沖縄・小浜島のオバァに学ぶ、歳をとっても元気で暮らせる秘訣

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沖縄・小浜島のオバァに学ぶ、歳をとっても元気で暮らせる秘訣
沖縄・小浜島のオバァに学ぶ、歳をとっても元気で暮らせる秘訣

沖縄・石垣島から高速船で約30分。NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』で一躍有名になった「小浜島」がある。ここで暮らす平均年齢84歳のばあちゃん合唱団が国内外で注目を集めている。いつも笑顔で元気に歌って踊る、その姿に魅了される。なぜ、この島のオバァたちは、歳をとっても元気なのだろうか。その理由を探る。

80歳が合唱団の正式メンバーになる条件

「KBG84」。書き間違いではない。小浜島ばあちゃん合唱団。平均年齢84歳。略してKBG84だ。「天国に一番近いアイドル」がキャッチフレーズであるKBG84の正式メンバーになるには80歳以上であることが条件。80歳未満は研究生として活動を支える。島のオバァたちは、正式メンバーになれる80歳になるのを楽しみにしているのだ。

KBG84の活動は一過性のものでもなければ、イベントのときだけに借り出されるグループでもない。ごく日常的に集まっては歌や踊りのレッスンをしている。さらにいえば、小浜島にとどまらず、東京や大阪、札幌でもコンサートをするダンス&ヴォーカルユニットなのだ。

もともとは、島の高齢者が家に引きこもるのを防ぐために、発起人の花城キミさん(90歳)の一言ではじまった集まりだった。デイケアサービスの先駆けのような形のボランティア組織「うふだき会」がKBG84の前身。島でひとり暮らしをしている高齢者に声をかけ、食事会や茶飲み話をすることが当初の目的だった。でも、一番盛り上がったのは「初恋の話」だったという。いくつになっても、女性は恋話が元気の源なのかもしれない。

月に一度集まるうちに、昔の歌をみんなで歌ったり、歌が苦手な人は踊りを披露したりと、今の合唱団に繋がる活動をしていくようになったそうだ。

小浜島は、昔からの行事や伝統を大事にする島で、島の人は、みんな芸達者だ。若いころは、子育て、家事、農作業に追われていて、歌や踊りといった楽しみをする時間がなかった。それでも体が覚えている。ようやくすべてのものから解放されて、歌や踊りを楽しめるようになったのが今なわけで、練習にも熱が入る。80歳になってからの楽しさ、喜びを体全体で表現しているかのようだ。【画像1】KBG84の練習風景。東京公演を前に練習に励むが、ちょっとしたことで笑顔がこぼれ、笑い声が響く。赤のポロシャツは正式メンバー。研修生は青のポロシャツ。座る位置も年の順で決まっている。いくつになっても、年下が年上を敬うのは当たり前と、お茶を出す順番も間違えてはいけない(写真撮影:伊藤加奈子) 【画像1】KBG84の練習風景。東京公演を前に練習に励むが、ちょっとしたことで笑顔がこぼれ、笑い声が響く。赤のポロシャツは正式メンバー。研修生は青のポロシャツ。座る位置も年の順で決まっている。いくつになっても、年下が年上を敬うのは当たり前と、お茶を出す順番も間違えてはいけない(写真撮影:伊藤加奈子)【画像2】ボランティアでお昼のお弁当を用意する。島で採れた野菜を持ち寄り、煮つけにしたり、石垣島で買ったデザートを差し入れたりと、実に豪華なお弁当。この日はちょうど2カ月に一度の誕生日会。童心にかえったように全員でお祝いをする。年功序列はあるが、お誕生日会では、一人ひとりが主役(写真撮影:伊藤加奈子)

【画像2】ボランティアでお昼のお弁当を用意する。島で採れた野菜を持ち寄り、煮つけにしたり、石垣島で買ったデザートを差し入れたりと、実に豪華なお弁当。この日はちょうど2カ月に一度の誕生日会。童心にかえったように全員でお祝いをする。年功序列はあるが、お誕生日会では、一人ひとりが主役(写真撮影:伊藤加奈子)

