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作りものゆえの豊穣なリアリティ、ヴァンスを読む贅沢

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 新しいSFはつぎつぎと書かれていて先鋭的な話題作も生まれている。けれど古いSFもイイよねとエドモンド・ハミルトンやジャック・ウィリアムスンを読み返して、おおやっぱり面白いと喜んだりするのだけど、まあ古びているところはやっぱり古びている。それもコミの楽しさだ。しかし、奇跡的にまったく古びない作品があって、何が違うかというと、風化しようのない神話性(作品空間として完結するリアリティ)である。コードウェイナー・スミスが好例だ。そしてまた、ジャック・ヴァンスも。

『宇宙探偵マグナス・リドルフ』に収録された十篇の連作は、外形的には広義のスペースオペラだ。スペースオペラというと《キャプテン・フューチャー》などのヒーローものを思いうかべるかもしれないが、じつは正義とか平和とか大袈裟にふりかざさない、ちゃっかりやうっかりの主人公もけっこういる。たとえば、フランク・ベルナップ・ロングの《宇宙探偵ジョン・カーステアーズ》やアーサー・K・バーンズの《生け捕りカーライル》だ。これらが発表されたのはパルプ雑誌〈スリリング・ワンダー・ストーリーズ〉とその姉妹誌〈スタートリング・ストーリーズ〉で、《マグナス・リドルフ》も両誌がホームグランドである(ただし最後に発表された一篇だけは別な雑誌)。

 とはいえ、《カーステアーズ》や《カーライル》が基本的に第二次大戦前のスペースオペラ全盛期の作品なのに対し、《マグナス・リドルフ》が発表されたのは大戦後であり、スペースオペラはとうにその盛りをすぎていたし、〈スリリング・ワンダー〉も〈スタートリング〉も老いた恐竜のごとき状況だった。SFの主流はソフィスティケートされた作品を掲載するダイジェスト判雑誌へと移行し、大衆娯楽ではコミックブックが台頭していた。そんな状況のなか、ジャック・ヴァンスは独自の境地を切り拓いた。

 従来型のスペースオペラと圧倒的に異なるのは、描かれる世界の精彩だ。ヴァンスの解像度は現実的なもっともらしさへ寄せるのではなく、逆に作りものの質感を突きつめていく。こんにちではマンガでもアニメでも実写映画でもそうした世界像はあたりまえになっているが、ヴァンスはずっと先駆けている。しかも文章でやっているのだ。

 冒頭に収録された「ココドの戦士」は昆虫っぽいけれど知性のある住民が棲む惑星が舞台で、八十一の塁(とりで)のあいだで高度に様式化された戦闘が延々と繰り返されている。彼らは多産な種族であり、生物学的にみれば戦闘は人口調整の機能を果たしている。また文化的にみれば、社会意識や死生観とわかちがたく結びついている。地球人は彼らの風習が野蛮だとして強制的に—-塁を形成する植物の央幹を伐採するぞと脅かして—-やめさせようとしたがその措置は住民たちを無気力にしてしまうことがわかり、けっきょく放置するほかなかった。

 アーシュラ・K・ル・グィンやマイクル・ビショップの文化人類学SFを先取りした設定だが、ヴァンスの興味は異文化の内実にふれることでもそれと対照することで西欧的な価値観を揺るがすことでもなく、もっぱら風変わりな習俗をその背景となる景観ごと描きだすことにある。視点となる主人公マグナス・リドルフはまったく葛藤せず、ココドの文化をそういうものだと受けとっている。それは文化の多様性を認めるというものわかりによさとはちょっとちがっていて、自分にとってはどうでもよいことだからだ。

 この人物造型について、訳者の酒井昭伸さんはヴァンスに多大な影響を受けたジョージ・R・R・マーティンと比較し、こう指摘する。〔宇宙探偵マグナス・リドルフがアモラリストなのに対して、一見冷たい[マーティン作品の主人公]宇宙商人タフがモラリストである、内に葛藤と情熱を秘めている点にある〕

 そう、マグナス・リドルフにはいわゆる人間らしさ(文芸の言葉でいえばラウンド・キャラクター性)がない。黄金期からニューウェーブ、さらに70年代へ至る流れのなかでSFは人間らしい人物造型をもっぱら是とし、その規範に照らせばマグナス・リドルフは作られたキャラクターにすぎない。しかし、こんにちの目でみれば、そのキャラクター(作りものっぽさ)が作品世界とマッチして絶妙だ。

