あの大物作家たちに“盗作”疑惑?

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 小説や音楽、絵画などすべての創作においてタブーとされているのが「盗作」、いわゆる“パクり”です。素人ならまだしも、プロがこれをやってしまうと、下手したら業界から干されてしまうほどの重罪だといえます。

 しかし、よほどあからさまでないかぎり、はっきりと“クロ”とは断定できないのも盗作の特徴です。ただ“似ている”というだけではほとんどの場合が“疑惑”で終わってしまいます。
 では、盗作か否かを分けるものは一体何なのでしょうか。『あらゆる小説は模倣である。』(清水良典/著、幻冬舎/刊)によると、そのボーダーラインは様々な要因によって変わるようです。

 例えば、作家のランク。新人作家や無名の作家は「盗作」に関してとても弱い立場にあります。もし、駆け出しの作家がその手の疑惑をかけられたとしても、編集者や出版社は守ってくれません。人気作家の場合はそれと対照的です。本がよく売れる作家は出版社に利益をもたらしてくれる貴重な存在ですから、出版社はその作家を守ろうとするはずです。
 このように、作家のランクや、作家と出版社との力関係は盗作問題と深くかかわっているのです。

 また、その時代によっても「盗作」か否かの尺度は変わります。というのも、日本に著作権・知的財産権の概念が浸透したのは比較的最近のことで、それ以前は人気作家がネタに行き詰まったり、構想を練る時間がない時に他人のテキストを“パクって”書くのは珍しいことではなかったのです。
 たとえば、井伏鱒二の名作『黒い雨』が、広島原爆の被爆者が記録した「重松日記」をほとんどリライトしただけと指摘されているのは有名ですし、森鴎外の史伝小説『渋江抽斎』が、抽斎の息子・渋江保の書いた『抽斎歿後』をはじめとする資料の丸写しに近いというのも知られています。これは、鴎外や井伏が悪いということではなく、当時はまだ著作権の意識がなかった、あるいは薄かったために、彼らの行為は「不正」ではなかったのです。

 しかし、今は著作権の意識がしっかりと根付いていますし、インターネットの発達によって人々の声が結集しやすくなったことで、「盗作」「盗用」の疑惑は生まれやすくなっています。では、現代は創作に関わる人にとって受難の時代なのでしょうか。
決してそんなことはありません。
 オリジナリティあふれる創作作品は今も生まれ続けていますし、「オマージュ」や「本歌取り」のような“上手な盗用”は創作を豊かにしてくれます。そもそも全ての創作は模倣、すなわち“マネすること”から始まっているのです。

 本書にはブログやSNSで誰でも気軽にコンテンツを発信でき、二次創作も盛んな今だからこそ読んでほしい、模倣の作法が詳しく書かれています。
 著作権がらみのトラブルに巻き込まれないためにも、創作に関わる人は一読をおすすめします。
(新刊JP編集部)



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