映画『凶悪』白石和彌監督インタビュー「失われた骨太な日本映画を取り戻す」
一人の雑誌ジャーナリストが、警察も知らない事件を死刑囚の告発を頼りに明るみに出し、首謀者逮捕に至らせたという実在の凶悪殺人事件を題材とした映画『凶悪』。山田孝之さん、ピエール瀧さん、リリー・フランキーさんが共演する話題の今年最大の衝撃作です。
『凶悪』はある死刑囚の、「自分は死刑判決を受けた事件の他に、誰にも話していない3つの殺人に関わっています。そのすべての首謀者は、自分が先生と呼んでいた男です。そいつが娑婆でのうのうと生きているのが許せない、この話を記事にしてもらい、先生を追いつめたい」という突然の告白を元に、ひとりの雑誌記者が警察も知らなかった凶悪事件を暴いたノンフィクションの映画化。
メガホンを取るのは、反体制的視点から日本社会にメスを入れ続けた唯一無二の映画監督、若松孝二に師事した若松プロダクション出身の映画監督、白石和彌監督。実在の凶悪殺人事件の真相を描くとともに、内在する日本の社会問題をもあぶり出します。今回ガジェット通信では白石監督にインタビューを慣行。色々とお話を伺ってきました。
――この『凶悪』という映画は公開が決まった時からとても大きな話題となっていましたが、監督に起用されたきっけけはどんな事だったのでしょうか。
白石和彌監督(以下、白石):事件の事はニュースで見ていて知っていたんですが、2年ほど前に赤城さんというプロデューサーと知り合って「エンターテインメントでありながら、社会性が色濃く出た骨太な作品を作りたい」という話になったんですね。
それで色々とアイデア出しなどをしてる中で赤城さんから「実はこの本を映画化したいんです」と、新潮 45 編集部編『凶悪 -ある死刑囚の告発-』を渡されて。「あ、この事件か」とはすぐ分かったのですが、あまりにも劇的で面白いというか……。これを映画化するのは難易度が高いなと思いました。でも、素直な気持ちでは面白いと。それで挑戦する事に。
――実在の事件を映像化するというのはそれだけで気を遣う作業なのに、本作は特にパワーが必要というか、監督すごく疲れたのでは……?
白石:疲れましたね(笑)。疲れるんですよ、殺人シーン撮るのって。しかも、若者が若者を殺すのならまだしも、この作品では老人達をたくさん殺さないといけないんで、怪我しない様に気を遣ったり、色々ありながら体力使いましたね。
――原作と意識して変えた部分を教えてください。
白石:記者が取材して、その取材結果が基で警察が動いて実際に逮捕されたという過程だけ書くと“ヒーロー物”っぽいというか、正義感あふれる優秀な記者が一人いました、っていうだけの話になっちゃうので、それはつまらないなと。主人公の藤井という記者に僕たちが何を託せて、観客に何を持って帰ってもらえるかを考えなければと思って。脚本を書いている時間はほぼそれを探す時間でした。
――なるほど、監督は藤井を通して観客にメッセージを伝えた。
白石:一つ事件が起きたら色々な媒体者が取材に行ってスクープを取ろうとしますよね。でもスクープなんていつもあるわけじゃないから、視聴率とか購買数を増やす為にお客さんが楽しんでくれる見出しをつけたり、記事を書いたり、エンタメ化していくわけですよね。僕はその事を普段から「何事だ」と思っていて。
なので、この作品、藤井という記者を通して“マスコミ論”じゃないですけど、マスコミのあり方を問題提起しようよって脚本家と話していて。でもそんな作業の中で「でも俺らがやっているのって事件のエンタメ化だよね」って気付いて。
――ジレンマを感じていたわけですね。
白石:そう、まさにジレンマですね。この映画とは関係無いけど、数年前からスタートした「裁判員裁判」に興味があって色々調べていると、刑が厳罰化している様にしか思えないんですよね。無期懲役が妥当な裁判であって死刑が下されるとか。事件に全く関係の無い一般の人を法廷に巻き込んで、「より公平な裁判をしよう」って始めた割には、刑厳罰してるじゃんって。じゃあ人間の懲罰感情って何なんだろうって思って。藤井も正義という名の基で動いている懲罰感情が暴走しているわけで。
――この作品を観ていると次第に凶悪犯の木村、須藤以上に藤井に何とも言えない恐ろしさを感じました。
