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仏教はお坊さんからじわじわうつってくる!/杉本恭子さん"めくられ"インタビュー(前編)

仏教はお坊さんからじわじわうつってくる!/杉本恭子さん"めくられ"インタビュー(前編)

みなさん、おひさしぶりです。

「坊主めくり」インタビュー、ずいぶん長らくおやすみしておりましたが、その間にお坊さんや仏教から遠ざかっていたかというと実はそうでもなくて。昨年の後半は、お坊さんたちと一緒にお寺のメディアのあり方を考える「伝わる寺報教室」という通信講座の講師をさせていただいておりました。

「坊主めくり」を始めたのは2009年の春。当初は「えっ?お坊さんって携帯電話使うわけ?」とか、そのくらいお坊さんについて無知でした。だからこそ、何もかもが新しくて面白くてワクワクしながらこのインタビューをすることができたのだと思います。

あれから5年が経って、多くのお坊さんたちと友人になり、たくさんの喜びやかなしみを分かち合うようになりました。その過程において、私自身もまた仏教が身にしみてきたのを感じています。今回は『お寺の未来』の井出さんに、インタビューされる機会をいただきましたので、黙っておやすみしている『坊主めくり』のけじめとして、あるいは再開のきっかけとして(自分でもどっちになるかわからないのですが)、こちらに掲載させていただくことにしました。

「なるほど、こんなふうにお坊さんと知り合って仏教が好きになるものなのだなあ」と読んでいただければ幸いです。では、井出さんよろしくお願いします!(杉本恭子)

写真:2012年夏、星覚さんと一緒に福井・天龍寺で『禅の旅』に参加したときのようす。応量器の使い方を必死で覚えているところです。

お坊さんをめくりたくなったきっかけは?

『キョースマ!』2008年夏号より

写真:『キョースマ!』2008年夏号より。『坊主めくり』はここからはじまった!?
井出:『坊主めくり』をされていた杉本さんをめくるのは面白いですね(笑) そもそもですが、杉本さんと仏教との出会いはどのようなものだったのですか?
杉本:『坊主めくり』をはじめるきっかけとなったのは、京都の法然院さんというお寺です。法然院さんを知ったのは学生時代。当時は、ただ境内を気に入ってときどき散歩に訪れていました。本堂を外からお参りする場所の縁側に色々とチラシが置いてあるので、「このお寺は色々とやってはるんやなぁ」と思ってみていました。後年、友人が法然院さんでイベントを開いたので見に行って、そのときに貫主の梶田真章さんのこともはじめて聞きました。
そして、フリーのライターとして独立した一年目、『キョースマ!(淡交社)』という雑誌で一冊まるごとお寺特集があったんです。釈徹宗先生に監修いただいて、宗派ごとの教え、伽藍配置や本尊の違いを紹介するという面白い特集だったのですが、そのなかで私は「住職対談がやりたい」と企画したんですね。
お寺を開いているご住職同士にお話いただきたいということで、金戒光明寺の塔頭寺院・永運院のご住職である土肥真司さん、そして法然院の梶田さんにお願いしました。お坊さんのお話をじっくり聴くのは初めてだったのですが、これがすごく面白くて。
土肥さんは祖父母の家がお寺で、実家は教会でお父さんは牧師さん。クリスチャンとして育ったけれど、祖父母のお寺を継ぐために出家したという方でした。取材中も聖書の言葉を口にして「あ、これは聖書か」とおっしゃったり(笑)。その自然な姿が印象に残っています。
梶田さんは淡々と法話を続けていらっしゃって「いざというときには、阿弥陀様が信じさせてくださるので、私が信じさせるわけじゃないという気持ちで、法然上人の教えをいただいてしゃべっているから楽なんですよ」と言われていて。「なんだか、お坊さんてすごいな、面白いな」と思って、自らお坊さんインタビュー『坊主めくり』を企画して『彼岸寺』に持ち込んだんですね。

お坊さんからじわじわ仏教がうつってくる!

