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『千日の瑠璃』446日目——私は速度だ。(丸山健二小説連載)

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私は速度だ。

娘に自殺されてから厭世家の典型となった男ががむしゃらに飛ばすクルマの、常軌を逸した速度だ。私は彼を限りなく死に近づけてやることで憂苦に満ちた日々を忘れさせ、ともあれきょうを生きる力を与えていた。少なくとも私と共にある限り彼は孤影悄然として去る者ではなく、大患に倒れる者でもなかった。また、我とわが身を苦しめるものでも、盲愛を注いだにもかかわらず失ったわが子の影を、血眼になって捜し求める者でもなかった。そんな彼を私は大いに気に入っていた。

彼はきょうもまた私にしがみついて険しい山道を突っ走っていた。悪路を走破するための改造を加えてあり、如何なる路面にもしぶとく喰らいつくタイヤを履いたクルマを駆っての走りは、壮烈を極めた。立木が車体のあちこちをひっきりなしに掻きむしり、ぎりぎりのところで谷底への転落を免れるといったことがたてつづけにあった。しかし私は何があっても怯まず、むしろ一層勢いを増し、ほどなく、いざというときに取り回しが利く限界を超えてしまった。タイヤと同様、彼の命までが焦げ臭くなった。

死の後見人となり、生の引き立て役となった私は、「首を吊るまで気づかなかった者が親といえるか」と噛みついた。やがて一番の難所に差し掛かり、四輪がいっぺんに滑りだし、「いいぞ、その調子だ」と私は叫び、男は「死んでやる!」とわめいた。だがそれも、病気の幼児程度の速さでしか歩けない少年が、前方に現われるまでのことだった。
(12・20・水)

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