ビール発祥の地は横浜説と大阪説、どっちが本当?

ビール発祥の地は横浜説と大阪説、どっちが本当?

横浜のココがキニナル!

北方小学校の近くが久しくビール発祥の地と認識していましたが、大阪もビール発祥の地という説もあるみたいですね。どちらが本当でしょうか?(Mhamaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果
日本の国産ビール産業発祥の地は、外国人によって初めて醸造されたのが横浜、その3年後、日本人によって初めて醸造されたのが大阪である

横浜の発祥の地へ

横浜でビールといえばキリンビールである。そして、キリンビールといえば生麦にそびえる広大な工場を思い浮かべる人は少なくないだろう。

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戦後まもなく廃止されたがかつて京急には「キリンビール前駅」もあった

ちなみに1932(昭和7)年に開業した「キリンビール前駅」は、戦時中に現在の東急、京急、小田急、京王電鉄などが合併した、いわゆる「大東急」時代の1944(昭和19)年に、ビールは贅沢品であるという理由で「キリン駅」に改称させられたあげく、まもなく営業休止、そのまま戦後すぐに廃駅となってしまう。

「生麦」なんて何てビールにうってつけな地名だろうと思うが、実はキリンビールの発祥の地は生麦ではない。

キリンビールの歴史をたどっていくと、1869(明治2)年までさかのぼることができる。

これまで、ノルウェー系アメリカ人のウィリアム・コープランドが開業した「スプリングバレー・ブルワリー」が前年に開業していた1870(明治3)年が横浜にビール産業が生まれた年だとされてきたが、近年の研究で、その前年の1869(明治2)年に、山手本通りをはさんでフェリス女学院中学校・高校の向かいになる山手居留地46番に、アメリカ人のローゼンフェルトが建てた「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」が開業していたことがわかったのである。

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山手46番に残る昭和初期に建てられた西洋館

そして、同じく1869(明治2)年ごろには、ウィリアム・コープランドが、山手123番の湧水の出る天沼という池の近く(現在の北方小学校付近)に醸造所を建て、試験的に醸造をはじめた。このビールは「天沼(あまぬま)ビアザケ」と呼ばれとても人気があったという。この醸造所がそのまま1870(明治3)年ごろに「スプリングバレー・ブルワリー」として開業する。

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後のジャパン・ブルワリー(後述)の手前に「ビヤ酒ノ池(天沼)」が写る写真絵葉書
(提供:yokohama postcard club)

「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」が5年ほど操業したのち閉鎖すると、同ブルワリー醸造技師のE・ヴィーガントは、山手68番にあった「ヘフト・ブルワリー」を引き継ぎ、1875(明治8)年に「パヴァリア・ブルワリー」を創業する。一方、同じころ、コープランドは醸造所に併設していたビアガーデンを開設している。

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山手68番は現在のフェリス女学院大学6号館付近

1年後の1876(明治9)年、競い合っていたヴィーガントとコープランドは互いの利益を考え、ヴィーガントが「スプリングバレー・ブルワリー」と合併するかたちで商事組合「コープランド・アンド・ヴィーガント商会」を設立した。
最終的に山手のビール工場は、天沼でビール醸造に適した硬水を発見した「スプリングバレー・ブルワリー」だけが残ることになる。

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北方小学校を目指して歩いていくと、敷地内にビール井戸跡を発見

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近づいてみると趣溢れる煉瓦造りの井戸があり、その横には

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「いま校庭になっているところには湧水のわき出る池があっ」たという説明も

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この校庭に水を湛えた天沼が広がっていたのだ

ヴィーガントとの合併によって「スプリングバレー・ブルワリー」の生産量が増えると、コープランドは、今度は販売に力を注ぎ、横浜から東京、神戸、長崎へと広げ、さらには上海やサイゴン(現在のホーチミン)など海外にも輸出するようになる。

しかしながら1880(明治13)年に商事組合は解散、そして1884(明治17)年には経営が破綻し、「スプリングバレー・ブルワリー」は、売却されることに。

そこで、タルボット(W・H・Talbot)やアボット(E・Abbott)といった居留外国人33人と、幕末に大きな影響力を及ぼしたT・B・グラバーの働きかけによって参加した三菱財閥2代目総帥の岩崎弥之助が出資し、翌年の1885(明治18)年7月、「スプリングバレー・ブルワリー」と同じ敷地に、資本金5万香港ドルで、上の写真絵葉書でも触れた「ジャパン・ブルワリー」が設立されたのである。