 宇宙探偵と題されているが、「盗人の王」という作品では「著名なフリーランスのトラブル処理人(シューター)」と紹介される。外見は温厚な白髪白鬚の老紳士で、初対面のひとに「教授先生か歯医者という感じですねか」といわれたり。知略にすぐれており、つねに一歩先二歩先を読み奇想天外な方法で敵の鼻を明かす。そのわりには、うまい投資話にたびたびひっかかって素寒貧になっているところがおかしい。窮しているところに面倒な依頼が舞いこんで、しぶしぶ引き受けるパターンが多い。読者は「またかよ!」とツッコミたくなるが、それも含めてこのシリーズの楽しさだろう。

 やはり「盗人の王」のなかでは、マグナス・リドルフ自身が地球のサハラ湖にあるトランという都市に住んでいると語っている。しかし、ほかのエピソードを読むと、宇宙のあちらこちらへ出かけている。長く仮住まいすることもしばしば。家族についてはいっさい言及がない。友人らしい友人はなく、事件のかかわりで協力する相手があってもあくまで一時的で、エピソードをまたいで相棒や部下のようなかかわりをもつことはない。そのくせ、仕事柄けっこう顔はきくらしく、必要な情報をうまくキャッチしたり顔パスでいけたりするときがある。ここらへんは物語の都合しだいってかんじなのだが、それがアリになってしまうところが良くできた作りものの力だ。

 物語はべったりしたドラマよりも、さばさばとしたゲームの風合いで、手のこんだギミックがこらされている。たとえば「ココドの戦士」では、ココドの文化の基盤である塁(とりで)争いを観光資源にしている地球人がいる。戦闘をギャンブルにして客を呼んでいるのだ。それを見かねた〈道徳的価値観保存機構〉の女性連盟委員会の書記が、マグナス・リドルフに依頼をしてきた。しかも、ギャンブルの胴元は、かつて投資話でマグナスに大損をさせた仇敵である。かくしてこの物語は、(1)異様なルールに基づいた戦闘、(2)エキゾチックなギャンブルの駆け引き、(3)宇宙規模での道徳的お節介の顛末、(4)因縁の敵とのコンゲーム(騙し合い)—-がひとつのプロットに乗っかっていく。それらがすべて鮮やかな結末に収束するのだから恐れ入る。しかも、スマートな皮肉というおまけつきで、すごく洒落てる。

 二番目に収められている「禁断のマッキンチ」はミステリの趣向。ここでもマグナス・リドルフは投資した広告ベンチャーの破綻で懐具合が冷えきっていて、気の進まない捜査を引きうけるしかなかった。赴いたスクレロット・プラネットはふたつの太陽が不調和な光を投げかけ、海はよどみ、岩塊を見秩序にばらまいた土地におんぼろ小屋がみじめな迷宮をなしている。住んでいるのはあちこちの惑星にいられなくなったはみだし者で、種族はバラバラだ。ここで平然と知性体殺しをし、暴利を貪っているマッキンチなる人物がいる。しかしその正体はまったくわからない。

 マグナス・リドルフは社会機能の要所を握る局長のだれかだろうと目星をつけて、捜査を開始する。郵便局長はムカデ種族、消防局長は人間、警察局長は両生類種族、清掃局長はエイに似た多触手種族、流通局長はアリ型種族、市長は黄色いウロコに覆われた狂躁的性質のダチョウ型種族。われらが探偵はコツコツと証拠を集めていくよりも、犯人の立場になって考えることで推理を進める。地球流の価値観ではなく、それぞれの種族の価値観に照らしあわせることで真犯人に到達しようというのだ。

 作品のフォーマットとしては素直なミステリだが、ヴァンスはひとりの犯人とその動機と犯行手段を隠すために、それ以外の容疑者のまちまちな生態や文化をこらしているわけで、いってしまえば無駄に手がこんでいる。謎解きよりもそちらの趣向が何倍も面白い。

 ヴァンスには深遠なテーマも先鋭的な表現性もない。しかし、細かく作りこまれた独特の設定と手のこんだ(しかしわかりやすい)展開、そして絶妙の抑揚がついた語り口が素晴らしい。じっくり読み、贅沢な気分になれる。

(牧眞司)

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