白石:原作を読んだ時、勝ち負けで言ったら原作の宮本さんって完全な勝利者だと思ったんですね。自分が書いた記事がきっかけで犯人が逮捕されているわけですから。それで、その“勝者”という部分を守らなければいけなかったら、おそらく映画化は出来なかったと思うんですね。
最初宮本さんとお会いした時に、端正な甘いマスクで、穏やかで、頭の回転が早くてすごい人だなって思ったんですね。でも同時に僕は無常観を感じて。というのは、人が人を殺して、人が人に殺されてって、人類が誕生してからずっと繰り返されてるじゃないですか。食べる為に殺すんだったら動物もやっているんだけど、人はそうじゃない。しかも人間は法律を定めて管理・防止をしようとするわけだけど、それでも無くならない。言ってしまえば「殺人っていうのは人間の生業の一つ」であると、宮本さんがそこまで達観してしまっているのを感じたので、それを藤井に投影させたという部分はあります。
――私もそうなのですが、観客って刺激が強い物を求めるし、実在した事件であっても下世話に楽しんでしまう傾向がありますよね。こんな恐ろしい事件を「面白い」って言ったら倫理的におかしいのは分かっているけれど、それでも面白いと感じてしまうというか……。
白石:そうですね、矛盾しているんですけど面白いと思って欲しいんですよ。僕も色々と悩みましたけど、実際そういった事が映画の醍醐味だと思っているし、爽快になったり泣いたりする事だけがエンターテインメントじゃないぞっていう。
――日本映画に物申したい部分もある?
白石:『殺人の追憶』以降、韓国映画って実在の猟奇事件をベースにした骨太の作品が多いんですけど、でもそれって本当は昔の日本映画が一番得意としていた事なんですよね。師匠の若松孝二監督しかり、今村昌平監督しかり。でもなぜか今の日本映画でエンターテインメントっていうと、難病モノとかそういう物語になっちゃう。そりゃ泣くよ(笑)。だからエンターテインメントっていう言葉がすごく捻じ曲げられてるのを感じるし、社会の臭いモノに蓋をしてるだけなんじゃないかって。昔の映画人って「面白い作品作ろう!」って言っておきながら、自然と社会を反映していて。それを取り戻そうって言ったら大げさだけど、思っていたので。
でも日本映画界に不満は無いんですよ。どんな映画でもヒットして欲しいと思っているし。でも、そういった社会を反映した骨太なエンターテインメントがスキマ産業になっているんだったら、僕が監督として生き残れる道はあるのかなって考えたりはします。
――最近では同じく猟奇的事件をベースにした『冷たい熱帯魚』がヒットしましたものね。
白石:そうですね、園子温監督の作品が多くの人に支持されたりっていう流れは、観たい人は確実にいるんだなって思いますよね。
――本作も強烈なバイオレンスシーンが多数出てきますが、バイオレンスシーンの参考にした作品などはありますか?
白石:僕はバイオレンスシーンを撮りたくて映画監督になったわけでは無いので、得意では無いのですが、近作で言うと園監督の映画は意識せざるは得ない部分はありました。後は今村監督の『復讐するは我にあり』とか。
――この映画を観終わった人は今後リリーさんの笑顔が怖くなってしまうんじゃないかというくらいの怪演でした。
白石:リリーさんと瀧さんはもう20年以上も前からの知り合いなので、その空気感そのままに木村と須藤を演じていただきましたね。山田さんはお2人と会うのは今回が初めてで、その距離感がちょうど良かったというか。
――なるほど、そこは自然と空気が生まれていたという事ですね。
白石:最後の酒飲みながら殺すシーン「いつも2人が飲んでる感じでお願いします」って言って。いつも舞台挨拶とかイベントでも2人は楽しそうにしてますよね(笑)。暴力のシーンはさすがに2人もグッタリしていて、撮影が終わった後は「俺たち何か大事な物を無くしちゃったんじゃないかな」って言っていましたね。倫理観とか。それは僕も感じています。
この映画の一番の見所は演者の皆さんの表情なので。山田さんも、リリーさんも、瀧さんも、池脇さんも絶対に今まで見た事が無い恐ろしい顔をしています。本当にその力には助けられたし、こうして納得出来る作品が完成したので、注目していただきたいですね。
――最後に監督自身のお話をお聞きしたいのですが、映画に携わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
