絶望と希望:南三陸町のレポート(早稲田大学大学院専任講師 西條剛央)

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南三陸町のレポート

※この原稿は西條剛央氏よりご寄稿いただいたものです。
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●絶望と希望:南三陸町のレポート
(早稲田大学大学院専任講師 西條剛央)

最初に告知させてください。

【拡散希望】物資が届かない末端の避難所に届けます。ふんばろう南三陸プロジェクト第1弾。 2011年4月2日版
http://t.co/26lYeEy

(4月1日昼過ぎ出発前)

昨日支援物資を送ってくださった皆様、今荷物届きました!(ゆうパック)。これから必要としているところに責任もって届けてきます。

南三陸町志津川。文字通り壊滅している。

南三陸町志津川

(以下4月1日帰宅後深夜)

今日は絶望と希望の一日だった。

南三陸町志津川は、見渡す限り壊滅していた。

聞くのと見るのでは違うだろうと思っていたけど、これほどまで違うとはおもわなかった。?

残った鉄筋の建物に入っていくと、瓦礫に埋め込まれた廃墟には何ともいえない臭いが。そしてキン肉マンなどの子どものオモチャやの数々。開いた冷蔵庫からトウモロコシとマヨネーズがみえる。

おもちゃの車

これだけ海岸に近ければ逃げていますよね、逃げていると思いたいですね、北川さんといっていたが、違う階段から下に下りるとある表示から初めて病院だったことがわかった。

瓦礫の地面の下に床がある。そこらじゅう何もないところだと思っていたところには家があったのだ。思い出が詰まったビデオテープが散乱している。幸せそうな結婚式のアルバムが落ちている。それを見たときは本当に胸が苦しくなった。

魚屋さん

しかしそうした中、松前さんが地元の有志の魚屋さんと知り合いになり、孤立していて物資が行き渡っていない避難所を案内してくれることに。これほどひとをつなぐ力がある人には会ったことがないと思っていたが、僕らが最も必要としている人とつなげてくれた。松前さんは人をつなぐ天才だと思う。

そのひとは三浦さんという人で、すべて白黒の廃墟の中で、唯一カラーで未来が語られていた。鉄骨と瓦礫の建物の前に「ふんばろう!力をあわせて一歩ずつ。南三陸町」という看板が。魚屋さんを南三陸町で一番早く再開するのだそう。

僕らが思っていたように、メジャーな避難所には物が溢れているが、孤立している避難所はまだまだあり、そこにはまったく物が行き渡っていない。用意したものの多くは初めて手に入りましたと、とても喜ばれた。

サンタクロース作戦と思って、子どもが喜びそうなオモチャや雑貨を350点ほど用意していった。子ども達がほんとうに嬉しそうにはしゃいでいる姿をみて、すべての疲れがふっとんだ。しゃぼんだまが空を舞っていた。

おもちゃのプレゼントに喜ぶ子供たち

大人が最も目を輝かせたのはお酒だった。しかし少なすぎた。十倍は持って行くべきだったと思ったが、今後集めればよいだろう。不自由極まりない避難所において、お酒やたばこは必需品だ。しかし被災者はそういうものを要求してはいけないと思って、いえないんです、といっていた。

本当に物資を必要としている避難所とネットワークを作ることができたので、必要な物を必要な分、もっとも効率的に配ることができるつながりをつくることができた。これを活かしてかなりのことができると思う。

送ってくれたすべての支援物資は、本当に必要とする人に、すべて行き渡りました。あらためて感謝申し上げます。

南三陸町の6箇所の被災地に支援物資を配ることができた。すべて配り終わったとき、ある初老の人が語り始めた。テレビでも聞いたことがない凄まじい話だった。

経験したことがないとんでもない揺れがきた後に、潮が2kmは引いて海が無くなったらしい。これはただごとじゃないと思って高台に逃げたが、まさかここまではこないだろうと思っていた、相当上の人が多く亡くなったといっていた。上流の人が亡くなった人の3/4を占めたらしい。

「上流の道路のさらに上にある高架橋上の線路の上に船が流れているのをみた。線路が18m以上あるから悠に20mを超える津波がきた」と。

しかもその後も潮が引くことなかったとのこと。そしてその夜中の12時を過ぎたとき、すでに海抜20m以上になっている状態に津波の上に第二波の大津波が覆い被さってきて、かろうじてしがみついていた人をすべて飲み込んだという。

しかもその夜は大雪が降って、高台の逃れたのはいいが津波の難を逃れた人達は、どこにも行く場所もなく道路の上で朝を迎えたとのこと。着る服もなにもなく、雪降る東北で一夜を明かすなどということは考えられない。あれは本当に辛かったといっていた。

