人間的な温かい社会と平等は両立しない(メカAG)
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
人間的な温かい社会と平等は両立しない(メカAG)
「人にやさしい社会」を目指す人達というのは、往々にして自己矛盾を露呈する。たとえば現代は「お金」が主体の社会。すべてお金で解決する。すべて一律、すべて平等。
これを「そんな冷たい社会は嫌だ」「人間の心、血の通った社会がいい」という人は少なくない。気持ちはわかるが、それは平等とは対極のものだよね。人間の心、人の暖かさというのは、つまり「特別扱い」すること。それが人間にとって嬉しいわけだ。杓子定規でない相手の気持を考えた対応。
でもね…。たとえば最近はスーパーばかりになってしまったが、むかしの個人商店の八百屋や魚屋は、値引きしてくれたんだよね。もちろんスーパーがやってるような一律の値引きじゃなくて、客ごとに柔軟に。
* * *
でもそれって見方を変えれば差別だよね…。値引きをしてくれる人は喜ぶけど、横で見ていて値引きをされなかった人は…。でもまあそれが人間的な温かみのある社会なわけだ。
そういう社会の方がいいというのは個人の自由だけど、そういう人たちって同時に平等な社会を主張してる事が多い。客によって値引きを変えるのは平等なんでしょうかね…。
彼らは二言目には不平等は差別だ、けしからんという。でも平等にすればするほど、社会は一律になり、杓子定規な非人間的なものになっていく。どっちを望んでいるのか。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年12月26日時点のものです。
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