Salyu 「話したいあなたと」第三回:長岡亮介(ペトロールズ)

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Salyuの対談企画「話したいあなたと」。第3回のお相手は、ペトロールズのフロントマンである長岡亮介。3月の雨の日。世田谷の梅ヶ丘で実施したとても自由で和やかな撮影の最後にたどり着いたのは、とある串揚げ屋だった。2人は一献を傾けながら互いの音楽観を語り合った。

——こうしてちゃんと会話をするのは初めてですか?

Salyu「かれこれ10年くらい前に一度だけご挨拶させていただいたことがあって」

長岡「ROCK IN JAPAN FESに遊びに行ったときに」

Salyu「あのフェスにはそんなに出演したことってないんだけど、そのときに番場(秀一)監督という私も含めていろんなアーティストのミュージックビデオを手がけてる映像ディレクターがいらしていて。番場さんが紹介してくれたんですよね。それ以来ですね」

長岡「最初に会ったときはもっと日焼けしていた印象がある(笑)」

Salyu「日焼けは毎年夏にしていて(笑)。UVを塗らないから」

長岡「ステージ衣装で頭に羽根をつけていて。あのときは少女のようだなと思ったんだけど、もうすっかりオトナですね」

Salyu「あははははは。当時はもっとツンツンしてたかもしれない(笑)」

長岡「そうかも(笑)」

Salyu「容姿は丸くてコロコロしてたんですけどね」

——確かにSalyuさんはある時期からすごく細くなりましたよね。ミュージックビデオを観ても今と全然違う。

Salyu「体重のピークは『TOWER』というシングルのときですね。ことごとくダイエットに失敗して。でも、不思議なことに『もうやめてやる!』ってダイエットをやめた途端に自然とどんどん痩せていったんですよ」

長岡「そうなんだ」

Salyu「あまりにもどんどん細くなるから周りも病気になったんじゃないかって心配するんだけど、好きなときに好きなだけ食べる、食べたくないときは食べないという生活にしたら自然と身体が小さくなっていった(笑)」

——当然、声にも影響があったと思うんですけど。

長岡「それはあるよね」

Salyu「すごくありましたね。丸かったときは『あ』って言うだけでも声が太いんですよ。今、『TOWER』や『プラットホーム』の音源を聴いたら自分でもリッチな声だなって思う(笑)。言い換えれば、今よりポップじゃなかった。今のほうがポップなコントロールができてると思いますね。それがいいか悪いかは別にして」

長岡「声量は?」

Salyu「声量は体重の増減ではあまり変わらないんだけど、年齢とともに声の筋肉が落ちてるなと思うから最近は意識的に気をつけるようにしてますね。そうしないと瞬発力がなくなるし、ピッチもどんどん悪くなってしまう。結局、声量で大事なのは喉の筋肉なんですよね」

長岡「なるほど。こういうプロ意識はさすがだなって思う」

 

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——話は前後するけど、ドラマーの伊藤大地さんやギタリストの名越由貴夫さんなど共通のミュージシャン仲間が多いから、2人が10年も会ってないのも意外ではあるんですけどね。

長岡「確かに」

——Salyuさんはミュージシャンとしての長岡さんにどんな印象を持ってますか?

Salyu「高性能なプレイヤーだなと思います。パッと見は硬派で寡黙な印象があるんですけど、こうして実際にお話するとすごく人間味がある方なんだなとも思うし」

長岡「人間がいいかげんなんです」

Salyu「いやいや(笑)。サポートも数多くされてますけど、ペトロールズでは歌ってるじゃないですか。その声がすごく素敵だなと思います。あと、さっき撮影しながら話してるときに『この前、眼鏡屋さんでライブしたんですよ』って言っていて。『この人は絶対におもしろい人だ!』って確信しました(笑)」

