「なんの役に立つんですか?」の暴力性

MoriyamaMoriko--森山森子

基礎研究などが実用化されるまでには長い道のりがあります。今は役に立たないからといって、そこから目を閉ざしてしまうのは、未来の可能性を狭めることになってしまうのではないでしょうか。今回は最果タヒさんのブログ『MoriyamaMoriko–森山森子』からご許可をいただき、転載させていただきました。

「なんの役に立つんですか?」の暴力性
テレビで魚に右利き左利きがあることを発見した教授が出ていて、その話がすごすぎた。餌(えさ)をとるのに右にばかり曲がる魚とか、魚にも利きというのがあるらしく、しかもそうした魚を干物にすると、右利きは右に曲がって干からび、左利きは左に曲がって干からびる、つまり骨格から利きが決まっているらしい。その比較を見せてもらったときは鳥肌がたったわけで、偉大すぎるだろ、とびびっていたのだけれど、アナウンサーさんは変な研究、と言いたげに苦笑していて、しまいには「なんの役に立つんですか?」という自然科学でもっとも野暮な質問をしてしまっていた。

うーん。「なんの役に立つんですか?」という言葉は、実はいろんなことに投げかけられている。「マンガなんて読んで、なんの役に立つの?」「宇宙なんて研究して、なんの役に立つの?」「絵画なんて観て、なんの役に立つの?」大衆にとってもっとも価値があるのは“利便性”だ。“利便性>娯楽性>芸術性”という順番こそが大衆性であり、情報番組はだから好まれるし、「人の役に立つ人間になりたいです」と子供に言わせる。それは文明というもの、科学というものの恩恵をうけてきた人間らしい言葉であるし、考え方だろうけれど、そもそもその文明や科学を、さも人間が意図して手に入れてきて、“役に立つ”ということを目指してきたと考えること自体が大きな間違いなのだ。

「人の役に立つぞ!」って研究者ががんばって研究したから科学技術が発達したと思うのは大間違い。文明というものは人間の純粋な好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物(はいせつぶつ)でしかない。真理を追究していたら、偶然にも文明がいっしょにぽろっと現れて、それの恩恵を人が受けている、それだけである。

ニュートンは別に、工学に役立てるために運動方程式や、万有引力を発見したわけではないし、コペルニクスも宇宙旅行のために地動説を発見したわけじゃない。だから「役に立つ」ということを目標にしても、将来の進歩に結びつくわけじゃないし、「これを知りたい!」という単純だけど強い強い好奇心によって自分勝手に動く研究者のほうがずっと粘り強く、結果的に(本人の意思とは関係ないところで)進歩に貢献するものだ。

科学には基礎科学と応用科学というものがあって、基礎科学は簡単に言えば物理だとか化学だとか、生物だとか、地学とか、根本的な真理を探究することが仕事だ。応用科学はそこで見つかった真理を応用し、実用化するのが仕事。医学とか薬学とか工学とか農学がここに当てはまる。テレビでも別の研究者さんが、役に立つかどうかなんて事は自分にはどうでもよくて、それはまた別の人が考えること、とおっしゃっていて、基礎科学の人間にとって、発見したことを実用化するかどうかなんてのは管轄外でしかない。しかも、その真理が発見した同じ時期に必要とされる技術になるかはわからない。

たとえば私が大好きな宇宙の大規模構造ってのは、宇宙のもっとも大規模な姿を論じた考え方だけれど、銀河系を飛び出すこともできない今の人類にはまったく関係がない話だし、まったく役に立たない。けれどもし人類が滅ばないで宇宙旅行を可能にし、しかも宇宙の果てまで移動できるようになったとすれば、ばっちり役に立つだろう。宇宙人が突然襲来して「どこどこのどこどこから来ました」と言われたときも役に立つかもしれない。

でも、まだそんな時期ではないし、役に立とうが立たまいが、そんなことは発見の価値をゆるがさないだろう。役に立ったからって発見がさらにすごい発見になんてならない。はっきり言って人の役に立つなんて事は、真理を明らかにするという事に比べたらあまりにも矮小(わいしょう)で、曖昧(あいまい)すぎるのだ。

インド人が“0(ゼロ)”を発見したときのように、見つけた事実がすぐに、だれもが役立てることができる時代だったのならば、利便性を重視し、第一に考え、科学にそれを求めてもなんら問題は起きなかっただろう。けれどもうすでに、人が探求する真理に、人自体が追いついていない。湯川先生が中間子を発見した、さて、じゃあ次の日にその中間子を、世界中のすべての人間が実用できただろうか? いや、できていない。それは湯川先生の発見が“役に立たない発見”だったのではなく、人類が“まだ役立てることができない人類”だったのだ。

