マルク・ラーベ『17の鍵』は必読の警察小説だ!

あああ、うっかりしていた。この本を紹介しておかなければいけなんだった。
ドイツ作家マルク・ラーベ『17の鍵』(酒寄進一訳。創元推理文庫)は必読の警察小説である。警察小説にもさまざまな種類がある。たとえばアイスランドのアーナルデュル・インドリダソンが手掛ける犯罪捜査官エーレンデュル・シリーズのように、一つの事件を起点として、その関係者たちの人生や人間性というものをとことん掘り下げる方向に行くもの。またはジョー・ネスボのハリー・ホーレ・シリーズのように、速い展開の中で入り組んだ人間関係を見せ、それがどのようなものであるかを主人公の行動を通じて明らかにしていくもの。ラーベの手法は後者に近い。ハリー・ホーレは事件を解決しながら自分も傷つき、その痛みに苦しむさまをも読者に見せていく主人公なのだが、『17の鍵』のトム・バビロンもそれに近い。トムの肩書はベルリン州刑事局刑事、階級は上級警部ということになる。
なぜか翻訳されたドイツ・ミステリーには凄惨な死体が登場する長篇が多い。これもその一つで、早朝のベルリン大聖堂で天井から吊り下げられた女性牧師の惨殺死体が発見される場面から始まる。現場に駆けつけてきたトムも死体を見て、首から掛けられているものに気づく。握りの部分に灰色のプラスチックカバーが掛けられている。そのカバー部分に何かの数字が刻まれているのである。スマートフォンのズーム機能を利用して鍵と、刻まれた数字を見てトムは確信する。あとで何を言われようとこれは自分の事件だと。
ここまでまったく説明がないので読者はわけがわからないままでバビロンの後をついてきているだけだ。このあともそういう状態が続く。基本的に立ち止まって説明するようなことはしない小説だ。でも大丈夫。バビロンが自分勝手な暴走を始めた理由は、どうやら彼の過去にあるらしいことがわかる。現在の時計は2017年9月3日から始まる。過去のそれは、1998年7月11日が起点なのである。そのときトムは14歳、悪友たちとある発見をして、自分たちだけの秘密にすることを誓い合う。しかしその結果、心に傷を負うような事態になってしまうのである。気がつかれたと思うが、その事態が女性牧師と共に発見された鍵と関係している。17という数字が刻まれた鍵と。
事件を担当する刑事が内省的で他人とうまく意思疎通ができない、というのはよくある類型だ。トムもそういうところのある人物だと登場早々にわかる。しかし、彼の場合は人嫌い、だけでは済まない。明らかにおかしな特徴があるのである。もちろん17の鍵と、それにまつわる過去の事件によって彼の心に刻み込まれたものだ。
あまり内容を知らずに読んだほうが驚きの増す小説だと思うのでこのくらいに留めておく。要するに刑事が自分の少年時代に発端のある事件を担当するという話だ。事件関係者もトムの友人ばかりである。二十年近い時間の隔たりを経て、それぞれが少し古ぼけ、薄汚れている。この友人たちのドラマを群像劇として掘り下げるのかな、と思っていると物語は意外な方向へ舵を切っていく。いや、意外と言ったのは私が日本人の読者だからか。ドイツの読者であれば、それに近い展開がくることは予測できるかもしれないからだ。
トムは1984年生まれ。統合前のドイツ、東側の出身なのだ。正式な東西統合は1990年10月3日の出来事である。このときトムは5歳だったという。1989年11月9日に東西ベルリンを分ける壁が壊されてから約一年で怒濤のようにいろいろなことが起き、あっという間に統合は成し遂げられた。しかし国家という巨大なものはレゴブロックとは違う。組み合わせるのは容易なことではないのだ。その過程にはさまざまな軋みがあっただろうと予測できる。舞台がベルリンに設定されていること、しかも旧東ドイツに起源を持つ人物が主人公であることから、本国の読者は何も言わずに察知するはずなのだ。この過去篇は、歴史の影に追いやられた叫びを響かせるために置かれているのだな、と。
2000年代、東西冷戦終了後に熱い戦争は局地化した。正確に言えば、冷戦の大義を唱えるため、あえて不可視領域に追いやられていたものが、すべて明るみに出たのである。そのことにより、1990年代までは局地戦にしか見えなかったものが、世界を揺るがす戦争の一部として認識されるようになった。インターネット普及による、情報伝達速度の向上も一役買ったことだろう。現在のウクライナ、ガザで起きている事態を自分とは関係のない局地戦だと思ったら、おめでたい話である。局地と全体とがフラクタル構造のような関係にある国際情勢を描いたスリラーが2000年代には増加した。その流れを汲む作品であると思う。それを個人の悲劇として、そして警察小説として描いた点に『17の鍵』の特徴がある。
書かなければいけないことがたくさんあるのだが、すべて削ぎ落してご紹介した。実はトムには相棒がいる。本業は臨床心理士だが、臨時の身分で捜査に加わっているジータ・ヨハンスである。彼女は最初、独走するトムのお目付け役としてやってきたように見えるのだが、話が進んでいくとジータ自身も問題を抱えていることがわかる。犯罪事件の捜査に関わることで、彼女も自分自身の浄化をしているように見える。反目し合っていたトムとジータはその点で同盟関係を結ぶ。二人は捜査官としては不適格だが、彼らには捜査すべき事件が必要なのである。だからお互いに都合悪いことはなるべく黙っておこう、と唇にひとさし指をあてがい合う。
書いてないことは他にもたくさんある。あるが書かない。なぜかといえば、本作は2ヶ月連続刊行となる刑事トム・バビロン・シリーズの、第一巻に当たるからだ。続けて第二巻『19号室』が刊行されることになっている。というかこの文章を書いている時点でもう店頭に並んでいると思う。そっちを読めば『17の鍵』で疑問に感じられたことも解明される、かもしれないのである。読めばわかることは、書かない。うっかりしていたというのはこのことで、『19号室』が読まれ始める前に『17の鍵』を紹介しなければならなかったのである。というか早く読んだほうがいい。
トム・バビロン・シリーズ、ひさびさに来た連続物の趣向が楽しみな作品だ。先行きがまったく見えないところがあってわくわくさせられる。こんなこと書かれたら困っちゃうじゃないか、次を読まなくちゃ仕方ない。そんなことを言える小説である。東京創元社はどんどん出すように。わかりましたか。
(杉江松恋)

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