長岡「あはははは」

Salyu「眼鏡屋さんというのがギタリストっぽいなって。だって眼鏡って一種のエフェクトじゃないですか」

長岡「おおっ、なるほど」

Salyu「そんなことは意識してないかもしれないけど、長岡さんが自然にそうやって心地いい空間と仲間を引き寄せて本質的に音楽と向き合ってるんだなって思う」

長岡「そう思ってもらえてうれしいですよ」

Salyu「ペトロールズとサポートではテンションが違うと思うんですけど、今日はそういう話も聞いてみたかったんですよね。自分のバンドをやり始めた経緯とか」

——長岡さんが本格的に楽曲を作り始めたのはペトロールが最初なんですよね。

長岡「そう」

Salyu「そうなんだ」

——ペトロールズは今年で結成10周年なので、ちょうど10年前ですよね。

長岡「うん。当時は自分の書く曲がどうとか、自分がどういう演奏しているか俯瞰で出来ていなかったから、ただ漠然とこうしたいというイメージだけがあって。だから、今、当時作った曲を聴くとちょっと恥ずかしい」

——それでも自分でアウトプットしてみたいと思って曲を作り始めた。

長岡「そう。自分の音楽を1から10まで自分自身で組み立てなきゃダメだなと思って」

Salyu「その思いに至るまでにさまざまなことがあったと思うんですけど」

長岡「当時、自分がすごくカッコいいと思う人がいて。KATOKUNNLEEという人なんだけど。その人はサンプリングや打ち込みでトラックを作っていて。シンプルなループ感があるんだけど、それをポップに仕上げてたんだよね。天才だと思ったし、このセンスには敵わないなと。当時は自分で曲を作ってなかったから余計にそう思って。当時からサポートでいろんな現場を踏んではいたけど、やっぱり100%自分にフィットする音楽はないから。結局は誰かの音楽なわけで。あとは、半年くらい留学したのも大きかったかな」

Salyu「へえ! それはいつごろですか?」

長岡「25、6(歳)のときかな」

Salyu「どこに?」

長岡「イギリスに行ったんです。ロンドン。ざっくりと作ったデモ音源をしのばせて行ったの。それで最初に通っていた語学学校にポーランドの女の子がいて、その子はソニック・ユースが大好きで。『私のいとこがバンドや音楽業界の関係者がよく来るパブでバイトしてるの』って言うのね。そこはカムデンという日本で言う原宿のような若者の街で。で、そのいとこの子が言うには、店にはオアシスとかのエージェントをやってる人もよく来ると。そのエージェントの人がいとこの子に『何か面白い音楽ない?』って訊かれたときに『わたしのいとこの友だちが日本人でロックっぽい音楽をやってるよ』って言ってくれたんだって。そしたらエージェントの人が『英語の音楽はもう飽きてるし、新しい音楽に出会いたいからすごく興味がある』って言ってたらしくて」

Salyu「へえ」

長岡「俺はその話に食いついたりはしなかったんだけど、そうなんだと思って。そもそもは本場を見るような感覚でイギリスに行ったんだけど、現地の人がそういうことを言ってるなら、自分は日本人だからこそできる音楽を作ればいいんだなって思えて。そう思ったら気がラクになったんだよね。それで自由に曲を作ってみようと思って」

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——そのとき持ってたデモは音楽的にはどういう感じだったの?

長岡「初期のペトロールズみたいな感じかな」

——今よりロックっぽいというか。

長岡「そう。もっとごちゃごちゃしていて。そこから徐々に自分がやりたいことはロックではないんだなと気づいて、ロック色が薄まっていくんだけど」

Salyu「そんなことがあったんですね」

——Salyuさんは留学経験ってありますか?

Salyu「私はね、留学しかけたことがあったんですけど、結局行かなかったんですよ」

——それはいつごろ?