たとえば生まれたての赤ん坊に、スパコンを与える、なんてことをしたら、その子の親は「この子にはまだ使えませんから」と言う。しかしだからといって捨てることはしない。まだ使えなくても、いつか使えるようになるかもしれないと思うから、そっとその時期までしまっておく。もちろん、読書家に育って、本ばかり読んで、ちっともスパコンなんて必要のない大人になるかもしれない。しかし、まだ生まれたばかりの赤ん坊には無限の可能性があるし、どんなものが将来必要になるかはわからない。そしてスパコン単体で見たとき、赤ん坊が将来使っても、使わなくても、スパコン自体の性能がすごいものであることには変わりはない。もったいないことはもったいないが、使われなかったからといってスパコンの価値がおちるわけでもない。スパコン家にあるの? ちょーすげー、ってきっとみんなが言うだろう。これに人類と科学の関係もきっとよく似ている。

まだ役立てることができない発見を、人間が手に入れたとしても、それを「役に立たない」なんて言って捨てたりしない。湯川先生はちゃんと賞賛されたし、今でも尊敬されている(賞をとったから、とかじゃなくてね)。もちろん、そんな見ることもできない小さな粒の発見なんて、とお酒でも飲みながらバカにする人もいるだろうし、「物理学者になるぐらいなら、お医者さんになって人の役に立ちなさい」なんて子供の夢を否定する人もいるだろう。

けれど、大学にいろんな研究をする先生たちがたくさんいて、研究と生徒への指導で生活ができるようなシステムがあるし、大学教授はすごい、って一般的には考えられている。役に立つかどうか現段階ではわからない研究の価値と意味をちゃんと理解し、守っている社会であることこそが、この社会がちゃんと文明と科学の恩恵を受けていると自覚できている証拠だと思うし、将来もちゃんと進歩していくことができるだろう。もしも人が、役に立たないなら必要ない、なんて思い始めてしまったとしたら、実用に役立つ、医学や農学や工学は残して、基礎科学は削りましょう、なんて思い始めてしまったとしたら、それはつまり医学や農学や工学が根本的に参考にしていた真理の探究が止まるということで、医学や農学や工学の進歩も将来的に止まってしまうだろうということだ。

そしてまた、iPS細胞は役に立ちそうだから、その類の根本にある基礎科学だけは残しておきましょう、みたいに、“将来役に立ちそうな”基礎科学を勝手に決めて規制したとしても、それは同じだろう。それは生まれたての子供の将来をすべて決めきって、生まれてから20年間で必要になる本や道具すべてを、生まれた瞬間に買ってしまうようなことだ。理系に育つかもしれない子供に、「この子は読書家になるんです」と言って、大量の本を買ってやり、そう育つことしか許容しないようなものだ。

人類には人類にもわからないほど無限の可能性がある。多くの研究者がいるのだから、「これが将来役に立つとは思えないなあ」なんていう研究ももちろんあるだろう。けれど、何が役に立つかなんてわかるわけがないのだから、すべての学問を世の中は受け入れている。

将来宇宙旅行をするだなんて思ってなかったけれどケプラーは惑星の運動を解明した。そしてその発見の偉大さを周囲はその時期にちゃんと理解していた。別に宇宙旅行が現実的になってきた今になって、ケプラーさんってすごかったね、なんてだれも言っていないし、もし今でも宇宙旅行なんてものが夢物語だったとしても、ケプラーの法則って意味がないよね、なんてだれも(科学に理解のある人なら)言わなかっただろう。それは知的探求の価値に、実用化できるかどうかはまったく関係がなく、そして、それがゴールでもないからだ。

研究者にとって実用化はどうでもいいこと、そして発見を役立てるのはまったく別の人間の仕事。なんだったら実用化は、「なんの役に立つんですか?」なんてたずねている側の人間の仕事なのかもしれない。これから研究者は「役に立つのか」と尋ねられたら、「あなたたちががんばって役立ててください」と皮肉で言い返してやってもいいぐらいだろう。科学者にそう尋ねることは、なにより野暮で、間の抜けたことなのだから。

執筆: この記事は最果タヒさんのブログ『MoriyamaMoriko–森山森子』からご許可をいただき、転載させていただきました。

文責: ガジェット通信

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