『坊主めくり』全興寺住職・川口良仁さんインタビューより

写真:『坊主めくり』大阪・全興寺住職  川口良仁さんインタビューより
井出:仏教に興味を持つようになったのはいつからですか?
杉本:社会の常識やルールから逃れられなくて息苦しくなった時、宗教や祝祭のような非日常な時空間が社会的な機能として必要なのではないか?と考えていて。学生のときに「祝祭と非日常空間」をテーマにした研究をしていたこともあって、そういう視点からもお寺やそこで行われる行事・イベントには関心を寄せてはいました。でも、最初は仏教そのものには興味はなかったですね。仏教が身にしみ込んできたのはお坊さんとのつきあいのなかでだと思います。

井出:じわじわと身体に入ってきたのを、自覚したのはどういう時だったのですか?
杉本:やはり『坊主めくり』のインタビューのなかでですね。インタビューの中で気になる言葉がずっと後になっても残っていて、ふとしたときに腑に落ちる、ということが繰り返し起きていたように思います。
たとえば、大阪・平野の全興寺の川口良仁さんでした。川口さんは25年以上にわたって平野の街づくりに関わられている方です。「後継者についてどう考えておられますか?」と質問したら「息子はお寺に入っていますが、それは次の世代の自由にまかせないとあかん。縁に身を任せられるかどうかは、自身の信仰や教えが問われるところですね。」と仰いました。25年もやってきたのに執着せずにいようとする意思に凄みも感じましたし、「縁に身を任せる」という言葉によって仏教がいう縁(縁起)の意味をはじめて真剣に考えさせられました。仏教で生きていくということに興味を持ったのもその時だったと思います。
でも、私もずっとお坊さんとだけ話していたわけではないですし(笑)。自分の人生のなかでいろんな人に出会い、ほかの仕事もパラレルにある中で、仏教が少しずつ身に落ちてきたという感じでしょうか。
井出:お坊さんとは長く付き合ったほうが良さが分かるということでしょうか?
杉本:そうだと思います。お坊さんと話しながら仏教を再認識するなかで、日本の文化や言語には仏教的な要素が多分に混じっていることに気付いてびっくりしました。また、自分を含めて仏教的なものの見方を自然にするところがあるのだなあと感じるようになりました。
実は、私は高3までプロテスタントのキリスト教会に通っていたんです。なので、宗教的なものに拒否感がなかったこともまた、お坊さんたちと話しやすかった理由のひとつかもしれません。
井出:教会を止めた理由は何だったのですか?
杉本:大学に入って生活が変わったことが大きいと思います。まだ幼かったので聖書を読んでいても教会の人たちが諍いを起こしたり悪口を言ったりするのはなんでだろう?と幻滅しちゃったこともあったのかなぁ。組織化するとどうにも雑味が増してしまう。その人間くささをうまく受け止められなかったのではないでしょうか。
井出:キリスト教も仏教も経験されている中で、共通点はありますか?やっぱり世界は一緒だなぁとか。
杉本:仏教って楽だなぁ、しっくりくるなあと思いました。教会に通っていたときは、イエスさまや神さまを「我が主」「我が父」と呼ぶことがしっくりこなかったんですね。ストーリーをうまく想像できなくてなじめなかったのです。今でも、好きな聖書の言葉なんかはあるんですけどね。
仏教でも浄土教などには「阿弥陀如来と極楽浄土」みたいなストーリー性の高い部分もあるけれど、どちらかというと生き方を教えてくれるものだと受け止めていました。仏教とのおつきあいも5年を過ぎたあたりから、自分の中で「仏教徒だと言ってもいいかも」と思った瞬間があるんですけど、その後のほうがキリスト教のことも理解しやすくなったように思います。仏教との対比のなかで、他の宗教を理解しやすくなったのかもしれませんね。
井出:今は仏教徒と自信を持って言っているんですね?
杉本:そうですね。たとえば、キリスト教は教会に行って洗礼を受けるという順番があるけど、仏教の場合は何をすれば仏教徒なのかはっきりしませんよね。仏教好きの次は、檀家さんと、一気に飛んでしまいます。私は宗派に所属していないので、日本仏教界からは仏教徒として認められないかもしれませんが(笑)

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