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みどり夫人を赤面させた司馬遼太郎の”真夏の公開プロポーズ”

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 11月12日、作家・司馬遼太郎さん(本名・福田定一/ふくだ・ていいち)の妻、福田みどりさんが85歳の生涯を終えました。映像化もされた『竜馬がゆく』(文藝春秋刊)や『坂の上の雲』(文藝春秋刊)をはじめ、歴史小説の名手として名を馳せ、「司馬史観」と言われる独自の歴史観を打ち出した司馬さんですが、彼の作品の第一の読者であり、その創作活動を支えたのはみどり夫人であることは司馬ファンならずとも、よく知られています。

『梟の城』で直木賞を受賞し、本格的な作家活動に入るまで、司馬は産経新聞大阪本社文化部の記者として働いていました。小説を書く際には綿密な取材を重ねたのも「ウラを取る」という根っからの新聞記者気質がなせる業だったのかもしれません。

 記者時代に知り合い、1959年に結婚したふたりですが、実は、司馬さんは、みどり夫人に公衆の面前でプロポーズをしていました。

 司馬さんの著書『歴史の中の日本』(中央公論社刊)に収められている随筆「私の愛妻記――市電の停留所でプロポーズ」の項によれば、それは、桜橋という市電の停留所で市電を待っている時のことでした。真夏の夕暮れ時「あのな、あんた。つまり、僕の嫁はんになる気はないやろな」と切り出した司馬さん。当然のことながら、市電待ちの人々は、目前で進行中の事態に目が釘付けに。好奇の視線を向けられてしまったみどり夫人はといえば、顔を真っ赤にして、プイと横を向いてしまったそうです。

 後日、「――場所がね、わるかったのよ」と語ったみどり夫人。プロポーズの答えは、意外にもイエスでした。

 寿退社が当然だった時代とはいえ、文化部で婦人記者としてバリバリ活躍していたみどり夫人は、仕事を辞めることにかなり抵抗があったそうです。それから長い年月を経て、1996年に国民的作家であった司馬さんが他界。2002年から、みどり夫人は自ら筆を執って、夫との思い出を産経新聞に連載を開始します。1か月に1度掲載された同連載は『司馬さんは夢の中』(全3巻、中央公論新社刊)としてまとめられていますが、彼女を執筆へと駆り立てたものは、もしかしたら新聞記者時代への未練がさせたことだったのかもしれません。

 

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