「結局は双方の馴れ合いに終わった」――丸山健二の「怒れ、ニッポン!」第7回

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※撮影・丸山健二

 

怒れ、ニッポン!

反社会的な人種とは、また、国賊や反逆者とは、こうなることを予測しつつ、原発を推進させてきた連中ではないのか。電力会社、政治家、役人、学者、文化人、芸能人の一部。つまり、体制側の人間ではないのか。国家に対してこれほどの大被害と大損害を与え、国民を窮地に陥れながらの愛国者はない。

 

 

絶対に笑えない喜劇のような、いつもながらの新政府をどうしていつもながらの期待の目で見ようとするのか。今度は大丈夫そうだ、何とか頑張ってくれそうだというおめでたい感情は、果たしてどこから生まれてくるのか。もしかれらにそれだけの才覚があったなら、とうにその地位に就いていたはずだ。

 

 

政治家どもの常套手段である、単なる言葉の綾という小手先や、庶民の味方という見え透いた小芝居に、国民はなぜいつまでもひっかかりつづけるのか。無能なくせに権力欲だけは人一倍強いという、単なる目立ちたがり屋の愚か者たちにこうもあっさりと騙されつづけるのか。連中より愚かということか。

 

 

選挙民としての資格の基本は年齢などではない。人間を見る目を持っているかどうかという、ただその一点に限られるのだ。しかし現実はどうかというと、選挙に参加する九割九分、いや、それ以上が不適格者なのだ。安っぽい、幼稚なイメージを重要な尺度にしているか、薄汚い打算に振り回されている。

 

 

安心を他者に求めることは却って危険を招く。自分では何もしないくせに庇護してくれそうな者を当てにするという、非常に醜悪な体質を改めない限り、国民の代表者たちはこれまで通りの、やれもしないことを次から次へと口走るばかりの、そしてその地位から得られる余禄が目当ての連中のみとなる。

 

 

国家を食い物にしている人間の何と多いことか。かれらの目当ては税金でしかなく、それを直接、間接にどうやって自分のふところへころがりこませるかに明け暮れているのだ。世のため、人のためという言いぐさは、公金を堂々とくすねるための建前にすぎない。尤もらしい増税案の言い訳に騙されるな。

 

 

あの仕分けとやらはいったいどうなったのか。高があれしき程度でそれをやったつもりでいるのか。役人どもの牙城に切り込んでやったと自慢できるのか。結局は双方の馴れ合いに終わっただけではないか。本気で攻め込む器量も技量もなく、ありきたりなパフォーマンスを演じてみせ、あとは事もなしだ。

 

(つづく)

 

丸山健二氏プロフィール
1943 年 12 月 23 日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966 年「夏の流れ」で第 56 回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作とな るが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。Twitter:@maruyamakenji

 

※原稿は丸山健二氏によるツイートより
この記事は「丸山健二×ガジェット通信」からの転載です。

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