憲法9条はない・・・錯覚している日本人(中部大学教授 武田邦彦)

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憲法9条はない・・・錯覚している日本人(中部大学教授 武田邦彦)

今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

憲法9条はない・・・錯覚している日本人(中部大学教授 武田邦彦)

「憲法9条にノーベル賞」をという馬鹿らしい話があった。未だに、日本には日本国憲法があり、その9条は存在しない。ここが日本人の「建前」に対する感覚だが、「無いものをあるという」という特殊な感覚を持っている。人間浄瑠璃の世界だ。

憲法9条には「武力を持たない、交戦権がない」とあるが、日本は、「世界ベスト10の自衛隊+世界一のアメリカ軍+水爆をつんだ原潜10隻(世界最強の核武装)」をしている。だから武力は持っているし、核武装している。

また防空識別圏があって、そこに無断で侵入する航空機に対して、自衛隊の戦闘機が「交戦」を前提としてスクランブルをかける。第一、軍隊がいて交戦しないなどということはなく、北朝鮮がミサイルを打ち上げるといったときには自衛隊は地対空ミサイルを撃つ準備をして配備した。戦闘配置であるので、交戦が前提だ。

言っていることとやっていることが違いのは本当は恥ずかしいことだ。玄関に「私は人のものは盗みません」と書いておけば、自分が泥棒しても良い、ことによっては「犯罪を減らすのに素晴らしい宣言だ」ということで、表彰されるというのはおかしい。

日本の「建前主義」は意味があるかも知れない。でも、それはかなり深く考えて論理を組み立てる必要があり、普通には「言っていることをやっていることが違う」ということで、むしろ恥ずかしいことだ。できるだけそっとしておいたほうが良い。

このブログに「仮装社会」というシリーズをやっているが、まさに仮装社会というのは建前を掲げておけば、何をやってもお咎めがないという社会でもある。小渕大臣の辞任は「日本の地方では昔から当たり前だが、なんでそんなことがバレる会計をしていたのか」などというまさに建前論が出てくる。

もともとノーベル賞というのはヨーロッパのものだ。ノーベル賞を受賞した人は「外国の賞をもらった」ということで尊敬する必要があるが、日本もそろそろ「自前の賞」の方を名誉に思わなければならないだろう。

ノーベル賞をもらうと文化勲章が自動的に与えられる。つまりノーベル賞は文化勲章より遥かに価値の高い賞で、ノーベル賞はスウェーデン王室から授与され、文化勲章は天皇陛下がくださるから、天皇陛下はスウェーデン王室の下なのか? 歴史的には天皇陛下の方がズッと上位だが。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年10月29日時点のものです。

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