97歳で初めて病院に行き、健康保険証を使う

合唱団のオバァたちは、「人生、80歳からが楽しいさあ」と言う。さらに驚くことに、「つらかった」と愚痴をこぼしたり、過去を振り返ったりはしない。「今、生きていることに感謝する。泣いていたら人は寄ってこない。だから笑顔で毎日を元気に暮らすことが一番」と口をそろえて言う。

当然、戦争を体験し、ツライ思いを抱えているはず。ましてや離島。戦後しばらくたっても、水道や電気は引かれることがなく、ないもの尽くし。現在では想像もつかないほど「不便」であったはずなのだ。それでも、つらかったとは言わない。【画像3】(左)最高齢97歳の山城ハルさん。ゲートボールが趣味。島のはずれにあるゲートボール場まで歩いて通う。ある大会で準優勝したというツワモノだ。(右)山城ハルさんとともにセンターをはる92歳の目仲(めなか)トミさん。普段は杖が欠かせないが、ひとたび音楽が流れはじめると杖を放り投げて踊りだす、合唱団一のムードメーカー(写真撮影:西 秀一郎)

【画像3】(左)最高齢97歳の山城ハルさん。ゲートボールが趣味。島のはずれにあるゲートボール場まで歩いて通う。ある大会で準優勝したというツワモノだ。(右)山城ハルさんとともにセンターをはる92歳の目仲(めなか)トミさん。普段は杖が欠かせないが、ひとたび音楽が流れはじめると杖を放り投げて踊りだす、合唱団一のムードメーカー(写真撮影:西 秀一郎)

合唱団で最高齢の山城ハルさん(97歳)は、こう話す。

「ないのが当たり前。ないならつくればいい。塩も味噌も酢もなんでも自分たちでつくる。米も麦もつくる。それができる島の自然に感謝するわけです。今は何でも手に入りますが、だからと言って贅沢したいとは思いません。贅沢ってなんだろうと思うのです」

山城さんをはじめ、島の人は薬草の見分け方も知っている。風邪をひいたら煎じて飲む薬草、熱が出たら氷枕がわりにする植物、あせもができたら塗る草花、と島に自生するもので大概の病気は治してきたそうだ。笑い話のようだが、山城さんは97歳にして、初めて病院にかかり健康保険証を使ったそうだ。

何も民間療法や沖縄独特の風習ということではない。今でいう「地産地消」。その地に合ったものをつくり、食べ、少々の病気なら昔から島にある薬草で治してしまう。先人が長寿であるわけだから、同じように生活して体に悪いはずがない。

合唱団でセンターを務める目仲トミさん(92歳)も「この年になっても、毎日食事は自分でつくります。足腰丈夫で歩けること、食べられることが、ありがたいのです。朝起きてから1日のやるべきことは決まっています。その繰り返し。長生きしていることは、人生のごほうびだと思うから、毎日笑い、いっぱい食べるんです」と話す。

歳をとっても元気なのは、自分がやるべきこと、役割があるから

600人ほどの小さな島。サトキビ畑が一面に広がり、放牧されている牛がのんびりと草を食んでいる。田園風景の島なのだが、集落は意外と密集していて隣家が近い。しかし、過剰な干渉はしないのが暗黙のルール。集まりに来なくなれば声をかけに行くし、何の用事がなくても「ゆんたく(沖縄の方言でおしゃべり。井戸端会議のようなもの)」に行くこともある。でも必要以上に口出ししたり、手伝ったりすることはない。

「島では1年の行事が決まっています。それぞれの家の役割があり、自分の役割もあります。その行事を滞りなく執り行うために、1年前から、1カ月前から準備をするのです。だから1日1日をきちんと過ごさないと、1年後の行事ができなくなってしまいます。自分の家のことで精一杯なんですね。でも、みんな頑張っているのが分かるから、だから自分も頑張れるんだと思います」と、世話役の嘉手川昭子さんが説明してくれた。

合唱団の知恵袋的な存在の白保夏子さん(84歳)は、こう話す。

「野菜を育てたり、織物を織ったり、味噌をつくったりと、みんなひと通りのことはできます。でも得意なことが違います。そのほうが足りないところを補ったりして、助け合うことができるからです。歌や踊りもそうです。それぞれが得意なことなら、自信をもってできるのです。みんな同じで違いがなければ、色とりどりの花を咲かせることはできません。違いがあるからこそ、きれいな花がたくさん咲いて、みんなが喜ぶんじゃないかしら」