白石:映画監督になれるとは思って無かったんですよね。映画のスタッフとして紛れ込みたいなと思っていて、それで映画に携わる様になったんですが。助監督っていう仕事が面白くて、若松さんだけじゃなくて色々な監督と一緒に仕事をしていると、中には監督としての魅力を感じない人もいるわけです。「この人が監督出来るんだったら、俺も出来るかな」って感じる事もあって。
――そこから監督を目指すようになったと。
白石:もちろん挫折もたくさんあって。それでもなぜ監督になれたかというと、よく継続は大切だって言うんですけど、僕は継続しなくても良いと思っていて。立ち止まっても良いと思ってるんですよね。でもまたそれをやりたいと思った時に、また動き出せるかが大切なんだと思う。僕も『ロスパラ』の前に準備していた作品があったのですが、でもその企画自体がうまくいかなくなったりした時に「もう辞めようかな」って思って、半年くらい何もやらなかったんです。バイトもしなかったし、完全な引きこもり。でもやっぱりもう一度ちゃんとやってみたいと思ったんですよね。継続して一歩一歩階段を上って行ける人は、なかなかいないんですよね。立ち止まって引き返しても本当にやりたいと思ったらまた戻ってくるし。
――そして、2009年に『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編デビューを果たしたわけですね。
白石:『ロスパラ』で韓国の釜山映画祭に呼ばれて、釜山映画祭には新人監督の作品が15本くらい出品されるのですが、全部観たんですね。その時に愕然として。僕と同じ年くらいのアジア各国の監督が描いている物って、すごく自分と向き合っていて切実で。社会とか政治と密接に絡み合っている作品ばかりで。でもそれが世界ではスタンダードなんですよね。やっぱりこういう事やらないと映画ってダメだなって。その時に感じた衝撃が、この『凶悪』とか作品作りに影響を与えていますね。
後、皆すごく自由に映画を作ってるんですよね。関わる人が増えたり、資本が増えれば増えるほどしがらみも多くなるのはどの国も同じはずなのに、もの凄い映画が豊かに見えたんです。
――レートとか映倫的な問題はもちろん、スポンサーとの兼ね合いだったり。
白石:『ロスパラ』は知的障碍者の性をテーマに描いた作品なのですが、当時脚本を作って色々な人に見せたら「これ商業映画では公開し辛いよ」とか、たくさん言われたんですね。無理してタブーを扱う必要は無いけれど、でも、社会的弱者の現実を描きたいと思っている所もあって、『凶悪』でも須藤と木村は暴力のヒエラルキーでは上に立っているけど、社会的に見たら弱者なわけですよ。藤井も一般的にはエリート記者の立場にいるけど、最後には須藤と木村と同じ目線に立っていくというか。そういう事に興味があります。
――本当日本って色々オトナの事情がありすぎますよね。この作品でエンドロールに流れる曲これかよ!? みたいな……。
白石:そうそう。映画の内容と全然関係ないぞ、と感じることありますよね(笑)。いや、本当にそういう作品が嫌いだとか日本映画がダメだとか言っているわけでは無いんですが、この『凶悪』の様な作品が皆様に支持していただけるのであれば、僕は骨太のエンターテインメントを作り続けていきたいと思っています。
――今日はどうもありがとうございました。
『凶悪』
死刑囚の告発をもとに、雑誌ジャーナリストが未解決の殺人事件を暴き、真犯人逮捕への道筋をつけた異例の事件を活写し、日本を驚愕させたベストセラー・ノンフィクション新潮45編集部編『凶悪 ーある死刑囚の告発ー』が個性溢れるキャストを迎え映画化。人間の深い心の闇へ切り込んだ究極のドラマとして完成!死刑判決を受けながら自らの余罪を告発する須藤(ピエール)が、雑誌記者の 藤井(山田)へ”先生”と呼ばれる全ての事件の首謀者・木村(リリー)の存在を伝えることから物語が始まる。人間はどこまで凶悪になれるのか?誰もが凶悪となりうるのか?人間の持つ正義とは?日本を震撼させた殺人事件の真相とともに、観るものの心を衝く極限のドラマが幕を開ける!!
(C)2013「凶悪」製作委員会
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