豚と話せる!?新米教師の奮闘記〜あさのあつこ『グリーン・グリーン』
翠川真緑。「ミドリカワミドリ」と読む。主人公の名前だ。彼女については、”豚と話が通じる”というややファンタジー風味の設定があるのだが、個人的にはこの命名の方がよほど驚いた。思い切りがよすぎでは? しかも、真緑の母親は超がつくほど頭が固いタイプときている。マンガ『DEATH NOTE』において、警察官僚でゴリゴリに生真面目なイメージの父親と「おふくろさん」という言葉がしっくりくる地味めの母親から生まれた息子の名前が、「夜神月(ヤガミライト)」だったとき以来の衝撃といっていい。
…と、揶揄するような書き方をしてしまったが、緑色、とりわけ自然の中にある緑が美しいことについては何の異論もない。本書の舞台は農林高校で、真緑は都会からやって来た新卒の教師。畜産学科に園芸・栽培科そして林業科と、自然には抜群に恵まれた環境である。新米でガチガチに緊張していた真緑の目にも、春の緑はまぶしく映ったことだろう。
さて、真緑が県立喜多川農林高等学校の教師になったきっかけは、「失恋した直後に食べたご飯が、ものすごく美味しかった」から。…少々補足が必要かも。行きつけの喫茶店で元彼の飯倉芳人から別れを切り出された真緑。一度は店を出たものの、あてもなく歩き回って再びたどり着いたのは同じ喫茶店だった。倒れるように座り込んだ真緑の前に差し出されたのは、海苔が巻かれた握り飯。驚くほど美味しいそのお米は、兎鍋村にあるマスターの実家で作ったものだという。その後実際に村に足を運んだ真緑は、この土地で暮らしたいという結論に至ったのだった。
“魚というものは切り身の状態で海や川を泳いでいると思っていた”子どもの存在が、ニュースで報じられたのは何年前のことだっただろうか。そこまで極端ではなくとも、スーパーで買える食材そのものにしかなじみがないという人が多数派だろう。肉にしろ魚にしろ野菜にしろ、生きたままだったり収穫前だったりといった、加工される前の段階で見る機会がまったくないという都会人も少なくないのではないか。そんな中で農業や畜産を自分の将来の仕事ととらえて、高校から学ぼうと考える若者たちは頼もしい。
とはいえ、もちろん第一次産業は甘いものではない。喜多川農林の退学者数は、1クラスあたりなんと2.7人。学年主任の豊福有希子教諭(丸顔・丸い体形・丸い目で、渾名は雪ダルマ)は、「生徒たちが一人も、途中でやめたりしない学校」を目指している。不慣れな環境で右往左往しながらも、全力で生徒や教師(や豚)たちにぶつかっていく真緑。本書は、融通が利かず理屈っぽかった彼女が、「本物の教師」となるべく第一歩を踏み出した最初の一年間の物語である。
あさの氏の名が広く知られるようになったのは、児童文学の不朽の名作『バッテリー』(角川文庫)の著者としてであろう。孤高のピッチャー・巧と思いやりあふれるキャッチャー・豪らのいきいきとした描写は忘れられない。自分が少年や少女だった頃の心持ちを忘れず、作品に生かせる作家は貴重だとしみじみ思う。しかし、それは大人が描けてこそ真に輝く資質ではないだろうか。本書においても、社会人として歩み始めた真緑と、人生の大先輩として生徒たちを見守る豊福や園芸指導の朝日山など、魅力的な大人たちが登場する。子どもと大人、両方の心情を鮮やかに綴る得難い作家である著者には、今後ともさまざまな年代の主人公を描いていっていただきたい。
(松井ゆかり)
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