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向こうに醸造所が見える写真絵葉書「横浜北方の眺め」(提供:yokohama postcard club)

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ほぼ同じアングルの現在。緩やかな坂は「ビヤ坂」と呼ばれ往時を偲ばせる

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坂をくだって北方小学校のすぐ南側にある「キリン園公園」には

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とても大きな「ビール産業発祥」の碑が立っている

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ビヤ坂側には「麒麟園」と書かれた古い門の跡。向かい側の路側帯もやや広い

翌1886(明治19)年に、本格的なドイツ式醸造法の実現に向けて製氷機を導入すると、輸入ビールとの競合が可能になると考えた渋沢栄一など日本人株主が多数参加し、会社の規模は拡大していく。

ほかにも必要な最新醸造機械や蒸気設備、さらに熟練したドイツ人技師を招き、第1回の仕込みがおこなわれたのは1888(明治21)年2月23日。そしておよそ2ヶ月後の5月、「ジャパン・ブリュワリー」が発売した商品が「キリンビール」である。

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キリンビール初代ラベル

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翌1889(明治22)年にはグラバーの提案で現在に通じるラベルに変更された

キリンビールのラベルに描かれた麒麟の鬣(たてがみ)に「キ」「リ」「ン」の文字が隠れているという話は有名だが、この麒麟は、グラバー邸に置かれていた狛犬の石像がモデルであるとか、麒麟の髭がグラバーの髭が元になっている、また麒麟は頭が龍で体が馬、つまり親交があった坂本龍馬を表しているという説など、夢が膨らむ伝説がたくさんある。

生麦で山手に思いを馳せる

さて、山手にあるビール発祥の地をめぐったあと、現在、キリンビールの横浜である生麦工場の外観を見に行ってみようと石川町から新子安へ移動して歩いていくと、行く手に「KIRIN」の文字と巨大な施設が見えてきた。

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巨大な建物はなぜ人を惹きつけるのだろう

興奮にまかせて工場に近づいていくと、横浜環状北線工事のフェンスに、まさにいま追いかけているビールの歴史が描かれている。おお、素晴らしい資料だと写真を撮影しながら奥へと進んでいくと、警備員の方が「工場見学ですか?」と声をかけてくださった。

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山手123番時代、開業当初1885(明治18)年ごろのジャパン・ブルワリー

たしかに歩いてくる道すがら、ほんのりと頬を赤らめたご機嫌な人たちと何度かすれちがった。噂に聞いていたキリンビールの工場見学はまさにここだった。

誘惑にかられて取材のことを忘れかけ、「予約してないんですが、ふらっと来て入れることもあるんですか?」と聞いてみると、予約に空きがあれば入れることもあるという。誘惑はさらに輝きを増したがそこで正気を取り戻し、ビールの歴史を取材していることを伝えると、「受付に話してみるといいですよ」というアドバイスが。

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お言葉に甘えて、いざ館内へ

エントランスを抜けて受付に向かい、取材の内容と後日の取材の約束をと話すと「少しお待ちください」と椅子を勧められ、5分ほどすると、何と「いま広報の担当者が参りますので」ということに。

本来は事前の予約が必要だが、たまたま30分ほど時間があいていたということで、あれよあれよという間に取材できることになった。横浜工場総務広報担当の三田さんのご厚意とビールの神様の思(おぼ)し召しに感謝。

というわけで、ここからは現在は工場見学のルートには含まれていない歴史コーナーで見せていただいたものと、三田さんとキリン横浜ビアビレッジブルワリーツアーガイド井上さんにうかがった話も交えて話を進めていく。

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ラベルの右上の大きな写真がコープランド、中央上の写真はグラバー

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上の写真では白飛びしてしまい、権利関係で入手できなかったコープランド氏(記者画)

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ほかにも大正時代のポスターや当時の工場内部の写真、キリンビールの馬車