Salyu「Lily Chou-Chouの活動をやる直前ですね。当時はまだ学生で、語学留学するための書類も全部書き終えたときにLily Chou-Chouのプロジェクトが始まっちゃったんですよ。事務所からも『行かないでほしい』って言われちゃって。だから私は今、長岡さんの話を聞きながらドキドキしてしまった。あのとき行けなかったという心残りがどこかにあるから。もうすぐ35歳になりますけど、今でも留学したいという思いもある。日本とは違う文化を体感している人と話がしてみたいなって。異文化を通して自分の国の文化や生活の良し悪しがわかるところもきっとあると思うから。シンガーとしての活動が始まってから海外レコーディングをしたりとか、いろんな国に行かせてもらいましたけど、留学ではないから。何かを学びに行く志しのもとに海外に行くことにずっと憧れてるんですよね」

長岡「でも、Salyuさんは帰国子女っぽい雰囲気があるよね」

——うん、ある。

Salyu「それは私の母のバックグラウンドが影響してるのかも。私の母はサンディエゴにいる実母の姉——つまり叔母のところに養子に行ったんです。だから、私も小さいころから食卓でも日本語と英語が混ざった言葉で注意されたりして。『ストップ! スプラッシュしてしまうからやめなさい』みたいな(笑)。それを聞いて私とお兄ちゃんはよくわからなくて大笑いしたりして。そういう母の感覚を私も引き継いでるのかもしれない」

長岡「そういう環境なら余計に留学してみたかっただろうし」

Salyu「そう」

長岡「どこの国に留学しようとしてたんですか?」

Salyu「それがね、イギリスなんですよ」

長岡「ああ、そうなんだ」

Salyu「だから長岡さんの話を聞きながらすごくドキドキした。これも何かのご縁だなとも思ったし。一度ちゃんと海外に行くなら早いほうがいいと思うし、これからどこで何を学んでいくことを優先すればいいか、今も葛藤してますね」

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——今年の1月にsalyu × salyuでオーストラリアツアーを回ったんですよね。

Salyu「うん。そのときに感じたことは、長岡さんがおっしゃったように、日本で培った文化をそのまま運べばいいんだということだったんですよ。もちろん、ポップスというものは西洋で生まれたものだから、その要素を大切にしながら学び続けていかなければいけない部分もあるんだけど、それでも日本人だからこそできる音楽表現というものが必ずあるんだなって。ポップスにおける学ぶべきコンテクストってあるんだけど、その最先端を作る権利は誰にでもあって」

長岡「うん、そう思う」

Salyu「salyu × salyuの音楽性って、歌だけではなくすべての楽器演奏者がものすごく気を遣わなければいけないんですね。ビートの打点が重なっては成立しない音楽だし。それがズレたらホントにどうしようもないものになってしまう。その緊張感や神経質な感じを日本人らしいまじめさをもって追求できることがあるなって思った」

——音の侘び寂びであり。

Salyu「そうそう」

長岡「でも、Salyuさんはあのとき留学してなくても大成していたと思いますよ」

Salyu「いやいや(笑)。ただ、あのとき留学していたらSalyuとしてデビューしてなかったと思う。Salyuとしてデビューしたから海外レコーディングなども経験できたと思うし」

——長岡さんも4月に台湾でソロライブをやるんですよ。

長岡「そう、弾き語りで」

Salyu「私も6月に台湾でライブするんですよ! 同じ時期に行けたらおもしろかったのに。残念」

——ペトロールズでは海外のライブ経験ってないですよね?

長岡「うん、ないです」

——じゃあ海外でライブするのは——。

長岡「その留学の時にソーホーのパブでギターを弾かせてもらったの以来かな? あ、illionで行ってるか」

——そうだ。2年前にRADWIMPSのフロントマン、野田洋次郎くんのソロプロジェクトのサポートでロンドンとハンブルクに行ってましたね。あのときはどうでしたか?

長岡「PAもローディーも、スタッフがほぼ全員現地の人で。みんなナチュラルに音楽に接してるのがすごくよかったという思い出がありますね。そのライブのときのドラムはmouse on the keysの川崎(昭)さんという人だったんだけど、彼らは海外でたくさんライブをしていて、そのときもシンガポールからロンドンに来てた。彼と話してると海外でライブをやるということに凄く興味が湧く」

——長岡さんの独創的なギターフレーズは、ルーツにカントリーやブルーグラスがあって、そこからさまざまなジャンルと交わりながら育まれたと思うんだけど。

長岡「うん、そうだね」

——今も不定期で赤坂のカントリーミュージックのお店で食事をするお客さんの前で箱バンのメンバーとしてカントリーを演奏してるにも、常に自分のルーツを確認できるという意味でも大きいですよね。