白保さんは、合唱団で地方に遠征するときなどは、率先して新しいことにチャレンジする「若手」としての役割もある。旅先のホテルの部屋の使い方が分からなければ、やってみる。使い方が分かれば、みんなに伝える。「周りの人は心配しますけど、何事も勉強。この歳になっても知らないことに出合う、そんな機会を設けてもらっていることに、うれしいという気持ちしかありません」

発起人の花城キミさんが、歳をとってからの自分の役割について、語ってくれた。

「例えば、機織りにしても、昔は、糸を紡ぎ、染色し、機織りし、着物に仕立てる、これを全部ひとりでするんです。家族全員分を。でも歳をとったらできませんね。だから糸巻きまでして後輩に譲るとか、自分が今できることをすればいいんです。できないからやらないんじゃない。できるって決めたら、できるんです」【画像4】(左)小浜島は農業、漁業、畜産の島。あちらこちらで放牧中の黒牛に出合う。子どもたちは、仕事のために島を出てしまうので、ひとり暮らしの高齢者が多い。(右)島の西側からは、西表(いりおもて)島がすぐそばに見える。八重山の島々は、自然環境が異なるため同じ離島でも暮らしぶりは変わる。小浜島は真水が湧き出るため、昔から稲作も行われていた(写真撮影:伊藤加奈子) 【画像4】(左)小浜島は農業、漁業、畜産の島。あちらこちらで放牧中の黒牛に出合う。子どもたちは、仕事のために島を出てしまうので、ひとり暮らしの高齢者が多い。(右)島の西側からは、西表(いりおもて)島がすぐそばに見える。八重山の島々は、自然環境が異なるため同じ離島でも暮らしぶりは変わる。小浜島は真水が湧き出るため、昔から稲作も行われていた(写真撮影:伊藤加奈子)【画像5】島の中央を貫く、通称「シュガーロード」。両脇にはサトウキビ畑が広がる。「島の道路が舗装されたのは最近。車がない時代は歩いてどこまでも行きました」と山城ハルさんは言う。山城さんは、今でもゲートボールに歩いて通う健脚の持ち主(写真撮影:伊藤加奈子)

【画像5】島の中央を貫く、通称「シュガーロード」。両脇にはサトウキビ畑が広がる。「島の道路が舗装されたのは最近。車がない時代は歩いてどこまでも行きました」と山城ハルさんは言う。山城さんは、今でもゲートボールに歩いて通う健脚の持ち主(写真撮影:伊藤加奈子)

「KBG84」のプロデューサーでシンガーソングライターの、つちだきくおさんに話を聞いた。

「とにかく元気。その元気さと笑い声に圧倒されます。月1回集まっての練習をサポートしているうちに、いつの間にか、うふだき会の正規メンバーに登録され、今では会長にさせられてしまいました(笑)。東京や大阪、札幌などでコンサートをするようになったのは、何気なく、僕のライブで歌って踊ってみる?と聞いたのが最初。全員が行く!と即答。そのエネルギー、パワーはどこから湧いてくるの?と思いますよ。

彼女たちの元気の秘訣は、前向きさじゃないでしょうか。僕たちが知りえない苦難の過去があったに違いありませんが、今を生きる、毎日を笑顔で過ごす。これに尽きるんじゃないでしょうか」

どうしたら元気で生活してもらえるのか、高齢の家族を持つ人は、あれこれと悩んでしまう。しかし、手厚い介護があれば元気でいられるとは限らない。手を差し伸べられる程よい距離感を保ちながら、自立した生活が送れる「何か」が必要なのかもしれない。それは、特別なことではなく、仲間が集まり、おしゃべりし、歌い、踊り、たくさん食べること。そして笑顔でいることが最大の元気の秘訣なのではないだろうか。●取材協力

ザ・カンパニー

・KBG84(YouTube)●参考資料

・『笑顔で花を咲かせませしょう』(KBG84著・幻冬舎刊)
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