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そして昭和から戦中、戦後へと展示パネルは続く

1945(昭和20)年には贅沢品として商品名もなく「麦酒」という文字だけになったラベルなど、興味深い展示がいくつもあったが、ビール発祥の時代から遠ざかってしまうので話を戻すと、キリンビール発売から13年後の1901(明治34)年に麦酒税法が施行されたことで、中小の醸造業者は撤退を余儀なくされ、ビール業界に再編の動きが起こる。

1903(明治36)年には札幌麦酒会社(後述)の関東に進出を機に競争が激化し、札幌麦酒、日本麦酒(後述)、大阪麦酒(後述)の大手3社合同による「大日本麦酒株式会社」が設立。

ジャパン・ブルワリーも合同の提案を受けたが、当時のチェアマン兼取締役であったフランク・スコット・ジェームズは、外国法人のジャパン・ブルワリーが、日本国内で展開するために国内一手販売契約を結んでいた明治屋の社長・米井源次郎と協議した結果、大手合同には参加しないことに。

代わりに、三菱合資会社社長・岩崎久弥の支援を得て、ジャパン・ブルワリーを操業状態のまま引き継ぐかたちで、1907(明治40)年に岩崎家と三菱合資会社、明治屋らによる新会社が設立された。これが「麒麟麦酒株式会社」である。

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麒麟麦酒株式会社が創設された1907(明治40)年ごろの横浜山手工場

その後、1918(大正7)年4月には神崎工場(のちのキリンビール尼崎工場)、1923(大正12)年5月には仙台工場(現在のキリンビール仙台工場)が操業を開始するなど、本格的なドイツ式ビールであるキリンビールは人気を集めていたが、1923年9月の関東大震災により、横浜山手の工場は倒壊してしまう。

そこで、すでに手狭になっていた山手を離れ、より広い敷地に工場を再建することなった。東京へ移転する案も出たが、発祥の地である横浜にということで、物流の利便性の高い京浜間に位置し、広大な埋立地があいていた生麦に決定し、1925(大正14)年に現在地に移転した。

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そして翌1926(大正15、昭和元)年、生麦に横浜新工場が完成
(提供:キリンビール)

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落成披露式典には巨大なビール瓶と泡があふれるビアグラスの模型が飾られた
(提供:キリンビール)

三田さんと井上さんは、やはりというか、よく見学者から「生麦だけに?」と質問されると笑っていたが、キリンビール横浜工場は狙って生麦ではなく、自然の脅威と近代化、そして横浜発祥の矜持(きょうじ)とが重なりあって生麦にあるのである。

そして、横浜におけるビール発祥の歴史は、1869(明治2)年、つまり明治時代が始まったのとほぼ同時に、居留外国人の手によって山手46番と山手123番で醸造が始まり、1870(明治3)年に産業として動きだしたということになる。

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工場に併設された「パブブルワリー スプリングバレー」の入口横には

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山手工場跡から掘り出された煉瓦が置かれている

横浜から大阪に思いを馳せる

さて、もうひとつの「ビール発祥の地」候補である大阪はというと、大阪市営地下鉄四つ橋線、西梅田駅近くに碑があるようだ。

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駅を出て四つ橋筋から少し東へ歩いたこの場所に碑はある

説明板には以下のように書いてある。

国産ビール発祥の地

わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていたが、日本人の手によるものとしては、澁谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。
当初は大阪通商会社で、明治四年(編集部注=1871)に計画された。これは外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが、実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり、綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の澁谷庄三郎が引継ぎ、明治五(編集部注=1872)年三月から、このあたりに醸造所を設け、ビールの製造・販売を開始した。銘柄は「澁谷ビール」といい、犬のマークの付いたラベルであった。年間約三二~四五キロリットルを製造し、中之島近辺や川口の民留地の外国人らに販売した。

大阪市教育委員会

説明にある「わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていた」の部分が、スプリングバレー・ブルワリーやジャパン・ヨコハマ・ブルワリーを指しているということは、大阪市教育委員会に問い合わせて確認できた。両醸造所は明治に入ってからの創業であるが、それ以前にも居留外国人が半ば個人的に醸造していた醸造所もあるので「幕末」という表現は間違ってはいない。

ところで、大阪の碑の内容で重要なのは、1872(明治5)年に大阪のこの場所で渋谷(しぶたに)庄三郎という「日本人」によって「渋谷(しぶたに)ビール」が製造、販売された「国産ビール発祥の地」の碑であるということだ。