長岡「そうだと思う」

Salyu「私、それ観に行きたい!」

長岡「本場のカントリーが聴ける感じではないんだけど、カントリーを咀嚼した日本みたいな感じで。食事してるお客さんの前で演奏して、一緒に歌って帰るみたいな。そういう場所です。今でも月1回以上はシフトで入ってます」

Salyu「ぜひ行きたいです」

長岡「おもしろいのは自分のバンドでもサポートでもツアー中にあそこにポンと出ると全然弾けないんですよ。感覚が違うから。ツアーは決められたフレーズをきれいに弾かなきゃいけないから。まあ、それもあんまりできないんだけど(笑)。でも、赤坂でカントリーをやるときはその場でパッと弾くのね。感覚が全然違うんだよね。1日3ステージあるんだけど、3ステージ目の後半くらいにだんだん感覚が戻ってくる。そのころにはだいたい自分も酔っぱらってるんだけど(笑)」

——それがまたいいんだよね。酔っぱらいながら自分本来のチューニングに戻していくというか。

長岡「そういう音楽もあるという感じで。常連さんには『その服はなんだ? パジャマかよ』とか言われながら(笑)」

Salyu「あはははは。それくらいホームなんですね」

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——でも、長岡さんの不思議なところはフレーズがこれほど独創的なのにこれだけいろんなタイプのアーティストのサポートにも呼ばれるというところで。

長岡「俺もホントにそれはよくわからなくて」

Salyu「生意気な言い方になりますけど、何があっても対処できるという自信が漲ってるからじゃないですか? サウンドを聴いてそう感じます。バンドでもサポートでもそのルールに則って音を刻んでるんだけど、そこに表れる長岡さん独特のグルーヴがあるんだと思うんですよね。それをアドリブ的と言うのかもしれないし。それを感じずにはいられないプレイだなって思います。リスナーとしてはそこがうれしいんだろうなって」

——だからサポートという言い方にも違和感を覚える。

Salyu「そう、きっともうその言い方が古いよね。人柄も大事だけど、プレイに魅力があって呼ばれてるんだから。ドラムにしたって同じ8ビートでもみんな出る音はそれぞれ違うわけで。そこにその人ならではの音楽が漲ってる」

——基本的にどの現場でも自由に弾いてるイメージがあるしね。

長岡「確かにそうですね」

Salyu「そういう現場しか引き受けないからなんですか?」

長岡「そもそも声がかからない。自由に弾かせてもらえる現場以外ではめんどくさいやつって思われてるんだと思う(笑)」

——そんなことはないと思うけど。Salyuさんはメンバーにどんな要望を言ったりするんですか?

長岡「『ちゃんとやんなさいよ』みたいな?(笑)」

Salyu「いやいや(笑)。基本的には小林武史さんというプロデューサーでありバンマスにお任せしてるので、私が『こうしてほしい』と言うことはないですね。ただ音楽的に感じることはもちろんあるから、それをみんなと話すことはありますけどね。たとえばリズム隊の組み合わせでバンド全体のグルーヴも私が歌うべきラインも変わってくるから。それによって『次のステージはこうしたいからこの人とやりたい』という要望は言うけど、現場でこうしてああしてと言うことはないですね。ツアーに入ったら私は自分の歌のことしか考えないので」

長岡「土台がしっかりしてるから、あとは自分がどう表現するかという」

Salyu「そうそう」

長岡「誰に向けて歌ってます? ヤな質問かもしれないけど(笑)」

Salyu「私は自分のなかに潜む“最高の素人”に対して歌ってる感じがありますね」

長岡「最高の素人?」

Salyu「そう。決して耳のいいオーディエンスではない、でもすごく音楽が好きな私のなかにある最高に一般的な感覚を持ってる人。これね、実は今日の朝、お風呂に入ってるときに思ったことなんですよ」

——長岡さんはどうですか?

