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チベットとの出会い

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チベットとの出会い

 これから僕がどんなふうにチベット仏教と出会ったのか?どうしてチベット仏教を学ぶことになったのか?ということについて書こうと思いますが、なかなか一筋縄ではいかない作業です。その問いの答えは、物心のついた中学生くらいからの個人的な体験にとても深く関わっていますから、思うがままに書けば書くほどチベットやヒマラヤのこととも仏教のことともあまり関係ない話が多くなってきそうですし、ブログの連載全体を通じてようやっとおぼろげに描き出せるようなものだと思うのです。とはいえ、書き出しのところで自己紹介するのも悪くないですから、ざっとかいつまんでお話しましょう。

 この彼岸寺でブログを連載されているのは、先祖代々お寺を受け継いできた家の方だとか、熱心な仏教徒の家庭に生まれた方が比較的多いかと思うのですが、僕はカトリックの家庭に育ちました。父方が東北地方の明治初期にカトリックに改宗していた家だったので、僕も生まれてすぐに幼児洗礼を受けて教会のミサや日曜学校に通ったり、中学と高校は神奈川のはずれのほうにあるイエズス会の男子校に通っていました。まぁ、高校生くらいになると外で遊んでいるほうが楽しいですから、教会にもクリスマスくらいにしか行かなくなってしまいましたが。母方の実家は山梨の仏壇と神棚が両方あるような普通の家でしたから、どんど焼きや盆踊りなど季節の行事には普通に慣れ親しんでいましたし、時には法事に出ることもありましたから仏教についても日本人がごく一般的に抱いているような理解をしていました。

 中学生くらいのころ、チベットといえば、ヒマラヤの奥地にある高原地帯にその昔は吐蕃王国と呼ばれていた神秘的な国があってダライ・ラマという何世代も生まれ変わっているラマ教の王が治めているらしい、というくらいの印象でした。ラマ教といわれているものが仏教だということすらよく知らなかったように思います。前世の記憶を持っている霊童がいるといわれていることに、なにやら空恐ろしいものを感じたのを覚えています。

 僕がチベット仏教というものに初めて触れたのは、中沢新一先生の書いた『チベットのモーツァルト』という本がきっかけでした。当時の中沢先生は、ニューアカデミズムの旗手としてメディアでもてはやされていた人気者で、この本は、かなり難解だというのにも関わらず大ベストセラーとなっていたのです。僕があの本を最初に読んだのは、出版されてから数年後の高校三年生の時だったと思います。高校の図書館の本棚の間でなんとなく手に取ってページをめくった時の光景を今でも覚えているのですが、この本の最初のほうに出てくる「孤独な鳥の条件」という文章で、「ポワ」という霊魂を極楽浄土に向けて送り出す瞑想技法の修行を通じて一種の幽体離脱体験を味わったけれども、それをラマに報告すると、そんな体験はただの幻に過ぎないのだといなされてしまったというシーンに衝撃を受けて身震いしました。

 この本には他にも、浄土思想と密教の関係性や、マンダラと都市の話だとか、いま僕が主な研究テーマにしているチュウの儀礼についての論考などが収められているのですが、当時は前提とすべき知識も何もなかったので、正直に言うと全く意味が分かりませんでした。ですが、一見するとフランス現代思想のレトリックを巧みに駆使して洒落たことを言っているようにみえるのを剥ぎ取りながら、なんとかそこに込められたメッセージを解読していくと、そこでは「頭だけではなく手足を動かして身体感覚をフルに稼働させてものを考えろ」というような、実のところものすごく泥臭いことが言われているのではないかと子供ながらに共感を覚えました。

 僕は美大に入って音楽をやろうと思って予備校の美大受験コースにこっそり通ったりしていたのですが、両親の反対にあって悩んだりしていたところ、たまたま中沢新一先生が中央大学の新設学部に教授として就任したという知らせを目にして受験して、なんとか二回目で合格して入学することになったのです。中沢先生の最初のゼミの自己紹介で「僕は美大を目指していたけれども先生のところで宗教学の勉強をしながら作品を作ったりしていこうと思います」なんていうことを言ったら「自分の精神を磨かないうちから表現なんてするんじゃない!」と言われてしまい、ポカーンと頭を打たれたような気持ちになったのも懐かしい思い出です。

 その大学一年生の時の宗教学入門のようなゼミでは、バタイユの『エロティシズム』やミシェル・レリスの『日常生活の中の聖なるもの』などのシュールレアリズム運動に関わりのある思想家達の文章を読んでいました。その頃は先生は大学の講義やゼミの中でチベット仏教に直接触れることはあまりなかったのですが、その年の最後の授業で1960年代に Arnaud Desjardins というフランスの監督が撮った Le Message des Tibétains: Le Bouddhisme/Le Tantrismeという貴重なフィルムを見せてもらいました。亡命直後のチベット人達がインド・ネパールでどのように過ごしながら仏教を伝えようとしていたのかを初めて目にしたのです。カギュ派のラマが高度なヨーガのやり方を弟子に伝授したり実際にやっている映像など、ちょっと普通に旅行したのでは到底遭遇できないような場面がいくつも出てきてかなり衝撃を受けました。

 その年の冬休みには先生やゼミの仲間達と野尻湖で合宿をして雪合戦したり風呂上がりに卓球したりして楽しく過ごしたのもよく覚えています。

そうして僕は1995年の春を迎えたのでした。

ヒマラヤデッドオアアライブ

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佐藤剛裕:彼岸寺

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