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説明にもあった「渋谷ビール」の犬のラベル(提供:サッポロビール株式会社)

キリンビールのサイトにある「日本のビールの歴史」にも「国産ビール産業発祥の地は横浜・山手」とあるが、横浜はコープランドや居留地外国人が中心となって創業したものであり、外国人によって日本国内で最初に製造、販売された「国産ビール産業発祥の地」である。

時期としては1869(明治2)年創業の横浜のほうが早いが、「国産」という言葉を「日本国内で」と捉えれば横浜、「日本人による」と捉えれば大阪ということになるだろう。

ちなみにキリン園公園の片隅に立つ石碑には「文化遺跡 日本最初の麦酒工場 横浜市長半井清」とあり、こちらには議論の余地はなさそうだ。

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裏には「昭和三十七年二月十一日W・コープランド氏の命日に建てる」とある

ビール産業黎明期

さて、後述するとした醸造所について概要をまとめておこう。

「札幌麦酒会社」は、明治新政府発足後まもなく、地方に醸造産業を興すことを目的としてドイツに調査団を送ったことに端を発する。その後、1876(明治9)年、に北海道に官営による開拓使麦酒醸造所が開設され、翌年「冷製札幌ビール」を発売。1887(明治20)年、民間に払い下げられ札幌麦酒会社が設立した。

1906(明治39)年には大日本麦酒株式会社に参加するが、戦後の1949(昭和24)年、日本麦酒株式会社を設立し独立。同年「ニッポンビール」を発売、1956(昭和31)年には「サッポロビール」を発売した。1964(昭和39)年に社名を「サッポロビール株式会社」に変更し現在に至る。

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豊富な資料で日本のビール産業史がわかるサッポロビール博物館(フリー画像)

「日本麦酒醸造会社」は1887(明治20)年、現在の東京都目黒区三田に設立した。1890(明治23)年に発売された「恵比寿ビール」は、1904(明治37)年に米国セントルイス万博でグランプリを受賞するなど世界的な評価を受けた。

工場は現在の恵比寿ガーデンプレイスにあり、恵比寿の町名の由来となったことも広く知られている。

1893(明治26)年に社名を日本麦酒会社にしたのち、1906(明治39)年大日本麦酒会社に参加。戦後、日本麦酒株式会社として独立、サッポロビール株式会社となったあと、1971(昭和46)年に28年ぶりに「特製ヱビスビール」として復活販売された。

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恵比寿ガーデンプレイスの夜(フリー画像)

「大阪麦酒会社」は1889(明治22)年に設立、1892(明治25)年に「アサヒビール」を発売した。名前の通り大阪で設立された会社だが、渋谷庄三郎の「渋谷ビール」は1881(明治14)年に製造を終了しており、関係はない。

大阪麦酒会社も1906(明治39)年の大日本麦酒株式会社に参加し、戦後、1949(昭和24)年に朝日麦酒株式会社、「アサヒビール」を発売した。1987(昭和62)年には「アサヒスーパードライ」を発売、1989(昭和64・平成元)年に社名を「アサヒビール株式会社」に変更し現在に至る。

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ふらっと入った店に貼られていた大阪麦酒会社時代のアサヒビール広告復刻版

現在「ザ・プレミアム・モルツ」が好評な国内シェア3位のサントリーは、前身の「鳥井商店」が1899(明治32)年に創業しているが、ビール事業は一度、1929(昭和4)年から1934(昭和9)年まで展開したが撤退、再進出したのは戦後の1963(昭和38)年である。

さて、1880年代後半になると大小さまざまな醸造所が続々と創業した。

山梨に、コープランドを招聘し醸造を学び、「渋谷ビール」の2年後の1874(明治7)年に「三ツ鱗(みつうろこ)ビール」を発売した野口正章(1872<明治5>年創業、山梨県甲府市)。野口は「広告」という言葉を初めてしようとした人物でもある。

「桜田ビール」や「東京ビール」を発売し、コルク栓だったビール瓶に初めて王冠を使用した発酵社(1879〈明治12〉年創業、東京)、「丸三ビール」や「加武登麦酒(カブトビール)」を発売し、当時東海で最大のシェアを占めた丸三麦酒醸造所(1887〈明治20〉年創業、愛知)など、1900(明治33)年には国産ビールブランドが100を超えるほどになる。

