蓮丈那智が帰ってきた! シリーズ幻の続篇『天鬼越』
蓮丈那智が帰ってきた!
この一言だけで胸に熱いものがこみ上げてくる。
異端の民俗学者・蓮丈那智は、ミステリー作家・北森鴻が連作〈蓮丈那智フィールドファイル〉で登場させたキャラクターだ。
東敬大学に研究室を持つ彼女は、怜悧な頭脳と美貌とを備え持つ(加えて言うならば、いくら飲んでも酔うことがない鉄の肝臓も)人物であるが、あまりに優秀であるがゆえか、他人からは言動を誤解されることも多い。それゆえアカデミズムの世界では異端者の扱いを受けているのである。彼女と、助手である内藤三國がフィールドワークに訪れると、行く先々で殺人事件などの変事が起きる。奇妙なことにそれらの事件は、蓮丈那智が研究の対象にしていた民俗行事や伝承と深層で関わりを持つことが多いのである。かくして学者は、自らが持つ民俗学や人類学の知識を動員して、謎に立ち向かうことになる。
以上がこのシリーズの骨子となる設定である。連作短篇集『凶笑面』『触身仏』『写楽・考』を発表した後、北森は初の長篇作品となる『鏡連殺』の連載に入ったが、病を得て2010年1月に急逝してしまう。その後作品は、北森の公私にわたるパートナーであった浅野里沙子の手によって完成され、『邪馬台』と改題の上刊行されたのである(以上すべて新潮文庫)。全4冊、民俗学と謎解き興味の完全な融合という、日本ミステリー史に残る名シリーズでありながら、その作品数はあまりに少なかった。そこに幻の続篇が現れたのだ。これが喜ばずにおられるものか。
新作『天鬼越』には、北森が生前に発表した2短篇「鬼無里」「奇偶論」と、遺されたプロットを元にした短篇「天鬼越」、そして浅野がシリーズを書き継いだ「祀人形」「補堕落」「偽蜃絵」の3篇が収録されている。こうした形で埋れていた作品が陽の目を見たことを読者として祝福したい。
巻頭の「鬼無里」は、長年の無沙汰を詫びるような書き出しで始まるような作品だ。
『閉村のお報せ。平成十七年一月一日より鬼無里村は長野市になります』
そんなメッセージが、内藤三國と蓮丈那智のメールアドレスへと送られてきた。鬼無里とは、かつて2人が調査のために訪れたことのある東北地方のある村落だ。そこには鬼哭念仏という年中行事が伝えられていた。年に一度鬼哭様が山から郷に下りてきて村中を練り歩くという行事の形態は、もちろん秋田県のナマハゲ行事に酷似している。奇妙なのは鬼の面をかぶった者が唱える言葉で、念仏はおろかいかなる経文にも似ていないのである。調査のため現地を訪れた那智は、祭具を見るなり「面は面だが、これは面ではない気がする」との謎の言葉を呟いた。
この鬼無里調査の間に殺人事件が起きるのだ。北森は心憎いほどの巧妙なやり方で謎解きのヒントを出す作家で、〈蓮丈那智フィールドファイル〉シリーズでは、蓮丈那智が調査とは関係ないところで吐いた言葉や、行動などがその役割を帯びていることがある。本篇の場合は、那智が学生に出した「銭形平次はなにゆえ神田明神下に居住しなければならなかったか。伝承民俗学の手法を用いて、これを説明せよ」というレポート課題が、鬼哭念仏の謎を解くために必要なある視点を呈示するために与えられているのである。短篇構造のこの巧さ、痒いところに手が届くような気配りが、北森鴻最大の魅力であった。人生50年にも満たないところで彼が天に召されてしまったことを今さらながら悔やむ。技巧の名手であると同時に情の人でもあり、その作品は確かなヒューマニズムに貫かれていた。
伝説の作家の貴重な遺稿をぜひ堪能していただきたい。
(杉江松恋)
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