イチロー、落合、小久保を育てた名コーチは、なぜ最期に甲子園を目指したのか

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イチロー、落合、小久保を育てた名コーチは、なぜ最期に甲子園を目指したのか

春は野球の季節だ。甲子園では選抜高校野球大会が行われており、高校球児たちが熱い戦いを繰り広げている。また、3月25日にはプロ野球が開幕。ツイッターのトレンドワードにも野球関連のワードが次々と並ぶ。

野球の面白さの一つは、人間ドラマだ。選手だけではなく、コーチ、監督、裏方スタッフ、ファン…一人一人がドラマを持っている。

『甲子園への遺言 伝説のコーチ高畠導宏の生涯』(講談社刊)は、決して目立ちはしながいが、コーチとして幾多の名選手たちを育て上げ、晩年には甲子園を目指すため教員免許を取り、教師になった人物を追いかけた一冊だ。

◼︎落合、イチロー、小久保…名選手を育てた名コーチ

その人物は高畠導宏。選手としては代打の切り札として活躍。しかし、彼の真骨頂は打撃コーチとしての選手育成だ。彼が育てた選手を挙げるとビッグネームが並ぶ。

落合博満、西村徳文、飯田哲也、池山隆寛、山崎武司、小久保裕紀、イチロー、田口壮、サブロー…。約30年にわたり7球団で打撃コーチを務め、30人以上のタイトルホルダーを育てた。

しかし、50代半ばで「甲子園」を目指すため、5年かかりで教員免許を取得。筑紫台高校の社会科教師として教壇に上がる。しかし、夢なかばで病に倒れ、「余命6か月」のガン宣告を受ける。平成16年夏、膵臓癌で亡くなる。

◼︎「頑張れば何事もやれるということを伝えたい」

なぜ名コーチは高校教師になろうとしたのか。

もともとは選手たちの指導に生かすため、青年心理を学ぼうとしたのがきっかけだったという。いくら技術を取得しても、土壇場でその力を発揮できる選手とできない選手がいる。高畠氏は、自分の胸を指して「最後はここだよ」と、ハートの強さで決まることを周囲に話していた。

打撃コーチとして多忙を極めていた中、日本大学の通信教育学部に通い始め、この心理学の勉強はやがて「教育」そのものへの願望へ変わっていく。

そして、次第に「若い子たちに将来に向かって生きる力を与える。そんな存在を与える、そんな存在になりたい。頑張れば何事もやれるということを教えてやりたい」と思うようになっていき、「高校球児を指導して甲子園制覇を果たす」という夢が膨らんでいったという。

とはいえ、当時、日本ハムからオファーがかかっており、プロ野球か、高校野球か、高畠本人も悩んでいたという。家族、高校時代の恩師に相談した末に、平成15年4月、59歳の異色の新米教師が誕生するのだった。

◼︎50代でも夢や希望を持って挑戦できる

病ため、わずか1年余りの教員生活となってしまったが、多くの足跡を残した。高畠氏を慕い、スポーツ科学系列の生徒たちばかりでなく、スポーツとは無関係の文化系の生徒たちも、学校に割り当てられた高畠氏の部屋を訪ねたという。

50代。サラリーマンならば会社員生活も終盤となる年代であり、いろいろなことに諦めや疲労感を感じる世代かもしれない。しかし、夢や希望を持って、挑戦することは何歳でも遅くはない。高畠氏の生き方や情熱は多くの人に勇気を与えてくれるはずだ。

(新刊JP編集部)

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