう。そんなものを母と呼べるのか。

 小惑星帯コロニーにおける母は、レシピがあって原料さえ調達できれば、あらゆるものを出力する。ちょっとした部品はもちろん、社会に欠かせないインフラ、日々の食事、そして母そのものさえ。ただし、母に出力された二代目の母は、一代目の母の精度を上回ることはできない。コロニーには地球由来の〈原母〉が一台あり、それに出力させた二代目以降の母をコロニーの各自が使い、さまざまなものをまかなっている。母は人間の身体も出力できる。

 虹が言う「母になりたい」とは、母を腹中に埋めこむことだ。〈二世〉の仲間である霧がすでにそれをおこなっている。このコロニーでは人体改造が容易におこなわれる。虹は四本の腕を持ち、別な〈二世〉の仲間、針はトランプの絵札のように上半身がふたつ腰のところでくっついている。また、母の概念は生物的性別から解き放たれており、おなじように「母になる」を決意をしていても、性染色体的には虹はXY、霧はXXだ。こうした人間の肉体をカジュアルに扱う感覚は、ヴァーリイやスターリングの直系である。

 この作品が扱っている母の概念はいっけんトリッキイなアイデアのように思えるが、人間中心の視点をずらせば、理屈は通っている。再帰的な出力が可能(つまり自分と同等の機能をもったものを出力できる)なものを母と呼べば、虹にとっての母は万能タイプであり、地球における母は専用タイプというだけだ。言うまでもなく、倉田タカシはショッキングな効果を狙ってこの設定を持ちだしたのではない。宇宙において、あるいは生命にとって、世代を継ぐことの意味を問うているのだ。

 物語の読みどころは、万能型の母に依拠する小惑星帯コロニーがおかれている不安定な状態のなりたちと、その状態がカタストロフへ転じていく過程の激しいドラマだ。

 このコロニーを建設したのは、地球を脱出してきた12人の〈始祖〉たちである。地球では高性能化した3Dプリンタを取りこんだ小型自動工場(これが母の起源だ)がパーソナルユースで普及し、無秩序な出力が横行したため、それを制限する厳しい監視・管理の網が敷かれるようになった。イノベーションを圧殺するディストピアである。〈始祖〉はそれを嫌い、大胆な作戦によって宇宙へ逃れた。小惑星帯に到着した彼らは、新しい人類を創造する『〈人〉計画(プラン)』に取り組む。〈二世〉はその一歩となる実験であり、母が出力した子宮のなかで生育された。しかし、〈始祖〉にとって〈二世〉は試作品にすぎず、虐待まではいかなくともスポイルされ、自由になるリソースも制限されている。『〈人〉計画』の軸はその後、母が直接に人体を生みだす〈新世代〉へ移行する。〈新世代〉は高い知能を設計され産まれてきたが、遺伝的な操作で新皮質を増大させたことが原因と思われる脳の障害で次々に死亡し、いまでは41と呼ばれる個体しか生き残っていない。

〈始祖〉に反発した〈二世〉の三人(虹、霧、針)は、〈新世代〉の生き残りである41を連れて、コロニーを離れる。そう、これは世代間の確執の物語でもあり、その部分ではリアルな社会問題と相似だ。つまり、権利や決定権を握りいつまでも現役でありつづけようとあがく旧世代と、自分のアイデンティティとその拠り所を模索する新世代。離反は七年に及んだが、両者の拮抗は地球から圧倒的な速度で打ちだされた巨大構造物によって崩される。小惑星コロニーと地球との交信は長らく途絶えていたため、地球でいかなる社会体制の変化が起きたのか、テクノロジーの発展があったのかわからない。巨大構造体の目的も不明だ。しかし、地球における母の精度が飛躍的に向上していれば(それは充分に予想される)、脳内のニューロン配置の精確な再現が可能となる。つまり、自意識を備えたままの人体の出力であり、その応用で母を一種の転送システムとして利用できる。その結果、小惑星帯もたちまち地球の支配が及ぶ範囲になってしまうだろう。

 虹たちは否応なく〈始祖〉グループと向きあい、地球からの脅威に備えなければならない。しかし、不確定な要素があまりに多すぎる。虹のメンバー間でもそれぞれに価値観が違い意見が統一できないし、〈新世代〉の41に至っては行動をともにしようとはしない。久しぶりに再会する〈始祖〉たちも、何を考えているかわからない。もっとも予断を許さないのは地球の狙いだ。

 ときに三すくみ、四すくみ的な膠着状態がある一方で、息を継ぐ間もない激しいバトルも(母の利用しだいでさまざまな戦術が取りうる)繰り広げられる。ちょっと闘いが多すぎる観もあるのだが、まあ、主人公たちの鬱屈を思えば仕方ないか。

 終盤にじわっと温かい感じがあるのを別にすれば、全体にドライな色合いの小説。そのなかで愉快なアクセントになっているのが〈始祖〉グループの頓狂さだ。彼らはアナーキーでラディカルなマッドサイエンティストで、ことあるごとに持論をわんわん語りだす。ひとつひとつはいかにも科学者っぽい穿った意見だが、けっきょくは自分勝手なオレ的正論なので、全体としてはまったくまとまりがない。とても議論などしているような状況でも、彼らは言いたいことが抑えられない。端から見るとまったくのギャグだ。たった12人とはいえ、この連中がいなくなったことで、地球はちょっと静かになったんじゃないだろうか。

(牧眞司)

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