ある小学校では地震が止んだからということで、小学3年生以下の子どもをすべて家に帰したらしい。そして津波に全員襲われて死んでしまったとのこと。保護者はそれを痛烈に抗議したらしいが、ニュースにすらなっていない。そのうち必ず問題になる、とその人はいっていた。

小学校の屋上から

保険に1000万の掛け金をしていたのに、農協500万、漁協にいたっては250万しかもらえないとのこと。事情があるのだろうが酷すぎる。彼らは全てを失っているのだ。国がなんとかしてあげるしかない。

このタイミングで若林区に住んでいる大学の後輩から電話があって1時間話した。ご両親が南三陸町とのこと。そして御祖父母は津波で亡くなられたという話。海岸地域で安全に暮らせる名案があるのでそれを伝えた。それは海岸の未来都市の原型になるようなモデルだ。

今回南三陸町から松島までずっと海外線を辿ってきてわかったことは、あるラインから明暗がはっきり分かれていること。連続的変化ではなく、1 or 0の質的変化。壊滅か平穏か。

圧倒的すぎる破壊力を目の前にして、自然を「防ぐ」「受けきる」という方法は根本的に機能しないということがわかった。

何しろ車はどちらが上か前かわからないぐらいにぐちゃぐちゃになっている。スクラップ工場でぺちゃんこにされたようになっている。

だから、人も首や手足のもげた死体ばかりとのこと。自衛隊が海に潜った途端、そこには車や船、家、そしてそうしたおびただしい死体があったためにすぐに引き上げてきたらしい。酷すぎるけどもそれが現実(だからここに書いている)。

あれを防ぐのは圧倒的に無理だということが体感的にわかった。アリが鯨を防げないのと同じ。波動法を紙で防ぐのと同じぐらい無理。

巨大津波に対しては防ぐという水際防止策は機能しない。何しろ防波堤そのものが破壊されている。

仙台の市街地は何事もなかったかのように平和。東京と同じようなものだ。その他にも津波にあっていないところは平穏なのだが、現地に入ると、あるポイントから突然圧倒的な惨状になる。

そして道路を走り続けるのだが、何十メートルか高い地点になると何も起こっていない。そして少し下ると滅茶苦茶にやられている。

しかし人々は便利なところで暮らす。すなわち海に近い、川の近くで暮らす。そこがすべて破壊された。

皮肉なことに、山の斜面に作られたお墓だけが残っているところを何カ所もみた。

市街地に入ると、ひたすら破壊し尽くされた風景が目の前に広がっていく。それはあるポイントが、とかではない。道路を走り続けるのだが、左右すべて絨毯爆撃にでもあったかのように、破壊し尽くされているのだ。

電信柱だけが真新しいが、それは震災以後に立てたものなのだ。もともとの電信柱は割り箸か針金かのように、折れて、たたまれて、転がっている。

御両親が南三陸町出身の大学の後輩は、昨夜泣きながらずっと話してくれた(若林区で育ったのだがそこも海岸の方は壊滅。僕の伯父さんも若林区で依然行方不明だ)。彼女は南三陸の土地を受け継いでいく立場にあること。南三陸町では半分以上の人が死んだとのこと。

「残りの人の多くはここには住みたくないといっています。どうすればよいでしょうか」と。僕は「大丈夫。そこにも安全に住める名案がある」と伝えた。

それはシンプルな方法だ。まず鉄筋を中に通した20メートルぐらいの土塁を作る。城の石垣のようなイメージだ。その上にマンションを建てる。しかも形は菱形の角を丸くしたような細長い流線型で海に先端を向けて建てる(引き潮にも対応するためだ)。

今回わかったことは、とにかく高さがすべてということ。津波は防げないということ。だから建物の土台を高くして、その上に流線型の建物を建てることで、万が一津波が届いても、それをいなすような形にすればよい。

もちろん津波が届くと考えられる部分は外から船などがぶつかってきても大丈夫なように強化して、防災対策も万全にする。

そういうマンションを一定の間隔に建てる。下の階は居住区ではなく、アスレチッククラブとか生命線ではない階にする。津波警報が出たら、近くのマンションに駆け込めるようにする。

こうすれば海岸線に住み続けることができるから大丈夫だよ、それは復興事業として国に建ててもらおう、俺もそういう考えを広げていくから、やれることをやっていこうと後輩に話した。みんな本当は故郷に住みたいのだ。

海岸に向けて、細長い流線型のマンションが並んでいる。それが近未来の津波防災都市のモデルだ。それが世界の防災都市の見本になるだろう。僕らはそうなるようにしなければならない。そうしなければ亡くなった何万人という人が浮かばれない。

——
(早稲田大学大学院専任講師 西條剛央)

※この原稿は西條剛央氏よりご寄稿いただいたものです。


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絶望と希望:南三陸町のレポート – 西條剛央のブログ:構造構成主義
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Togetter – 「西條剛央による津波主被災地支援のコツ」
http://togetter.com/li/119086

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