長岡「俺はよくわかんない。だから訊いたの」

——この前、僕が主催したイベントに長岡さんに出演してもらったときにMCで「音楽は隣で寄り添ってくれるような存在であってほしい」と言っていて。それがすごく印象的だった。

長岡「なんかね、余地とか余白がほしいんだよね。今日の撮影にかこつければ、桜じゃなくて、梅でいいんですよ」

Salyu「あはははは。桜は主張が強いから」

長岡「そうそう。桜を見ると『うわー、すげえ!』みたいな感じになるでしょ。俺はそういう音楽を聴いてると疲れちゃうから。『おまえに言われたくないよ』っていう説教くさい音楽もあるでしょ。『そんなことわかってるよ』みたいな」

Salyu「なるほどね。長岡さんらしい発想だなって思う。私もね、音楽のなかで言葉だけを伝えたいんだったら、その人は最高の小説や最高の詩集を書けばいいと思う」

長岡「そうだね。言葉がなくても音が饒舌な音楽ってあるし。俺がやってる音楽も言葉が饒舌ではないと思うんだよね。音もそんなに語ってないと思う。でも、それが合わさったときにちょうどいいものになればいいなと思っていて。だから結論めいたことは音楽で言いたくない」

——この対談連載では毎回言ってるけど、Salyuさんと長岡さんにもいつかセッションしてほしいですね。

Salyu「やってみたい!」

長岡「やってみたら怒られちゃうかも(笑)」

Salyu「そんなことないですよ。私の曲はピアノから生まれるものが多いんですけど、だからギター&ボーカルという存在にすごく憧れがあって。ピアノが生み出す次元とギターと生み出す次元ってやっぱり違うと思うから。そこに対して必要なボーカルも違うだろうし。その違いをすごく知りたい。ペトロールズの『雨』という曲を聴いて、これはギターでなければ生まれない歌だなと思った」

長岡「『雨』はね——これ言うと話が台なしになっちゃうからやめとこう(笑)」

Salyu 「知りたいから言ってください(笑)」

長岡「いやね、あの曲はビヨンセを思い浮かべながら作ったんだよね(笑)」

Salyu「そうなんだ!(笑)」

——長岡さんは「ペトロールズはビルボートのヒットチャートに上がってるような曲を3ピースバンドで鳴らしてるような感覚がある」と言っていて。

長岡「そう。曲を作ってるときの出発点のイメージはそういう感じなんだけど、メンバーと曲を共有するとどんどん乖離していくんだよね。それがトリオの妙というか。せっかくバンドをやってるんだし、自分がイメージしたものをそのまま出してもおもしろくないんだよね」

Salyu「なるほど。長岡さんのことをもっと知るために赤坂のお店に行きたいですね」

長岡「でも、そんなに音楽的な現場じゃないよ。チューナーの針が見えなくなるくらい酔っぱらってるから(笑)。お時間があるときに遊びに来てください」

Salyu「ぜひ!」

 

撮影 依田純子/photo  Junko Yoda

文 三宅正一/text  Shoichi Miyake

 

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Salyu

2000年、Lily Chou-Chouとして2枚のシングルと1枚のアルバムをリリースする。2004年、小林武史プロデュースのもとSalyuとしてデビュー。以降17枚のシングル、4枚のアルバム、1枚のベストアルバムをリリース。2011年には、「salyu × salyu」として小山田圭吾との共同プロデュース作品「s(o)un(d)beams」を発表し、数多くの海外フェス出演により国外でも注目される。2013年には「攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Paina」のED曲を担当し、大きな反響を呼ぶ。2014年はSalyuとしてデビュー10周年を迎え、リリースやライブなど精力的に活動。今年4月22日には5枚目となるオリジナルアルバムのリリースが5月5日からは全国ツアーが決定している。

http://www.salyu.jp

 

長岡 亮介(ながおか・りょうすけ)|1978年生まれ

神出鬼没の音楽家。ギタリストとしての活動の他に楽曲提供、プロデュースなど活動は多岐にわたる。 「ペトロールズ」の歌とギター担当。

http://nagaokaryosuke.com (ペトロールズ:http://www.petrolz.jp)

 

 

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