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大正~昭和初期ごろの、名古屋駅前のカブトビールの広告(フリー画像)

しかし、1901(明治34)年の麦酒税法の導入により、多くの中小醸造所が消え、大手醸造所も再編を迫られることになったのは前述のとおりである。

国内醸造の最初の最初

最後に、産業としてではないが、日本国内での最初に醸造されたビールについて触れておこう。

1812(文化9)年に長崎出島でオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフがビールを醸造した記録が残っており、これが国内で最初に醸造されたビールとされている。ナポレオン戦争でオランダからビールが届かなくなり、手に入る材料で何とか自分で醸造して飲んでいたという。

最初にビールを醸造した日本人は、川本幸民(こうみん)である。1853(嘉永6)年のペリー来航の際、英語が堪能だった幸民は通訳として同席し、そこでビールを振る舞われた。
そしてその味に魅せられた幸民は、ドイツ語の化学入門書を手に入れ、江戸・茅場町(かやばちょう)の自宅に竃(かまど)をつくり、何と同じ1853年醸造に成功、浅草の曹源寺(そうげんじ)で試飲会を開いているのである。

幸民はほかにもマッチや銀板写真、湿板(しっぱん)写真の製作にも成功するなど、近代化学において多くの業績を残しているが、産業としてではなく、実験精神に基づいてビール醸造に成功した最初の日本人は、川本幸民ということになる。

ビール発祥の地は横浜説と大阪説、どっちが本当?

川本幸民をラベルにあしらった「幕末のビール 幸民麦酒」

取材を終えて

国産ビールは「日本でつくられたビール」を発祥とするか、「日本人によってつくられたビール」を発祥とするかで「国産ビール発祥の地」は横浜とも言えるし大阪とも言える。ちなみに『広辞苑』によると「国産」とは「自国で産出すること。また、その産物。」であり、『スーパー大辞林』によると「その国で生産、産出すること。また、その産物」である。

コープランドにとって日本は「自国」ではないが居住している「その国」ではある。また、コープランドにとって「自国」ではなくても、消費者にとってスプリングバレー・ブルワリーのビールは「自国」で生産されたビールということになるだろう。

国内において「輸入品」に対置されるものが「国産品」であるとすれば、スプリングバレー・ブルワリーのビールは「国産」といってよさそうでもある。

日本で農業を営む外国人の畑から採れたトマトやナスは「国産」となるように思われるが、では日本の自動車メーカーが北米で製造した自動車はアメリカの「国産車」になるかと考えると、そこには少し違和感がある。

そうなると、「本拠地がどこにあるか」が判断基準のひとつの目安になるかもしれない。

考えれば考えるほど答えは遠のいていくし、どちらにしてもどちらも素晴らしい。来年春には代官山にキリンビールのクラフトビール醸造所「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO(仮称)」がオープンし、「SPRING VALLEY BREWERY」というクラフトビールが製造、販売されるという。

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SPRING VALLEY BREWERY 496プロトタイプ(提供:キリンビール)

何だか喉が渇いてきた。しかし春はまだ遠い。

ビール発祥の地は横浜説と大阪説、どっちが本当?

というわけで昭和40年ごろの味わいに思いを馳せつつクラシックラガーで乾杯

―終わり―

参考文献
「キリングループの歴史」キリンホールディングス公式サイト
『世界のビール案内』マイケル・ジャクソン著/巽かおり訳/晶文社出版株式会社/1998
「横濱もののはじめ探訪(その21)山手のビール工場とコープランド」中区役所ホームページ
「明治維新後の品川(第10回)」品川区ホームページ/2012
『生物工学会誌 ? 89巻2号「日本橋茅場町で造られた日本最初のビール”幸民麦酒”』辻巌/日本生物工学会/2011
『ビール事典』
『国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第14集(「ビール醸造設備発展の系統化調査」藤澤英英夫)』独立行政法人 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター編/独立行政法人 国立科学博物館/2009
『横浜郷土小史』大島昇編/横浜市産業部観光係/1941
「江戸の科学者列伝 川本幸民」/大人の化学.net/2008
『アサヒビールの120年』アサヒビール株式会社120年史編纂委員会編/アサヒビール株式会社/2010

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